第2部:最終話 信念の祭り

 長い旅の末、隼人と翼はついに妖狐の世界の中心に辿り着いた。そこは神聖な祭壇が設えられた広場だ。


 今宵はこの地で、『信念の祭り』が行われるのだという。


「ねえ隼人、『信念の祭り』ってどんなお祭りなの?」


 きらびやかな装飾を眺めながら、翼が問いかける。


「妖狐たちが、自らの信念を語り合う祭りなんだ。互いの想いを共有し、絆を深め合うことが目的らしい」


 隼人の説明に、翼は興味深そうに頷く。


「へえ、皆で思いを語り合うんだ。素敵な祭りだね」


 そう言いつつも、翼の心中は晴れやかとは言えなかった。


(本当の信念なんて、僕にはあるのかな…)


 自問する翼。脳裏に浮かぶのは、隼人への秘めた想い。しかしそれを、信念と呼ぶだけの自信が持てずにいた。


「翼、大丈夫か? 元気がないぞ」


 沈む翼を心配そうに覗き込む隼人。その優しさに、翼は慌てて笑顔を作る。


「ううん、なんでもない。ただ少し、緊張してるだけ」


 取り繕う翼に、隼人は半信半疑の表情を浮かべる。だが追及はせず、ただ力強く告げた。


「俺は翼と一緒なら、どんなことでも乗り越えられる。だから安心してくれ」


 その言葉に、翼の胸がきゅっと締め付けられる。


(僕だって隼人となら、何だってできる。…でも)


 隣で微笑む隼人を、翼は切なげな眼差しで見つめるのだった。やがて祭りが始まり、妖狐たちが次々と壇上へと上がっていく。


「私の信念は、仲間を何があっても守ること!」


「俺は強さを追い求め続ける!」


 堂々と己の信念を語る妖狐たち。その姿を見つめる隼人の瞳は、静かに輝いていた。


(妖狐たちは皆、自分の信念を胸に生きている。なら、俺だって…)


 隼人の脳裏に浮かぶのは、母・小百合の穏やかな笑顔だ。


(母さんが最期に望んだ世界。人と妖狐が分かり合える、そんな世界を作ることが俺の信念だ)


 心の中で強く誓う隼人。その決意に満ちた横顔を、翼はじっと見つめていた。


(隼人は、もうちゃんと自分の信念を持っている。すごくかっこいい…)


 翼も負けじと、必死に自分の信念を探る。


(僕の、僕の信念は…)


 しかし、なかなか答えは見つからない。焦る翼とは対照的に、隼人は自信に満ちた表情で長老に告げた。


「俺の信念は、人と妖狐の架け橋となること! 母さんの遺志を継いで、共に生きる世界を作る!」


 隼人の力強い言葉に、妖狐たちがどよめく。


「おお、なんと崇高な信念だ!」


「あなたこそ、真の妖狐の友!」


 賞賛の声が、広場に響き渡る。その姿を見て、翼は羨望の眼差しを向けずにはいられなかった。


(僕も、隼人のようにはっきりとした信念が欲しい。自分の存在意義が、わかるような…)


 すると、ふいに翼の耳に囁きが聞こえてきた。まるで、風の音のような、優しい囁き。


(信念とは、君の大切な人を想う気持ち。それが君の生きる意味になるはずだよ)


「えっ…! 今の声は…」


 驚いて周りを見回すが、その声の主は見当たらない。まるで天からのメッセージだったかのように。


「僕の、大切な人…」


 つぶやいて、翼は隣の隼人をちらりと盗み見する。


(そうか、僕にとって隼人が、かけがえのない存在なんだ。隼人を想う気持ちが、僕の生きる意味なんだ!)


