第2部:第6話 約束の祭り

 満天の星空が、山奥の寂れた村を優しく照らしている。『寛容の祭り』を経験した隼人と翼は、次なる手がかりを求めてこの村にやってきたのだ。


「ここが『約束の祭り』が行われる村か…」


 母・小百合の死の真相を追う旅の途中、二人は様々な妖狐の村を訪れてきた。その中でも、この『約束の祭り』は特別な意味を持ちそうだ。


 村の中心部へ向かう道中、翼が不思議そうに首を傾げた。


「ねえ隼人、この村、なんだか今までの村とは雰囲気が違うけど、『約束の祭り』ってどんなお祭りなのかな?」


「詳しいことは俺もわからないけど、妖狐たちにとって大切なお祭りのようだな。母さんも、昔話してくれたことがあった気がする…」


 隼人の瞳に、小百合を想うかすかなかげりが浮かぶ。深く大きな喪失の痛み。それはいまだ、隼人の心に深く刻み込まれていた。


 そんな隼人を、翼はさりげなく支えるように寄り添う。信頼できる相棒の存在は、隼人の心の支えになっていた。


 やがて二人は、村の中心部にたどり着いた。そこには、いつの間にか大勢の妖狐たちが集まり、何やら議論を交わしていた。


「隼人、妖狐たちは、集まって何かを真剣に話し合ってるね」


「ああ、祭りの準備かもしれないな。それにしても、ずいぶんと白熱した議論だ」


 そう言いながら、隼人は妖狐たちの様子を興味深そうに眺めていた。話し合いは時に声を荒げ、時に深くうなずきあう。それは、とても重大な話し合いのように見えた。


 ふと、一人の老妖狐が隼人と翼に気づき、にこやかに手招きした。


「おお、旅のお方。私は『約束の狐』。もしよければ、私たちの議論に加わって行かんかえ?」


「え? いいんですか? 俺たちは村の者じゃないのに」


 隼人が戸惑いを見せると、『約束の狐』は優しく微笑んだ。


「構いませんよ。私たちの祭りは、村の内外を問わず、皆で約束について考える場なんじゃから」


「約束について、ですか…」


「ええ。約束とはいったい何なのか。それを皆で議論するのが、『約束の祭り』の目的なんじゃ」


 隼人と翼は、『約束の狐』の言葉に心を動かされるのを感じた。約束の意味を探求すること。それは、二人が旅の中で問い続けてきたテーマに通じるものがあった。


「俺たちも、議論に参加させてください」


「そうだね。僕たちなりの視点を、皆さんと共有できたら嬉しい」


 隼人と翼は、妖狐たちの輪に加わった。白熱した議論の中、様々な約束の形が浮かび上がる。守られた約束、破られた約束、新たに生まれた約束。


 皆が口々に語る約束への想い。そこには、喜びも、悲しみも、後悔も、希望も渦巻いていた。


「約束は、時に重荷になる。でも、その重さこそが、約束の尊さを物語っているのかもしれない」


 ふと、『約束の狐』がつぶやいた言葉が、隼人の胸に強く響く。


 母との約束。仲間との約束。かけがえのないものを失わないと誓ったあの日の約束。


(約束の重さ…俺は、それを背負って生きていかなきゃならない)


 隼人は、改めて約束と向き合う覚悟を決めるのだった。議論の裏に、大切な人を想う妖狐たちの優しさを感じながら。


 そうして『約束の祭り』は、隼人と翼に新たな気づきをもたらした。


「約束について、皆で語り合えて良かったね。僕も、約束の大切さを改めて実感したよ」


「ああ。約束は、一人では守れない。皆の想いがあってこそ、約束は意味を持つんだな」


 二人は、満足げに頷き合う。こうして『約束の祭り』の一日は、実り多き時間となったのだった。


 宿に戻った夜、隼人と翼は旅の思い出を語り合っていた。絆を深める語らいは、いつの間にか約束への想いにも及ぶ。


「翼、俺は母さんとの約束を果たさなきゃいけない。いつか、必ず」


「うん。でも隼人、無理はしないでね。小百合さんは、きっと君を想って約束したんだと思う。君が幸せでいることが、小百合さんの願いなんじゃないかな」


「…母さんの、願い」


 隼人は、翼の言葉の深さに胸を突かれる思いだった。


(母さんは、俺の人生を、自由に生きることを望んでくれていたのかもしれない)


