第2部:第9話 献身の祭り

 隼人と翼が辿り着いたのは、霧深い山あいの村だった。村はこれから始まる「献身の祭り」の準備中だという。


「献身の祭りか…。一体どんなお祭りなんだろうな」


 不思議そうに首を傾げる隼人に、翼もまた興味をそそられる。


「きっと、誰かのために自分を捧げることの尊さを讃える祭りなんじゃない?」


 二人が想像を膨らませていると、一人の妖狐の女性が近づいてきた。


「初めまして、旅の方。私はこの村の巫女『祈りの狐』と申します」


 艶やかな黒髪を持つ『祈りの狐』は、凛とした佇まいで二人を見つめる。


「あの、私たちは人と妖狐の絆を探る旅をしているんです。よかったら、お祭りに参加させてもらえませんか?」


 翼の頼みに、『祈りの狐』は静かに目を閉じる。


「うーん。『献身の祭り』は妖狐にとって、とても大切な行事。むやみに部外者を入れるわけにはいきませんが…」


 言葉を切った『祈りの狐』は、隼人と翼を見つめ直した。


「お二人の目には、献身の覚悟が宿っている。なら、特別に参加を許可しましょう」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 喜ぶ隼人と翼に『祈りの狐』は注意を促す。


「ただし、祭りの最中は私の指示に従うこと。自分の身は、自分で守るのですよ」


「は、はい! わかりました!」


 力強く頷く二人。こうして隼人と翼は、村人たちと共に祭りの準備を手伝うことになった。


 祭壇の設営、供物の調達、舞の練習…。皆で力を合わせ、着々と祭りの準備が整っていく。隼人と翼も村人たちに教わりながら、一生懸命準備を進めていった。


「ふぅ、これで準備万端だな。あとは夜を待つばかりだ」


 腰を伸ばして一息つく隼人に、翼が感心の眼差しを向ける。


「隼人、村の人たちと協力して準備ができたね。僕たちも少しは役に立てたかな」


「ああ、村の人たちのおかげで何とか手伝いできたよ。みんな優しくて、色々教えてくれたからな」


 そう語る隼人の瞳には、村人たちへの感謝の気持ちが宿る。


「ふふ、隼人が皆と心を通わせている。きっと、それも献身の心なんだろうね」


 微笑む翼に、隼人も柔らかな表情を見せる。


 そんな中、賑やかな村に不穏な影が忍び寄っていた。


「ククク…隼人よ、お前の邪魔をしてやる…」


 姿を隠したまま、鞍馬が不敵な笑みを浮かべる。


「せっかくの祭りを、少しばかり騒がせてやるわ…」


 そうささやくと、鞍馬は何かを呟いた。すると、祭壇の周りに濃い霧が発生し始める。


「な、なんだこの霧は!? さっきまでこんなことは…」


 突然の異変に、村人たちが困惑の声を上げる。


「これは、悪い妖狐の仕業ですね。私たちを妨害しようとしている者がいるようです」


 『祈りの狐』が静かに告げる。その言葉に、隼人が身を乗り出した。


「妖狐の仕業だって!? まさか、父上、あんたなのか!? なんで俺たちの邪魔をする!」


 憤る隼人に、鞍馬の高笑いが響き渡る。


「ははは! 隼人よ、お前はまだ気づかないのか? お前が妖狐の長となる運命から、逃れられないことにな!」


「な…! あんたは、まだそんなことを言ってるのか!」


「何度でも言うぞ。お前が妖狐の長の力を持てば、こんな霧、すぐに晴らせるわ」


 「なんだと…!」


「いつまで、無力な半妖のままでいるのだ。妖狐の長となり、力を示せ!」


「く…! 嫌だ! 俺は何度でも言う、自分の人生は自分で決めると!」


「ならば、この霧で祭りを台無しにしてやろう。私を敵に回した報いを受けるがいい!」


 そう宣言すると、鞍馬の姿が闇に紛れて消えた。


「ま、待てぇぇぇ!」


 怒りに任せて駆け出す隼人。しかし、濃い霧にすぐに行く手を阻まれてしまう。


「くっ…こんな霧では、前が見えない…!」


「隼人、落ち着いて! 力づくでは、霧は晴れないよ」


 隼人の腕を掴み、翼が必死に制する。


「みなさん、祭りの続行は難しそうですね。一旦、祭壇に集合しましょう」


 『祈りの狐』の呼びかけに、村人たちが一カ所に集まってくる。


「このままでは、祭りができない…。どうすればいいんだ…」


 焦る隼人に、『祈りの狐』が言葉をかける。


「隼人、翼。お二人の力を貸してほしいのです」


「僕たちにできることがあるんですか?」


「ええ。霧を晴らすには、悪い妖狐の力に匹敵する強い念が必要なのです」


 そう告げる『祈りの狐』の瞳は、真剣そのものだった。


「お二人の中に宿る、献身の心。その力があれば、必ず道は開けるはず」


「献身の心…。僕たちが祭りで披露する、その力ですか?」


