第1部:第12話 不信の狐
ある夜、『狐の宴』では珍しく緊張感が漂っていた。店の売上金の一部が紛失したのだ。犯人探しが始まったが、手掛かりは見つからない。
ホステスたちの間では、動揺と共に疑念の声が広がり始める。
「誰かが盗ったのは間違いないわ。でも、私たちの中に犯人がいるなんて…」
紅葉の言葉に、他のホステスたちも不安そうな表情を浮かべる。
そんな中、朱璃が囁くように言った。
「梓ちゃんは、最近お金に困ってるって噂があるわ。もしかして…」
その言葉に、梓は激しく動揺する。
「ち、違います! 私は盗ってなんかいません!」
動揺する梓に、他のホステスたちは疑念の目を向ける。そこへ、紅葉が口を挟む。
「でも、朱璃さんだって怪しいわよね。今月の売上がトップだから、誰にも疑われないと思うだろうし」
「何よ、私を疑うの? 私だって犯人扱いされる筋合いはないわ!」
紅葉と朱璃が互いを牽制し合い、ホステスたちの不信感は収まらない。そこへ不気味な笑い声が響き渡る。
「ククク…見事だ。不信の炎が、途方もなく燃え上がっているではないか」
現れたのは『不信の狐』。妖しく輝く瞳で、ホステスたちを見据えている。
「お前が、ホステスたちの心に不信感を植え付けたのか!」
隼人が怒りを込めて言うと、『不信の狐』は悠然と微笑む。
「いやはや、隼人よ。私は彼女たちの心に、最初からあった不信の種に、ほんの少し水を与えただけだ」
そう言って、『不信の狐』は優雅に尾を揺らす。
「信頼など、あまりにも脆いもの。些細なきっかけですぐに崩れ去る。それが、人の心の本質なのだよ」
『不信の狐』の声色は、甘いが毒のある蜜のようだ。ホステスたちの心に、ゆっくりと浸透していく。
「そ、そういえば、以前にも紛失事件があったわ。あの時も、犯人は結局分からなかった…」
「みんな、私のことをどう思ってるのかしら…。信頼なんて、最初からなかったんじゃ…」
次第に、ホステスたちは疑心暗鬼に陥っていく。隼人は必死に呼びかける。
「みんな、信じ合うことを忘れるな! 俺たちは、『狐の宴』の仲間なんだ!」
しかし、『不信の狐』の力は強大だ。
「ククク…無駄だよ、隼人。一度芽生えた不信の炎は、もう消せない」
不敵な笑みを浮かべる『不信の狐』。隼人は歯くいしばりながら、反論する。
「いや、俺たちの絆はそんなに脆くない! 信頼は、簡単には壊れないはずだ!」
だが、『不信の狐』は冷笑を浮かべ、余裕の表情で言い返す。
「隼人よ、信じ合うことの難しさを、お前は甘く見過ぎているのだ」
低い声で、ゆっくりと語り始める『不信の狐』。その言葉には、不思議な説得力がある。
「人の心は、些細なことで簡単に揺らぐもの。嫉妬、劣等感、恐れ。そんな負の感情が、信頼を蝕んでいく」
ホステスたちの表情が、次第に暗くなっていく。『不信の狐』は、さらに畳み掛ける。
「そもそも、お前たちの仲間意識は本物だったのか? 利害関係で結ばれた、ただの偽りの絆ではないのか?」
その言葉に、ホステスたちの心が揺らぐ。
「私たちの絆は…偽物だったの…?」
「一人一人、自分の利益しか考えていないのかも…」
動揺が、ホステスたちの間に広がっていく。隼人も、反論の言葉が見つからない。
(まずい…! このままじゃ、みんなが『不信の狐』に飲み込まれてしまう…!)
焦る隼人。だが、『不信の狐』の巧みな言葉は、ホステスたちの猜疑心を更に煽る。
「信頼などというものは幻想に過ぎない。人は、結局のところ一人だ。他人を信じることは、いずれ裏切られ、傷つくだけだ」
『不信の狐』の声は、まるで暗示をかけるように響く。
「お前たちも、仲間を疑っているだろう? それこそが、人の本質なのだ」
その言葉に、ホステスたちは我を失ったように頷く。
「そうだわ…私、みんなを信じられない…!」
「誰が裏切るか、分からないもの…!」
ホステスたちの叫びに、隼人の心が痛む。
(くそっ…! 『不信の狐』の言う通り、人の心は弱いのか…?)
思わず、隼人も自分の心に芽生えた疑念に気づく。
勝ち誇ったように微笑む『不信の狐』。『狐の宴』の信頼は、音を立てて崩れ始めていた。
そんな中、ひとり心配そうに隼人を見つめる目があった。マネージャーの翼だ。
(隼人…君には、この危機を乗り越えられる強さがある。僕は、そう信じているよ)
心の中で呟きながら、翼は隼人の奮闘を見守る。彼もまた、『狐の宴』の大切な一員なのだ。
店内の雰囲気が、ピリピリと張り詰める中、隼人は深く息を吸い込む。
(今こそ、俺が信頼の大切さを伝えるときだ。みんなの心を、取り戻さなければ!)
