第04話「お前とあたしの共同のミスだろう?」

 死神課は忙しい。今日も現世で人がたくさん死んでいるのだ。広い部屋を埋めるように敷き詰められ並べられたデスク、その上の黒電話が今日もけたたましく鳴り続け、ワイシャツの袖を二の腕が見えるくらいにまくり上げた職員たちが取り続けている。


 ボクの上司である主任――先輩はそんな職場にはいなかった。先輩のデスクが空いているのを確かめ、そのままベランダの方に足を向けた。


「先輩」


 部屋の奥、ガラスの引き戸を開けた先にボクの先輩は背中を見せて手すりにもたれかかっていた。赤く引いたルージュの唇にタバコをくわえ、スーツのポケットに手を突っ込んでいる格好で振り返った。


「よう、お帰り」

「先輩……職場は禁煙のはずじゃないですか」

「だから火はけてない」

「今、ライターを出そうとしていたでしょう」

「ん?」


 ポケットに突っ込んでいる自分の右手を見て、先輩は微笑んだ。無駄に美人なそんな挙動がいちいちサマになっていることに、ボクのイラつきが加速される。


「ま、いいじゃないか。それでどうだった、コンタクトは取れたか」

「取れましたよ……」

「そうか。この時間ならもう起きてるから無駄足になるかと思ったが、眠っていてくれたか。あたしたちは眠っている相手の枕元に立たないと、相手と話ができないからな」

「いえ、彼女は起きてました」

「んん?」

「起きてましたよ、彼女」

「ん? どういうことだ?」


 のんきに笑っていた先輩の目が細くなる。


「つまり……起きていた彼女と、ボクが話をしたっていうわけです」

「は――――」


 先輩の空いた口から、タバコが落ちた。


「お前……もしかして……」

「行く前に、先輩が忠告してくれたとおりになりましたよ。――彼女、ばっちりボクを見てました。話も弾みましたよ、本当に」

「……なんてこった……」


 先輩が向けてくれる、ボクを心底しんていからあわれんでくれているその目にボクは、この場で怒鳴り散らしたくなる気持ちをぐっとこらえた。


「ややこしい案件がさらにややこしくなったもんだな」

「まずややこしくしてくれたのは先輩のせいじゃないですか!」

「まあ、そんなに怒るな。お前とあたしの共同のミスだろう?」

「先輩ひとりのミスです! 指導力不足で上にうったえますよ!」

「ははは」

「……先輩って、ほんっとうに! ポンコツなんですね!」

「そうめるな……照れるだろうが……」

「一ミリだって誉めてませんよ!」

「その単位はセンチか? グラムか? バールか?」

「圧力の単位はとっくにバールからヘクトパスカルに変更されてます!」

「そうとがるな、少年君」


 先輩は一歩、ボクとの距離きょりを詰めた。その白く長い指でボクのあごにそっと触れた。


「お前とあたしは心から理解し合う必要があるようだな。どうだ、今夜あたりあたしとお前でひざを突き合わせ――その他も色々と突き合わせ、しっぽりと語り合うというのは……」

「肉欲から解放された相手に色仕掛けしてどうするんですか」

「まあ、無駄だとわかってやっているんだがな」


 この人は……。


「そうか、見える相手に会っちまったかのか」

「ええ……とってもやっかいなことになるって言ってましたね、先輩……」

「眠っている相手とのやり取りはほぼ一方通行のコミュニケーションだ。夢の中にいるような相手は、あたしたちに『はい』か『いいえ』くらいしか答えないからな」


 新しいタバコをくわえ直して先輩は言った。


「――まあ、考えようによってはむしろ都合がいいんじゃないか? 彼女の魂を回収しなければならないのは明後日あさって。彼女と相談する時間ができたってことだ。さすがに明後日に死んでくれっていうのを納得してもらえるのには、時間がかかるだろ」

「あの、その件についてなんですけど、もう彼女は……」

「ということで、あたしはこれから営業に行ってくる」

「あ、先輩!」


 先輩はどこから出したのかハンドバッグを肩にかけ、ハイヒールを響かせて歩き出した。


「ボクの面倒も見ずに自分のことですか! そんなに自分のことが大事なんですか!」

「当たり前だろ。ま、お前はお前のことをしろ」

「この無責任上司ぃ――!!」

「無責任。実に良い響きだ。あたしのいちばん好きな言葉だな。じゃ、説得の成功を祈ってるよ。祈るだけだけど」


 一度も立ち止まらず、振り返りもせず、先輩は職場の喧噪けんそうの中に消えた。


「……自分で呼びつけたくせに、ロクに話も聞いてくれないって、どういう神経してんだろう」


 とことん使えない先輩で、とことん使えない主任で、とことん使えない上司だった。

 最終手段として彼女――栞の死亡予定日を二ヶ月後に変更してもらうにしても、どれだけの部署に頭を下げて回らなければならないのか。


「両手両足の指の数じゃ足りないんだよなぁ……」


 とにかく、ここでこうしていてもらちがあかない。


「現世に戻るか……」


 ため息を絞り出し、ボクはベランダを離れた。

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