第02話「いいけど?」

「――今すぐ、死んでくれない?」

「いいけど?」

「えっ」

「えっ?」


 ボクは彼女の反応に、彼女はボクの反応におどろいた。


「……どうして?」

「どうしてって?」

「ボ、ボクはさ、キミに、今すぐ死んでくれって言ってるんだよ?」

「うん」


 真顔で少女が言う。

 ドン引きしたボクがたじろいだその時、ドアが向こうからノックされた。


「早川さん、おはよう」


 装置をせたキャスターラックをガラガラと押し、一人の看護婦――いや、今は看護師さんか――が入ってくる。少女の視線がそちらに移った。


「あら、今朝はご機嫌がいいのね」


 看護師さんが機械的な動きで少女の手首のリストバンドのバーコードをスキャンし、少女の細い腕にコードがつながったパッチを着けていく。

 ボクはその間、だまっている――しゃべってもいいのだが、口を閉じている。


「ねえ……」

「なに」


 視線を合わせずに自分の仕事をしている看護師さんに、少女はたずねた。


「窓の方……何か見える?」

「窓?」


 操作していた装置から看護師さんが目を離し、窓を背にしているボクの方を向いた。

 大丈夫だとわかっていても、一瞬、息を飲む。

 白いくつをパタパタと鳴らして近づいてきて――緊張しているボクの体をすり抜けて・・・・・、窓に手を当てた。


「カラッと晴れていていい天気ね」


 ボクの真後ろで看護婦さんの声がした。


「明日から夏休みでしょ。海水浴場もにぎわうわ」

「……誰か見えない?」

「ここからじゃ見えても遠くてわかるわけないでしょ。変な子ね」

「…………海……行きたいなぁ……」


 少女のつぶやきを無視し、データが採れたのを確認して看護師さんは病室を出て行った。


「――ふぅ」


 ボクは緊張を解く。見られないし聞かれないとわかってはいても、少女に見られ聞かれているという事実が、とことん緊張させてくれた。


「ね、言ったとおりだろう?」

「本当に見えないんだ……」


 私には見えてるのに、と音にならない声が聞こえた。


「それに体をすり抜けたわ。いないみたいに」

「ボクは霊体だから。集中を高めれば現世のものに干渉かんしょうできないでもないけれど、触ったものにほとんど力を込めることができないんだ。ボクが誰かに本気でなぐりかかっても、相手は風船でたたかれたくらいにしか感じないよ」

「――よかったぁ!」


 へ?


「私、心配していたの!」


 何を?


「ここ、女子専用の階でしょ。男の人は入れないようになってるから。あなたが見つかって追い出されないかなって、本当にドキドキしていたのよ」

「いや、だから」

「あっ、自己紹介がまだだったかな。私、早川しおり


 少女――栞はそう言って、「よろしくね」と首を傾げて笑って見せた。


「ああ、字、わかる? 栞っていうのは、本にはさむあれの――」

「……知ってる。キミの名前も経歴もみんなこの台帳……ファイルに書いてるんだ」


 ボクは胸ポケットから手帳の大きさのファイルを取り出し、彼女の目の前に突きつけた。


「キミがいつ誰の子どもとして生まれて、いつ、死ぬ予定になっているのか、全部書かれているんだ。――このファイルは、人の運命のファイルなんだよ」

「そうなんだ。死神さんだもんね。そうやって管理されているわけか。勉強になるなぁ」

「…………」


 ボクの口が一瞬、開いてしまう。結構重大な雰囲気をかもして言ったはずなのに、大風を巻く勢いで空振りさせられた気分だった。


「で、私、いつ死ぬことになってるの?」

「…………」


 自分が、いつ死ぬのか。

 そんなことを、何故にそんなに目をキラキラと輝かせて聞けるのか、こちらが怖くなるほどに嬉しそうな調子で、前のめりになって聞いてくる。


 ボクは怖かった。本当に怖かった。

 わからないというのは、怖くて、怖くて、怖い。


「あ……明後日あさって……七月二十二日……」

「ふぅん。でもおかしいな」


 そうだ。おかしいんだ。

 それがおかしいから、七月二十日という今日の日に、ボクはここに来たんだから。


「私――あと、余命が、二ヶ月はあるのよ?」

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