第2部:第7話 親和の祭り
山間の小さな村に、隼人と翼の姿があった。村は『親和の祭り』を翌日に控え、準備の真っ最中だ。
「ねえ隼人、『親和の祭り』ってどんなお祭りなのかな?」
色とりどりの飾りつけを眺めながら、翼が尋ねる。先に立ち寄った村の妖狐から、この祭りの存在は聞いていたのだ。
「妖狐たちが互いの絆を確かめ合う、特別な祭りらしいけど…」
しかし隼人の言葉は、どこかぼんやりとしていた。
(絆、か…。俺にとって、それは一体何なんだろう…)
ふと脳裏に浮かぶのは、幼い頃の記憶。母・小百合と過ごした、あの懐かしい日々だ。
「…ねえ隼人、僕は君にとって、特別な存在になれているのかな」
不意に、翼がつぶやくように言った。隼人は驚いて、振り向く。
「なんでそんなこと言うんだ?」
「だって、君は妖狐との絆ばかり大切にしているように見えるから…」
翼の瞳に、寂しげな色が宿る。隼人は狼狽えて、言葉を探した。
「そ、そんなことないぞ。俺にとって、お前は…かけがえのない親友だ」
その言葉に、翼の表情が少し明るくなる。
「…ありがとう、隼人。僕も、君のことが──」
そこまで言いかけて、翼は急に口をつぐむ。まるで、本当に言いたかったことを飲み込むように。
「僕も、君の親友でいられて嬉しいよ」
やがて翼は、いつもの穏やかな笑顔を取り戻した。隼人は安堵しつつも、今まで感じたことのない物足りなさのようなものを感じていた。
(翼は、俺のことをどう思ってるんだろう…)
そんな隼人の思いを知る由もなく、翼は先に歩き出す。
「ほら隼人、祭りの準備の手伝いでもしに行こうよ」
「あ、ああ…そうだな」
隼人は曖昧な返事をして、翼の後に続いた。
二人が向かったのは、村の広場だ。そこでは、妖狐たちが舞台の準備に追われている。隼人は、そんな妖狐たちに声をかけた。
「あの、『親和の祭り』の準備、なにか手伝えることありませんか?」
「ほう、旅のお方。それは助かります」
妖狐の長老が、穏やかに微笑む。
「僕たち、できる限りのことはしたいと思います」
そう言って、翼も真摯な眼差しを向ける。
「うむ、ありがたい。ところで若者よ、『親和』とは一体何だとお思いかな?」
長老の問いに、隼人は少し考え込んだ。
「妖狐たちが、互いを思いやり、信頼し合うこと…だと思います」
「なるほど。では、人間にとっての『親和』とは?」
「人間も同じですよ」
そう翼が口を挟む。
「互いを理解し、支え合うこと。それが、人間の社会でも大切にされています」
しかし長老は、意外そうに目を見開いた。
「ほう、それは興味深い。だが、妖狐にとっての『親和』は、もう少し深い意味があるのだよ」
「深い意味…?」
隼人が眉をひそめる。
「妖狐は、互いの心の奥底まで理解し合おうとする。喜びも、悲しみも、痛みも、全てを分かち合うんじゃ」
長老の言葉に、隼人と翼は息を呑んだ。
「それこそが、妖狐にとっての『親和』なのだよ」
長老は、二人をまっすぐに見据えて言う。
「はい、よくわかりました」
と、翼が深々と頷く。
「妖狐の『親和』は、人間の常識とは異なるんですね」
しかし隼人は、どこか釈然としない様子だった。
「でも、そこまで相手を理解するのは、難しいんじゃないですか?」
ふと、隼人は翼との関係を思い浮かべていた。
(俺と翼だって、完全に理解し合えているわけじゃない…)
すると長老は、優しく微笑んだ。
「難しいことだろうの。だからこそ、妖狐たちは『親和の祭り』を大切にしておるんじゃ」
「『親和の祭り』が、妖狐たちの絆を深める場なんですね」
翼が感心したように呟く。
「その通りじゃ。特に明日は、『絆の踊り』が行われる」
長老の言葉に、隼人の目が輝く。
「『絆の踊り』…! それって、妖狐たちが心を通わせる踊りですよね」
「お、よく知っているな。その踊りを通して、妖狐たちは互いの魂を結びつけるのだ」
魂を結びつける。その言葉に、隼人の胸が高鳴る。
(母さんとの絆も、この踊りで深められるんじゃないか…?)