 翼の心に、かつてない熱い思いがこみ上げてくる。ならば、それを隼人にちゃんと伝えなければ。


 翼は勇気を振り絞り、隼人の手を握った。


「隼人、僕からも話させてもらえる?」


「え、ああ、もちろんだ」


 不意を突かれたような隼人に、翼は真剣な眼差しを向ける。


「僕、ようやく気付いたんだ。僕の信念は──」


 そこまで言ったところで、翼は一度だけ深呼吸をした。


「僕の信念は、隼人と生涯を共にすること! これからもずっと、隼人を支え続けたい!」


 翼の言葉に、隼人の瞳が大きく見開かれる。


「翼…お前…」


 その時、ざわめきが広場を包んだ。なんと、壇上に小百合の幻影が現れたのだ。


「母さん…!? どうして…」


 愕然とする隼人に、小百合は優しく微笑みかける。


「隼人、よくぞここまで来てくれました」


 その声は、まるで子守唄のように隼人を優しく包み込むものだった。


「母さん、一体どういうことなの…?」


 隼人の問いに、小百合は穏やかに答える。


「あなたに、真実を伝えに来たのです」


「真実…?」


 そう言って、小百合はゆっくりと語り始めた。


「隼人。あなたが生まれた時、私はある事実を知りました。あなたには『妖狐の長』の力が宿っている、と」


 その衝撃の事実に、隼人は言葉を失う。


「『妖狐の長』…? 俺が…?」


「ええ。あなたは生まれながらにして、妖狐の世界の王となる運命を背負っていたのです」


 小百合の告白に、隼人の脳裏が真っ白になる。


「でも私は、あなたにはその宿命に縛られず、自由に生きてほしいと願っていました」


 哀しげに微笑む小百合。隼人は震える声で問う。


「だから母さんは、俺の代わりにその宿命を引き受けた…?」


「いいえ、少し違うのです」


 小百合は静かに首を振る。


「私はもともと、長く生きられる体ではなかった。あなたに『妖狐の長』の力を継がせれば、私は命を長らえることができたのです。でも、それは嫌だった」


 その事実を告げられ、隼人は絶望に打ちひしがれる。


「そんな…! 母さんは俺のために、自分の命を…」


「私は、あなたに自由な人生を歩んでほしかった。だから、あなたに力を継がせることを選ばなかったのです」


 小百合の瞳からは、深い愛情が溢れていた。


「私の命と引き換えに、あなたは自由を手に入れた。それが、私の選択でした」


「母さん…!」


 隼人の頬を、悔し涙が伝う。


 傍らで聞いていた翼も、堪えきれずに嗚咽を漏らしていた。


「小百合さん…! なんて、哀しい…」


 すると小百合は、翼をも優しく見つめた。


「翼、君も泣かないで。隼人には君という、かけがえのない存在がいるのですから」


 翼の名を呼び、小百合は続ける。


「君が隼人を支えてくれる。隼人はもう、一人じゃないのですよ」


 その言葉に、翼の瞳からも涙が溢れた。


「小百合さん、僕…」


「ええ。お願いします、翼。これからも隼人の傍で、支え続けてあげて」


 そう告げる小百合に、翼は堪えきれずに駆け寄った。


「…! はい、約束します…! 僕は生涯、隼人と共にあります…!」


 泣きじゃくる翼を、小百合は優しく抱きしめる。


「ありがとう、翼。君のその想いが、私の心を救ってくれました」


 そっと翼を手放すと、小百合は再び隼人に向き直った。


「隼人、あなたの人生はあなたのもの。私があなたに望むのは、ただ一つ」


「母さん…」


 小百合は、息子を見つめながら続ける。


「どうか、あなたの信念を胸に生きてください。人と妖狐が手を取り合える世界を、あなたなりのやり方で作っていってください」


「…うん。約束するよ、母さん。俺、必ずその世界を作ってみせる。翼と一緒にね」


 力強く宣言する隼人に、小百合は安堵の笑みを浮かべる。


「ええ、そうですね。翼と一緒なら、あなたはきっとやり遂げられる」


 そう言い残すと、小百合の姿が光の粒へと変わっていく。


「さようなら、隼人。あなたの幸せを、心から願っています…」


「母さん…! ありがとう…!」


 隼人の叫びを最期に、小百合の魂は夜空高く昇っていった。


 その場に、感動に包まれた妖狐たちの姿があった。


「なんという、母の愛…!」


「あの方は息子のために、命をも惜しまなかった…!」


 しんみりとした空気が広場を支配する中、隼人は翼の手を堅く握った。


「翼、聞いてくれ。俺の、新たな信念は決まった」


「隼人…」


「俺は、母さんの遺志を継ぐ。人と妖狐が分かり合える世界を、この手で作り上げる」


 燃えるような決意を秘めた瞳で、隼人は宣言する。


「俺一人の力では無理かもしれない。だが、君と一緒なら…」


「僕も」


 翼が、隼人の言葉を引き継ぐ。


「僕も、小百合さんの想いを胸に生きる。そして何より隼人、君を支え続けることが僕の信念だ」


 その言葉に、隼人は感極まって翼を抱きしめた。


「翼…! ありがとう…! 俺は君と生きていく。必ず幸せにするから…!」


