第2部:第5話 寛容の祭り
遠く地平線上に浮かぶ山脈が、赤と紫のグラデーションで染まり、まるで刻々と変化する自然のカンバス上の絵画のように見える。妖狐の世界は、その妖しい美しさで知られていた。
隼人と翼が到着したこの村では、「寛容の祭り」の準備が着々と進行中だった。
村の長老である灰色の衣をまとった妖狐、『知恵の灰狐』が祭りの趣旨を説明する。
「寛容の祭りは、多様な価値観を持つ妖狐たちが集い、互いを認め合うことを目的としておるのじゃ。今年は特に、伝統派と変革派の対立が深刻化している中で、お互いの理解を深められればと思っておるんじゃよ」
隼人と翼は、興味深そうに耳を傾ける。
「ところで隼人君、君は伝統と変革、どちらが大切だとお思いかな?」
『知恵の灰狐』の問いかけに、隼人は少し考え込む。
「うーん…難しい質問ですね。でも、俺は改革していくことの必要性を感じています。時代に合わせて、価値観も変わっていくべきだと思うんです」
具体例を挙げながら、隼人は自分の考えを述べる。
「例えば、父が育った村では長年、男性が家長を務めるのが当たり前とされてきました。でも今は、女性が能力を発揮できる場も増えてきている。そういった変化を受け入れていくことが、社会の発展につながるんじゃないでしょうか」
隼人の意見に、『知恵の灰狐』は頷きながらも、一つ指摘をする。
「変革を求めることは大切だ。だが、伝統を守ることも忘れてはならない。先人たちの知恵は、長い時間をかけて積み重ねられてきたものなのだから」
すると、そこに翼が割って入る。
「おっしゃる通りだと思います。伝統を守ることは、文化を継承する上で欠かせないですよね。例えば、妖狐には火祭りの儀式があると聞きました。先祖代々、受け継がれてきた大切な行事ですよね。そういった伝統行事を守ることで、妖狐としてのアイデンティティを確認できると思うんです」
翼の意見を聞いた隼人は、少し眉をひそめる。
「確かに、伝統を守ることも大切かもしれない。でも、古い習わしに縛られ過ぎるのは良くないと思うんだ。だって、時代に合わなくなった伝統もあるだろう?」
隼人は、具体的な例を挙げて反論する。
「さっき例にあげた、父が育った村には、女性は外で働いてはいけないという風習もあったんだ。でも今は、そんな考えは時代遅れだ。女性だって、男性と同じように働く権利がある」
隼人の言葉に、『知恵の灰狐』は理解を示しつつも、もう一歩踏み込んだ意見を述べる。
「君の言う通り、時代に合わなくなった伝統は見直す必要がある。じゃが、全ての伝統を変革の名の下に壊してしまっては、文化の継承ができなくなってしまう。大切なのは、伝統の中から、守るべきものと変えるべきものを見極める目を持つことなんじゃよ」
『知恵の灰狐』の言葉は、隼人に新たな気づきを与えた。
「なるほど…見極める目か…。物事には、表と裏があるんですね。伝統を守ることと、変革を求めること。どちらも大切なことなんだ」
隼人は、伝統と変革のバランスの取り方について、深く考えさせられていた。一方の翼も、自分の意見を振り返る。
「僕も、伝統を守ることに固執し過ぎていたのかもしれない。時代に合わせて、変わっていくことも必要だよね」
二人の議論は、まだ結論が出ていない。しかし、お互いの考えを理解し合おうとする姿勢は、確実に芽生え始めていた。
そんな中、祭りの準備に狂いが生じる。
変革派のリーダー『紅蓮の狐』が、興奮した様子で広場に現れたのだ。
「もう伝統なんて、全部壊してしまえ! 新しい価値観こそが、妖狐の未来を切り拓く!」
『紅蓮の狐』の過激な主張に、広場は騒然とする。
対するは、伝統派の長『黒衣の狐』。怒りに震える声で、『紅蓮の狐』に反論した。
「愚かな…! 伝統を壊すことは、先祖を冒涜することと同じだ! お前のような若造に、妖狐の未来は託せない!」
伝統派と変革派の対立が、一気に加熱する。状況を憂慮した隼人と翼は、何とか収拾しようと二人の間に入る。
「ちょっと待ってください! 伝統と変革、どちらも大切なんです。対立するんじゃなくて、互いの良いところを認め合うべきだと思います」
隼人の言葉に、『紅蓮の狐』と『黒衣の狐』は一瞬、沈黙する。その時、広場の外から、不穏な気配が漂ってきた。
「隼人、何かが近づいてくる…! 危ない!」
翼の制止も間に合わず、一匹の妖狐が隼人に襲いかかる。
「隼人! お前は伝統派に与するのだ! 鞍馬様にお前をそうしむけるよう命じられている! その役目を果たせ!」
鞍馬の手下は、隼人の首をつかみ恐ろしい形相で脅しをかける。
だが、伝統派と変革派がお互いの価値観の違いを乗り越えようとしていた矢先の出来事に、隼人は激しい怒りを覚えた。
「こんな時に、伝統派に与しろだと…? ふざけるな!」
隼人の怒号と共に、鞍馬の手下との戦いが始まった。隼人は、怒りに任せて攻撃を繰り出す。
「俺は、伝統派にも変革派にも与しない! 互いを認め合うことが、本当の寛容だと思うんだ!」
隼人の言葉に、鞍馬の手下は冷笑を浮かべる。
「甘いな、隼人よ。寛容などという言葉に惑わされては、『妖狐の長』の器ではないぞ」
その言葉に、隼人は一瞬、動きを止める。
(『妖狐の長』…? まだ父上は諦めていないのか…?)
