第1部:第14話 慢心の狐

 東京の高級ホストクラブ『豪狼』。そこは、都会の夜に煌めく、欲望と虚栄の舞台だった。


「隼人、今夜も指名ナンバーワンおめでとう!」


「お前もな、響也。いつも俺を追い越そうと必死だもんな」


 笑い合う二人の男。隼人と響也は、『豪狼』の看板ホストとして、夜の世界で名を馳せていた。


 客を愉しませ、酒を酌み交わす。隼人と響也にとって、それは生きがいであり、戦いでもあった。


「いつかお前を越えるからな、隼人」


「ああ、でもそう簡単には負けないぜ」


 そう言って乾杯する二人。彼らの友情は、切磋琢磨の日々の中で培われていた。


 やがて、『豪狼』は隼人と響也の二枚看板で、一時代を築き上げる。しかし、それは同時に終わりの時代の始まりでもあった。


 ある日、響也が何やら思い詰めた表情で隼人に話しかけてくる。


「隼人、俺はもっと上を目指したい。このままじゃ、いつまで経っても俺たちは金の奴隷だ」


「どういう意味だ、響也。俺は今の生活に不自由はないが…」


「だからこそ、変えるときなんだ。隼人、店を出て独立しないか? 俺について来い」


 隼人を誘う響也。しかし隼人は、ある違和感を覚えていた。


(響也…お前、何かが変わってしまったのか?)


 かつての響也は、もっと仲間思いで、謙虚な男だったはずだ。隼人は響也の提案を、少し考えた末に断った。


「悪い響也。俺はまだここで、みんなと一緒に働きたいんだ」


「…そうか。なら、俺一人で行くしかないな」


 そう言い残し、響也は『豪狼』を去っていった。残されて隼人は、複雑な心境だった。


(響也…俺は、お前と違う未来を見ていたのか…)


 あれから数年。隼人はホストを引退し、自らのキャバクラ『狐の宴』をオープンさせていた。


「ようやく夢が叶ったな。みんなと作り上げる、俺たちの店だ」


 隼人はマネージャーの翼と、ホステスたちを見渡して呟く。


 平穏な日々が続く中、一人の男が客として現れた。


「久しぶりだな、隼人」


 その男は、かつての相棒・響也だった。


「響也…! どうしてここに?」


「他でもない。お前の店がオープンしたと聞いてな」


 そう言って店内を見回す響也。その様子は、どこか変わっていた。


「ふん、安っぽい店だな。隼人、お前の店は俺の店には敵わないぜ」


 尊大な物言いに、隼人は眉をひそめる。


「響也、客としてここに来たんだろう。そういう態度は感心しないな」


「はっ、偉そうなことを言うようになったものだ。俺についてこなかったお前に言われたくないね」


 響也は高慢な笑みを浮かべ、ホステスたちに目を向ける。


「おい、お前ら。もっと笑顔を見せろよ。客は神様だぞ」


「は、はい…」


 ホステスたちは戸惑いながらも、笑顔を作る。


(くっ、ただならぬ雰囲気だ…響也、何があったんだ?)


 隼人は動揺を隠しつつ、響也の様子を伺う。


 翌日、朱璃が隼人に相談してくる。


「隼人さん、昨日の響也さん、ちょっと怖かったです…」


「朱璃、すまない。響也は昔の俺の相棒でな。でも、あの態度は…」


「隼人さん、あの人、何か変です。まるで何かに取り憑かれてるみたい…」


 朱璃の言葉に、隼人は響也への違和感を募らせる。そして迎えた翌夜、事件は起こった。


「おい、お前ら! もっと俺を敬え! 俺は偉大な男なんだぞ!」


 響也が、ホステスたちに絡み始めたのだ。


「き、響也さん、やめてください…!」


「うるせえ! 俺は客だぞ! 文句があるのか!?」


 暴れる響也に、店内は騒然となる。そんな中、隼人が響也に向かって歩み寄る。


「響也、やめろ!」


 隼人の鋭い声が響き渡り、響也の行動を遮る。


「隼人…お前、俺の邪魔をするのか?」


「邪魔だと? 響也、お前はただの客だ。ホステスに絡むな」


「ふざけるな! 俺は特別な存在なんだ!」


 響也の周りに、不気味な紫の炎が立ち上る。その瞬間、隼人は直感した。


(こ、これは…『慢心の狐』!? 響也は憑りつかれているのか…!)