 そう思った時、隼人の胸に温かいものが広がっていく。


「俺は…この旅を通して、母さんの想いに、少しずつ近づけてるような気がする。約束を果たすってことは、そういうことなのかもしれないな」


「隼人…」


 じっと隼人を見つめる翼。二人の間には、言葉にできない深い絆が流れていた。


 その時。不穏な気配が、宿に忍び寄る。鞍馬の手下が、音もなく隼人と翼に近づいていたのだ。次の瞬間、闇に紛れた無数の手が、二人の身体をがっちりと捕らえた。


「な、何をする気だ!」


「隼人!」


 抵抗空しく、隼人と翼は気を失っていった。


 意識が戻った時、二人はどこかの部屋の中にいた。薄暗い空間の中、得体の知れない閉塞感に包まれている。


「ここは…?」


 隼人が周囲を見回すと、そこには不気味な輝きを放つ巨大な箱が鎮座していた。


「これは、何…?」


 翼が手を伸ばした時、直感だろうか。隼人は、その箱に恐ろしい感覚を覚えて、思わず叫んだ。


「翼! 待て!」


 だが、隼人の制止は間に合わず、箱の蓋が開く。眩い光に包まれた隼人と翼は、気がつくと見渡す限りの砂漠に立っていた。


「しまった…『絶望の箱庭』だ…! 鞍馬の…父上の仕掛けた罠だ…!」


 動揺を隠せない隼人。『絶望の箱庭』──その言葉は、鞍馬の陰謀を想起させる。絶望だけが支配するという、悪夢のような異空間。


 二人がしばらく砂漠をさ迷った後、そこへ、砂嵐と共に鞍馬の姿が現れた。


「ようこそ、『絶望の箱庭』へ。ここは私の創り出した、絶望に飲み込まれた者だけが辿り着く、特別な世界だ」


 不敵な笑みを浮かべる鞍馬。隼人は、怒りに身を震わせながら問いただす。


「父上…! 俺たちを閉じ込めて、何が目的だ!」


「フフフ、隼人よ。私は、お前に私の跡を継いでもらいたいのだ。そこから出たければ、妖狐の長になると約束しろ」


「ふざけるな! 俺は、あんたのような奴の跡なんか継ぐものか!」


 怒号が砂漠に木霊する。だが鞍馬は、悠然と告げた。


「ならば一生、その箱庭の中にいろ。その箱の中は、絶望が深いほど広くなる。今、お前たちは絶望に満ちているようだな」


 その言葉は、隼人と翼の胸に重くのしかかる。灼熱の太陽。渇きをもたらす砂塵。果てしなく続く砂丘。絶望が、二人の心を蝕んでいく。


「隼人、どうしよう…このままじゃ、箱庭から出られない…」


 翼の不安げな声。隼人は、砂に膝をついてうつむく。


(くそっ…母さんの死の真相を知る前に、こんなところで終わるわけにはいかないのに…!)


 だが、絶望の淵から這い上がる力が、もはや隼人には残されていなかった。


「さあ、約束をするのだ。私に忠誠を誓えば、その苦しみから解放してやると約束しよう」


 鞍馬の甘美な誘いが、隼人の心を揺さぶる。


(約束、か…。俺にはもう、約束を果たす力は残されていないのかもしれない…)


 心が疲れ果て、徐々に意識が朦朧もうろうとしていく。その時、ふと隼人の脳裏に、妖狐たちの議論が蘇った。


(約束は、一人では守れない。皆の想いがあってこそ、約束は意味を持つ)


 『約束の狐』の言葉。翼との語らい。『約束の祭り』で感じた、かけがえのない想い。


「隼人、諦めずにここから出よう」


 翼の言葉に、隼人が力強く立ち上がる。


「そうだな。俺は…負けない。俺は、約束を果たすまで、立ち止まるわけにはいかないんだ!」


 その瞬間、不思議なことが起こった。広大に広がっていた砂漠が、みるみる狭まっていくのだ。


「な、なんだこれは…!?」


 狼狽する鞍馬。砂漠が狭まるにつれ、『絶望の箱庭』の輪郭が浮かび上がってくる。


「こ、この空間が…隼人の強い意志によって歪められている…!?」


「そうだ。俺は絶望なんかしない。仲間との結束も、母さんとの約束も、俺の心の支えなんだ。そんな俺は、あんたなんかに負けるわけがないんだよ!」


 砂漠が消え去り、『絶望の箱庭』が崩れ去っていく。鞍馬の悲鳴が、虚しく砂塵に飲み込まれた。


「よくやったね、隼人!」


 翼が歓喜の声を上げる。隼人もまた、清々しい表情で微笑んだ。


「いや、これは俺一人の力じゃない。約束を果たしたいと願うみんなの思いが、俺に力を与えてくれたんだ」


 約束は、決して一人では守れない。支え合い、結び合う絆の力。それを教えてくれたのは、『約束の祭り』だった。


「さあ、真相を求めて、また旅を続けようか。俺には、約束を果たさなきゃいけないことがあるからな」


「うん、僕もついていくよ。小百合さんの無念を晴らすその日まで、二人で歩んでいこう」


 固い握手を交わし、隼人と翼は新たな一歩を踏み出す。


 小百合の死の真相。遥かなるその謎の先に、隼人の見つめる真実がきっとあるはずだ。


「待っててくれ、母さん。俺は必ず、翼と真実に辿り着いてみせる。それが、俺の約束だから…!」


 『約束の祭り』が、隼人の心に新たな道標となった。それは過酷な旅路を支える翼との、絆の意味を新ためて教えてくれたのだ。

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