「そうです。今こそお二人には、自らを捧げ尽くす覚悟を示してほしいのです」


 『祈りの狐』の言葉に、隼人と翼は見つめ合う。


「隼人…やるしかないね」


「ああ、僕たちが引き受けた以上、最後までやり遂げるさ」


 力強く頷き合う二人。やがて隼人が、村人たちに向かって宣言した。


「みんな、聞いてくれ! 僕と翼が、必ず霧を晴らしてみせる!」


「そのためにも、みんなの力を貸してほしい。僕たちと一緒に、この霧に立ち向かおう!」


 隼人の言葉に、村人たちの目に希望の光が宿る。


「そうだ、私たちも力を合わせましょう!」


「お二人が先導してくれるなら、何も怖くない!」


 歓声が上がる中、隼人と翼は祭壇の前に立った。二人の胸には、『献身の証』である勾玉が光る。


「翼、行くよ!」


「うん、僕はいつでも隼人の隣にいるから!」


 固く手を握り合う隼人と翼。


 二人の想いを乗せた、祭りの舞が始まろうとしていた。鞍馬の妨害を跳ね除け、献身の心で霧を晴らすのだ。神聖な舞の調べが響き渡る中、隼人と翼は祭壇の前で舞い始めた。


 二人の動きは、まるで一心同体のように呼応し合う。


 隼人の力強い所作と、翼の優美な舞。それは献身の心そのものを表現しているかのようだった。


「俺たちの想いよ、届け…!」「この身を捧げ、みんなを守る…!」


 隼人と翼の声が重なる。すると、不思議なことが起こった。


 二人の胸に光る勾玉が、眩い輝きを放ち始めたのだ。


「これは…『献身の証』が、力を発揮し始めたのか…!?」


 『祈りの狐』が驚きの声を上げる。勾玉の光は次第に広がり、辺り一面を優しく照らし出す。その光に導かれるように、濃い霧が晴れていく。


「み、皆さん、見てください! 霧が晴れていく…!」


「お二人の舞が、霧を払ってくれているんだ…!」


 歓喜の声が上がる中、隼人と翼は舞に没頭していた。


(みんなの笑顔を、守りたい…!)


(この身を捧げても、悔いはない…!)


 献身の想いを胸に、二人は限界まで舞を続ける。


 やがて最後の一音が消えた時、辺りには一片の霧もなくなっていた。


「や、やったぞ! 霧が完全に晴れたぞ!」


「お二人の舞のおかげだ! ありがとう、隼人、翼!」


 歓声に包まれる中、隼人と翼は感極まって抱き合う。


「翼、俺たちの想い、届いたんだ…!」


「うん…! みんなを守れて、本当に良かった…!」


 そんな二人を、『祈りの狐』が優しく見つめていた。


「隼人、翼。改めて、あなた方の献身の心に感謝します」


 深々と頭を下げる『祈りの狐』に、隼人は照れくさそうに頬を掻いた。


「いや、僕たちは当然のことをしただけです。祭りを守るのも、僕たちの役目ですから」


「ええ。それに僕たち、村の皆さんともっと一緒にいたいんです。この絆を、大切にしていきたいから」


 翼の言葉に、『祈りの狐』は柔らかな笑みを浮かべる。


「あなた方の絆は、人と妖狐を超えたものになるでしょう。これからもその想いを胸に、歩んでいってください」


 その言葉に、隼人と翼は力強く頷くのだった。こうして『献身の祭り』は、無事に幕を下ろした。


 村人たちの見送りを受け、隼人と翼は新たな旅立ちの準備を整える。


「隼人、翼。今日起こった出来事は、一生忘れません」


「ええ。あなた方が私たちに、献身の本当の意味を教えてくれました」


 涙ながらに別れを惜しむ村人たち。隼人と翼もまた、名残惜しそうに手を振る。


「俺たちこそ、たくさんのことを学ばせてもらいました。この経験は、必ず生かしていきます」


「皆さんとの絆も、ずっと大切にします。いつか、また会える日を楽しみにしています」


 固い握手を交わし、隼人と翼は旅立っていった。


 二人の背中を、村人たちの温かな声援が送り出す。山道を歩きながら、ふと隼人が立ち止まった。


「俺は、鞍馬の言葉に惑わされるところだった…」


「どういうこと…?」


「俺はもっと自由に生きていいんだよな」


 隼人の瞳は、新たな光に満ちている。


「そうだね。隼人の人生は、隼人自身が決めるもの。誰にも、縛られたりしない」


 そっと寄り添う翼に、隼人は優しく微笑んだ。


「ありがとう、翼。君がいてくれるから、僕は迷わずにいられる。これからも二人で、自分たちの道を進もう」


「うん…! 僕はいつまでもどこまでも、隼人の隣にいるからね」


 歩みを止めて見つめ合う隼人と翼。『献身の証』が、二人の胸で輝きを増す。夕焼けに照らされたふたりの横顔は、何よりも美しく輝いていた──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る