隼人の迷いに乗じて、鞍馬の手下が追撃をしかける。危機的状況に、翼が叫ぶ。
「隼人、しっかりするんだ! 君の信じる道を、曲げちゃいけない!」
親友の声に我に返った隼人は、改めて鞍馬の手下に立ち向かう。
「俺は、俺の信念を貫くだけだ。そもそも寛容の心を持つことこそ、『妖狐の長』になるなら必要だろうが!」
隼人の瞳に、揺るぎない意志の光が宿る。その姿に、鞍馬の手下は一瞬たじろぐ。
「ぐっ…! その精神力は、本物の『妖狐の長』のようだ…!」
鞍馬の手下との戦いは、隼人の勝利に終わった。倒れた鞍馬の手下に、隼人は問いかける。
「父上の目的は、一体何なんだ? なぜ、俺に伝統派に与しろと?」
しかし、鞍馬の手下は答えようとしない。そのまま、光の粒となって消えてしまった。
「くっ…! 何も、わからないままか…」
隼人が拳を握り締める。その肩に、翼の手が優しく置かれた。
「隼人、君は正しいことをしたんだ。寛容の心を持ち続けることが、本当の強さだと思う」
「翼…ありがとう。俺、迷わずに進むよ。父上の企みを阻止するために」
二人は固く手を握り合う。その姿を見ていた『知恵の灰狐』が、静かに語りかけた。
「隼人君、翼君。君たちの姿勢に、私は希望を感じたよ。伝統と変革、双方の価値観を認め合うことの大切さを、君たちは教えてくれた」
『知恵の灰狐』の言葉に、『紅蓮の狐』と『黒衣の狐』も頷く。
「確かに、我々は互いを認め合う寛容の心を忘れていたのかもしれない」
「伝統を守ることと、変革を求めること。どちらも大切なのだと、私は気づかされました」
二人の長の言葉に、村人たちからも同意の声が上がる。
「そうだ、私たちは手を取り合うべきなんだ」
「伝統と変革、互いの良さを認め合おう」
村に、寛容の心が芽生え始めていた。その変化を、隼人と翼は嬉しそうに見つめる。
「隼人、ほら。僕たちの思いは、ちゃんと伝わったんだよ」
「ああ、そうだな。でも、これはまだ始まりに過ぎない。本当の寛容の心を、もっと広めていかないとな」
その夜、隼人と翼は星空の下で語り合う。
「翼、俺は父上の企みを阻止する。母さんの無念を晴らすためにも、真実を知らなきゃいけない」
「うん、僕も一緒に戦うよ。でも隼人、無理はしないでね。君の命は、僕にとって…かけがえのないものなんだから」
そう言いながら、翼は胸の内で呟く。
(僕は、君を守りたい。この伝えられない想いも、全て君のためなんだ)
翼の想いを知らない隼人は、まっすぐに前を見据える。
「俺は、必ず真実にたどり着く。そして、人と妖狐が寛容の心で結ばれる世界を作るんだ」
『寛容の祭り』での出来事は、隼人に新たな決意をもたらした。
伝統と変革、相反する価値観を乗り越えるためには、互いを認め合う寛容の心が必要だ。その学びを胸に、隼人と翼は、真実への道を切り拓いていく。
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