「隼人…! 僕もだよ。君と生きることが、僕の幸せなんだ…!」


 互いを強く抱き合う二人。


「なんと美しい絆だ…!」


「あいつら、まさに運命の二人だな!」


 広場では、感動に包まれた妖狐たちが二人を見つめていた。祝福の声が、あちこちから上がる。


 照れくさそうに頬を赤らめる隼人に、翼も微笑みかける。


「ほら隼人、みんなが僕たちを認めてくれているよ」


「あ、ああ…嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいな」


 そんな隼人の手を、翼がぎゅっと握る。


「隼人、君は誰かに認められなくたっていいんだ。僕が君を、ずっと愛し続けるから」


 翼のストレートな愛の言葉に、隼人は胸が熱くなるのを感じた。


「翼…ありがとう。俺も、君を守り続ける。たとえ、世界中の誰もが俺たちを認めなくても…」


 隼人は翼の手を引くと、妖狐たちに向かって宣言した。


「みんな、聞いてくれ! 俺と翼は、新しい世界を目指す! 人と妖狐が、互いを分かり合える世界を!」


 隼人の言葉に、妖狐たちがどよめく。


「おお、なんて勇気ある宣言なんだ!」


「あいつらなら、その理想、きっと実現できるよ!」


 大歓声が広場に響き渡る。


 その熱気に後押しされるように、隼人は翼の手を高々と掲げた。


「翼、行こう。俺たちの、新たな旅の始まりだ!」


「うん、隼人! 僕は君と共に、どこまでも!」


 輝くような笑顔を交わし合う二人。その姿に、妖狐たちの興奮はますます高まっていく。


 そのとき、広場の一角で騒ぎが起こる。


「な、なんだ! あの黒い影は!」


 妖狐たちが怯えた声を上げる中、一人の男が姿を現した。


「隼人よ、ずいぶんと楽しそうだな」


 不敵な笑みを浮かべたその男は、鞍馬だった。


「ちち…、いーや鞍馬…! まだ僕に何か用があるのか!」


 隼人が身構える。すると鞍馬は、からからと高笑いをした。


「ははは! お前は本当に愚かだ。小百合が命を懸けて守ろうとしたお前の自由など、何の価値もない」


「なんだと…!」


「私はお前の力が欲しい。『妖狐の長』たる器を、我が野望のために使うのだ!」


 鞍馬の言葉に、隼人の怒りが爆発する。


「ふざけるな! 母さんの想いを踏みにじる気か! 俺は、あんたなんかに力を貸したりしない!」


「隼人、落ち着いて!」


 暴れ出す隼人を、翼が必死に抑える。そして静かに、でも力強く語りかけた。


「ねえ、隼人。もしかしたら鞍馬は小百合さんの意思を尊重したんじゃないかな」


「えっ…? どういうことだ、翼」


「だって、隼人が『妖狐の長』になって、小百合さんも助かったら…それが鞍馬にとって、最高の未来だったはずでしょ」


 翼の言葉に、隼人は息を呑む。鞍馬もまた、苦々しげに言葉を吐き出した。


「…お前は人間のくせに鋭いな。確かに、それが私の望みだった」


「じゃあ、なんで…」


 隼人が問いかける。鞍馬は苦しげに目を伏せた。


「小百合は、最後まで譲らなかった。隼人の自由のために、自分の命を諦めたのだ」


「母さんが…」


「私は、小百合の決意を止められなかった。彼女の愛が、私の野望をも凌駕したのだ」


 鞍馬の告白に、隼人は複雑な表情を浮かべる。


「…母さんは、俺を守るために命を懸けた。そんな母さんの想いを、俺が無駄にするわけにはいかない」


 隼人は胸に秘めた決意を、言葉にした。


「父上、俺はあんたと戦う。だが、それは怨みや憎しみからじゃない」


「何だと…?」


「俺は、母さんの遺志を継ぐ。人と妖狐が分かり合える世界を、この手で作る。その障害になるあんたを、倒すだけだ」


 隼人の澄んだ瞳に、鞍馬は一瞬、小百合の面影を見た。


「…ふん。では戦おう、隼人。お前が本当に、小百合の想いを継げるかどうか、確かめてやる」


 そう言い残し、鞍馬は闇の中に姿を消した。


 緊迫した空気が流れる中、翼が隼人の手を握る。


「隼人、一緒に戦おう。小百合さんの、そして君の想いのために」


「翼…ああ、そうだな。二人なら、必ず道は拓ける」


 固く手を握り返す隼人。彼の心には、新たな覚悟が芽生えていた。


 小百合の愛。それは、隼人と鞍馬、両者の心を動かした。


 しかし隼人は、その愛を力に変えることを選んだ。憎しみでも、復讐でもない。ただ、大切な人の想いを受け継ぐために、戦うことを誓ったのだ。


 こうして『信念の祭り』は、新たな戦いの幕開けとなった。


 「俺と翼の絆は、何があっても揺るがない」


 「僕たちなら、小百合さんの想いを必ず叶えられる」


 心の中で誓い合いながら、二人は新しい戦いに身を投げる。それは、恐れからではなく、愛する人への想いから始まる戦いだ。


 隼人と翼の、新たな冒険の始まりだった──。

 

【第2部:完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る