そう直感した隼人は、長老に頭を下げた。
「その踊り、俺たちにも参加させてください!」
隼人の唐突な申し出に、翼が驚く。
「ちょ、ちょっと隼人。急すぎるよ」
しかし隼人は、真剣な面持ちで長老を見つめている。
「俺は、母との絆を確かめたいんです。それに、妖狐の心に触れることで、人と妖狐の架け橋にもなれるはず」
隼人の言葉は、固い決意に満ちていた。それを感じ取った長老は、静かに瞳を閉じる。
「…わかった。じゃが、その踊りは生半可な覚悟では踊れん。君たちに、それだけの心構えはおありかな?」
「はい、覚悟はできています」
隼人は迷いなく答えた。
「俺は、母との絆を胸に、真剣に踊ります。仲間を疑うような真似は、絶対にしない」
その凛とした姿勢に、長老は頷く。
「よし、ならば特別に、踊りの参加を許可する。じゃが、君たちの絆が本物かどうか、しっかり見定めさせてもらうゆえ、ご覚悟なされよ」
「…わかりました」
長老の言葉に、翼もようやく同意する。
「僕も隼人と一緒に、精一杯踊ります。僕たちの絆を、証明してみせますね」
そう言って翼は、隼人の手を握った。隼人もまた、翼の手を力強く握り返す。
こうして二人は、『絆の踊り』への参加を許された。しかし、本当の試練は、これから始まるのだ。
村を出た隼人と翼。山道を歩きながら、互いの思いを打ち明け合う。
「隼人、どうして急に踊りに参加したいなんて言い出したの?」
不安げな翼の問いかけに、隼人は空を見上げて答えた。
「母さんとの思い出を、もう一度たぐり寄せたかったんだ」
「小百合さんとの…思い出?」
「ああ。母さんは人間と妖狐の結婚で、色々と苦労したらしい。それでも、妖狐の心を忘れず、絆を大切にしていた」
そう語る隼人の瞳は、郷愁に満ちている。
「隼人にとって、小百合さんは特別な存在なんだね」
そんな隼人を、翼はじっと見つめていた。
(僕は、小百合さんのような特別な存在には、なれないのかな…)
ふと脳裏をよぎるのは、隼人との日々の思い出。
冒険の途中で見た美しい景色。隼人の無茶に振り回され、でもいつも助けられた瞬間。
(あの時、隼人の笑顔を見て、僕は隼人のことを大切に想う気持ちがもっと大きくなったんだ…)
翼の胸に去来する淡い思い。けれど、それを隼人に打ち明ける勇気はない。
「翼、どうかしたのか? 顔が赤いぞ」
不意に隼人が覗き込んできて、翼は慌てて顔を背ける。
「な、何でもないよ。ただ、明日の踊りのことを考えていたら、緊張してきて…」
「大丈夫だ、お前となら乗り越えられる。俺たちは最高のパートナーだからな」
隼人が元気よく言うと、翼の心がきゅっと締め付けられる。
(パートナー…か。僕はいつまでも、隼人の隣にいられるんだろうか)
そんな不安を隠して、翼は柔らかく微笑むのだった。
夜。語らいの末にたどり着いた宿で、隼人と翼は静かに目を閉じる。窓の外では、満天の星が瞬いていた。古えの妖狐たちの魂が、空に輝いているようだ。
隼人の脳裏に浮かぶのは、小百合の優しい笑顔。
(ああ、母さん。俺は今、妖狐の里を旅しているんだ。あなたが大切にしていた、妖狐との絆を感じながら)
隼人の胸に、小百合を思う気持ちがあふれる。
(だから安心して。俺は、あなたの想いをしっかり受け継ぐよ)
心の中で母に誓う隼人。その隣で、翼も目を閉じていた。
しかし翼の心は、穏やかではない。
(僕には、特別な人がいない。隼人と違って、家族との絆も、恋人もいない)
ぽつりと濡れるのは、寂しさの涙。
(本当は、隼人のことが──)
そこまで思いを馳せて、翼は唇を噛む。
(ダメだ、僕はこんな気持ちを抱いちゃいけない。隼人には、もっと大切な使命があるんだから)
胸の奥を引き締め、翼は隼人への思いを飲み込むのだった。
やがて、二人とも夢の中へと旅立っていく。隼人の夢の中に現れるのは、小百合だ。
「隼人、よく来てくれたね」
小百合は、いつもの優しい微笑みを浮かべている。
「母さん…」
隼人は、たまらなくなって小百合に抱きつく。
「ああ、隼人。あなたはすっかり立派になったね」
小百合は、愛おしそうに隼人の頭を撫でる。
「母さん、俺は明日、妖狐たちの『絆の踊り』に参加するんだ」
そう言うと、小百合の表情が驚きに染まる。
「まあ、あの神聖な踊りに? それは大変な試練になるわ」
「でも、俺は母さんとの絆を胸に、踊り抜く。必ず、妖狐の心に触れてみせるよ」
隼人の力強い言葉に、小百合は嬉しそうに頷く。
「ええ、あなたならできるわ。だってあなたは、私の大切な息子だもの」
小百合に抱きしめられ、隼人の体が温もりに包まれる。
「…でも、ひとつだけ忘れないでね」
ふいに、小百合の口調が真剣なものに変わる。