 『慢心の狐』。それは人の慢心に乗じ、自我を肥大化させる妖狐だ。


「響也、しっかりしろ!今のお前は、『慢心の狐』に操られているんだ!」


「ふざけるな! 俺は、自分の力でここまで来たんだ! 妖狐なんかに頼る俺じゃない!」


 しかし響也は、隼人の言葉を聞く耳を持たない。逆上した響也は、隼人に殴りかかってくる。


「響也、目を覚ませ! 俺はお前の友達だ!」


「友達? ははっ、俺に友達なんていらない! 俺は特別なんだ!」


 慢心に取り憑かれた響也に、隼人の言葉は届かない。


 その時、店内に凛とした声が響いた。


「隼人、ここは僕に任せて。響也さんを、僕が正気に戻す」


 声の主は、マネージャーの翼だった。


「翼…!」


「響也さん、あなたはこんな慢心するような人間ではありません。僕はホスト時代のあなたを知っています。仲間思いで、謙虚なあなたを…!」


 響也に歩み寄る翼。その瞳には、強い意志が宿っている。


「う、うるさい! 俺は…俺は…!」


 翼の言葉に、響也の表情が歪む。隼人は、この機会を逃すまいと響也に語りかける。


「響也、思い出せ。俺たちがまだ『豪狼』にいた頃を」


「『豪狼』…?」


「ああ。お前は誰よりも仲間を大切にしていた。自分よりも他のスタッフを優先する男だった」


「俺が…?」


 かつての日々を思い出し、響也の瞳から力が抜けてゆく。その隙を見逃さず、隼人は響也の肩を掴んだ。


「響也、戻ってこい! お前は慢心なんかに負けるような男じゃないだろう!?」


「…っ!」


 隼人の言葉に、響也の体が大きく震える。


 その時、紫の炎が響也の体から剥がれ落ち、空中で形作られていく。


「我が名は『慢心の狐』…貴様ら、よくも我が力に逆らったな…!」


 姿を現した『慢心の狐』。その妖しい瞳が、隼人たちを睨みつける。


「愚かな人間どもよ…! 私の前では無力同然だ!」


 『慢心の狐』との対峙を続ける隼人と翼。しかし、妖狐の自信満々な姿に、二人は次第に追い詰められていく。


「愚かな人間どもよ。慢心こそが、力の源泉だ。自らを信じ、他者を見下すことで、真の強さを手に入れるのだ」


 『慢心の狐』は、甘美な声で語りかける。


「く…! 確かに、慢心は力を与えてくれるだろう。でもそれは、本当の強さじゃない!」


 隼人が反論するが、言葉は力なく響く。


「そうだ! 慢心は、自分を見失わせるだけだ!」


 翼も必死に訴えるが、『慢心の狐』は動じない。


「ふふふ…君たちは、まだ気づかないのか? 慢心によって、あの男は最高のホストになれたのだ」


『慢心の狐』が響也を指す。


「俺は…慢心によって、ナンバーワンになれたのか…?」


 響也の瞳が、揺らぎ始める。


「そ、そんな…!」


 隼人も、言葉を失ってしまう。


「ははは! お前は私の言葉に揺らいでいる。さあ、慢心を受け入れるのだ!」


 『慢心の狐』が、隼人に迫る。


「や、やめろ…! 俺は…俺は…!」


 苦しげに呻く隼人。その時、翼が隼人の前に立ちはだかった。


「隼人、負けちゃダメだ! 君は、慢心なんかに負ける男じゃない!」


「翼…?」


「君の真の力は、仲間を信じる心にある。それを思い出すんだ!」


 翼の言葉に、隼人の瞳がわずかに光を取り戻す。


「僕は、君を信じている。だから、君も自分を信じるんだ!」


 翼の必死の訴えに、隼人の心に火が灯る。


「…そうだ。俺の力は、仲間への信頼から生まれる。慢心なんかに、負けるわけにはいかないんだ!」


 力強く立ち上がる隼人。


「な、何だと!?」


 『慢心の狐』が動揺する。


「俺は、仲間と共に戦う! 一人の力ではない、みんなの力があるんだ!」


 隼人の周りに、仲間の思いが集まってくる。


「そうだ! 俺たちは、一人じゃない!」


 我に返った響也も、隼人の隣に立つ。


「ば、バカな…! 慢心の力が、揺らいでいく…!」


 『慢心の狐』の声が、か細くなっていった。


「慢心は、孤独から生まれる。でも俺たちには、慢心に負けない、みんなとの絆がある!」


「そうだ! 信頼こそが、僕たちの本当の力なんだ!」


 隼人と翼の言葉が、『慢心の狐』を追い詰めていく。


「そ、そんな…私の慢心が、敗れるだと…!?」


 光に包まれる『慢心の狐』。その姿が、次第にかき消されていく。


「仲間を信じる力に…敗れるとは…」


 そう呟き、『慢心の狐』は消滅した。


「や、やったぞ…!」


「隼人、君の心が、勝利を決めたんだよ」


 歓喜に包まれる隼人と翼。響也も、二人に駆け寄ってくる。


「隼人、翼、ありがとう。俺は、慢心に負けていたんだ」


「いいや、響也。お前も、慢心に立ち向かう強さを見せてくれた」


 握手を交わす隼人と響也。かつての友情が、新たな絆となって蘇る。


「共に店を盛り上げていこう。俺たちの、新しい『狐の宴』をな」


「ああ、もう慢心には負けない。本物の力を見せてやるぜ」


 響也を仲間に迎え、『狐の宴』は新たなスタートを切るのだった。


「ねえ隼人。僕たち、慢心してないかな…」


「翼、俺も、同じことを考えていた。翼と一緒ならどんな危険も乗り越えられる気になってしまうんだ…」


 恥ずかしそうに微笑む翼に、隼人がそっと手を重ねる。信頼と絆。その先にある、新たな想いの芽生えを感じながら。


 こうして『慢心の狐』の一件は、隼人たちの心の成長をもたらした。決して慢心することなく、仲間を信じ、共に戦う。その強さを胸に、彼らはまた新たな一歩を踏み出すのだった。

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