「隼人、あなたには翼という、かけがえのない存在がいるのよ」
「え…?」
予想外の言葉に、隼人は目を丸くする。
「翼は、いつもあなたを想って、支えてくれている。その想いに、もっと気づいてあげて」
「翼の、想い…」
隼人の脳裏に、翼の笑顔が浮かぶ。いつも優しく、時に寂しげな、あの表情。
「そうだな、俺は翼の気持ちを、ちゃんと理解できていなかったかもしれない」
隼人は、胸の奥に後悔の念がよぎるのを感じる。
「ええ。だから明日の踊りでは、翼の心にもしっかり寄り添って。二人の絆を、もっと深めるのよ」
優しく諭す小百合に、隼人は力強く頷いた。
「…わかったよ、母さん。俺、翼のことももっと大切にする。俺たちの絆を、誰にも揺るがせないくらい強いものにしてみせるから」
その言葉に、小百合は満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、隼人。あなたと翼の絆が、きっと素晴らしいものになることを信じているわ」
そう言って小百合は、隼人の額にキスをした。
「さあ、あなたの旅を続けなさい。私はいつでも、あなたたちを見守っているから」
小百合に手を振られ、隼人の意識は現実へと引き戻される。目覚めた隼人の頬を、一筋の涙が伝っていた。
(母さん、ありがとう。俺、もっと素直になるよ)
隣で眠る翼を見つめ、隼人は新たな決意を胸に刻むのだった。
翌朝。いよいよ『親和の祭り』の幕が開ける。広場には大勢の妖狐が集まり、皆わくわくとした面持ちだ。その中に、隼人と翼の姿もあった。
「隼人、いよいよだね」
翼が隼人の顔をのぞき込む。その瞳には、些細な不安の色が浮かんでいる。
「翼…」
隼人は翼の肩に手を置き、真っ直ぐに告げた。
「翼、いつもありがとう。お前がいてくれるから、俺はここまで来られた」
「隼人…!」
思いがけない言葉に、翼の瞳が潤む。
「昨日は、お前の気持ちを考えられなくてごめん。でも、今日は違う。俺たちの絆を、この踊りで証明するんだ」
「…うん!」
翼は堪えきれずに隼人を抱きしめた。隼人も、力強く翼を抱き返す。
「さあ、行こう。俺たちの『絆の踊り』を」
「うん、僕たちなら、必ずできるよ」
固く手を握り合い、二人は『絆の踊り』の輪へと飛び込んでいく。
生命の息吹を感じさせる、美しくも激しい舞。隼人と翼は、魂を解き放つように踊る。隼人の脳裏に、小百合と過ごした日々が鮮やかによみがえる。
(母さん、あなたが教えてくれた絆の意味、今ならわかる気がする)
隼人はふと、目の前で踊る翼に視線を向ける。一心不乱に舞う翼の姿は、まるで天馬のようだ。
(翼、お前のことは、心からかっこいいと思う。お前は、俺の大切な「絆」なんだ)
その想いを舞に乗せ、隼人は翼の手を引き寄せる。
「うっ…! 隼人…?」
不意に手を取られ、翼が驚く。しかし隼人は、優しく微笑むだけだ。
「翼、お前は特別なんだ。母さんとも違う、俺の『絆』」
その言葉に、翼の瞳が潤んでいく。
「隼人…僕も、君は特別だよ。誰よりも、大事な人だ」
そっと寄り添うように、二人の舞は美しく重なり合う。やがて、最後の音が消えた。しんと静まり返る広場に、大きな拍手が沸き起こった。
「おお、なんと見事な舞だ!」
「彼らこそ、真の絆で結ばれておる!」
妖狐たちに祝福を受け、隼人と翼は感極まって抱き合う。
「僕たち、やったね…!」
「ああ、最高の舞だった。母さんも、空で喜んでくれているはず」
額を合わせ見つめ合う二人。『絆の踊り』で結ばれた絆は、この先どんな困難があろうと、決して揺るがないだろう。
こうして『親和の祭り』は幕を閉じた。妖狐の長老に見送られ、隼人と翼は新たな旅立ちの準備を整える。
「よく頑張ったな、若者たち。君らの絆は、本物だと認めよう」
長老が、満足そうに告げる。
「ありがとうございます。妖狐の『親和』、俺たちなりに学ばせてもらいました」
隼人が礼を言うと、長老は意味ありげに微笑んだ。
「いや、私たちも君らに教わったよ。人間と半妖、その垣根を越えた絆の尊さをね」
その言葉に、隼人と翼は驚きに目を見開く。
「わしは君たちの活躍に期待しておる。必ず、人と妖狐をつなぐ架け橋となっとくれ」
「…はい! 私たちなりのやり方で、その理想を目指します」
力強く宣言する隼人に、翼も深く頷く。
「さあ行け、若者たち」
長老に背中を押され、二人は寄り添いながら再び歩み始める。
(この絆は、誰にも壊させない。母さん、見ていてくれますか。俺と翼の冒険を)
空を仰ぎ、隼人は心の中で小百合に語りかけるのだった──。
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