強い決意を胸に、隼人は『不信の狐』に立ち向かっていく。
「確かに、信頼は脆いものかもしれない。疑念に負ける時だってあるだろう。でも、だからこそ信頼は尊いんだ!」
「甘いな、隼人。お前たちは、今、信頼よりも互いへの不信感の方が勝っている」
『不信の狐』は楽しそうに笑う。
「例えば、今回の犯人は、外部の可能性だってあっただろう。でも誰一人、外部を疑わず、内部の犯行を疑っていたではないか。絆が聞いてあきれる。そんなお前たちに、本当の信頼などあるのか?」
鋭い指摘に、ホステスたちの表情が再び曇る。隼人も一瞬、言葉に詰まる。だが、彼は諦めるつもりはなかった。
「そうだ、俺にはみんなの心の声が聞こえる。心と心で通じ合えば、真実が見えるはずだ!」
そう言って、隼人は妖力を解放し、ホステスたちの心の中へと飛び込んでいく。
最初に現れたのは、紅葉の心の世界。そこでは、紅葉が一人、不安そうにたたずんでいた。
「私は本当に信頼されているの…? みんなは、私のことをどう思っているんだろう…」
不安げにつぶやく紅葉に、隼人は語りかける。
「紅葉、お前は誰よりもこの店を愛している。そのことを、みんなは知っているはずだ」
「隼人さん…。でも、私は時々、自分がみんなに愛されているのか不安になるの…」
紅葉の胸の内を聞いた隼人は、力強く告げる。
「紅葉、お前の想いは、行動となって表れている。その真っ直ぐな想いが、みんなの心を動かしているんだ。だから、自分を信じろ。お前を信じる仲間がいることを、忘れるな!」
隼人の言葉に、紅葉の表情が次第に明るくなっていく。
「そうだったわ…。私にはみんながいる。隼人さん、ありがとう!」
微笑む紅葉に頷き、隼人は次の心の世界へ飛ぶ。そこで出会ったのは、不安そうにたたずむ梓だった。
「私は、本当にみんなの役に立っているのかな…? 足手まといになっているだけかも…」
自信なさげな梓に、隼人は優しく語りかける。
「梓、お前の一生懸命な姿は、みんなの心の支えになっている。お前の存在があるからこそ、『狐の宴』は今の形があるんだ」
「隼人さん…。私、もっと頑張ります! みんなの役に立てるよう、精一杯働くことを誓います!」
力強く告げる梓に頷き、隼人は次に朱璃の心の世界へと向かう。そこでは、朱璃が一人、悩んでいるようだった。
「私は、本当にこの店にふさわしいのかしら…? 売上を上げることだけが、私の価値じゃないはず…」
葛藤する朱璃に、隼人は語りかける。
「朱璃、お前は売上を上げるだけの存在じゃない。お前の明るさと優しさが、みんなの心を癒やしているんだ」
「でも、私はホステスとして、売上を上げるのが仕事だから…」
「確かに売上は大切だ。でもな、朱璃。お前の本当の魅力は、お客さんに幸せを与えられることなんだ。その笑顔こそが、お前の最大の武器なんだよ」
隼人の言葉に、朱璃の表情が次第に明るくなる。
「そっか…。私、お客さんを幸せにすることが、一番大切なのね。ありがとう、隼人さん! 私、もっと自分の良さを信じるわ」
朱璃の心に、再び自信の光が宿る。隼人はそれを見届けると、最後に翼の心の世界へと向かうのだった。
「隼人…。君は、いつも仲間のために全力で戦ってくれる。そんな君を、僕は心から尊敬しているよ」
翼の言葉に、隼人は驚きつつも、微笑みを浮かべる。
「翼、俺を尊敬だなんて、大げさだろ? 俺は、君をはじめとする仲間たちがいるから、強くいられるんだ」
「君は謙虚だね。でも、僕にとって君は特別な存在なんだ。その想いは、変わることはないよ」
翼の真摯な言葉に、隼人は胸が熱くなるのを感じる。
「翼…。俺も、君の存在に助けられてばかりだ。これからも、共に『狐の宴』を守っていこう」
強い握手を交わす隼人と翼。二人の絆もまた、揺るぎないものだった。
こうして、ホステスたちと翼の心を繋ぎ直した隼人は、現実の世界へと意識を戻す。
目覚めた隼人の前には、安心した表情のホステスたちと、まだ負けを認めない『不信の狐』の姿があった。
「ふん、お前達は感傷的で安直だ。人は皆、内心では自分の利益を優先するものだ。利害が一致する間だけ、仲間のふりをして集うだけさ。お前たちの絆も、所詮はそんなものだろう?」
鋭い言葉に、隼人も一瞬言葉に詰まる。しかし、彼は諦めない。
「確かに、人には弱さがある。でも、だからこそ信頼が必要なんだ! お互いの弱さを理解し、支え合う。それが絆だ!」
「甘いな。弱者同士で支え合ったところで、何かが変わるというのか? 結局のところ、お前たちはことごとく、脆い存在だ」
『不信の狐』は、冷笑を浮かべる。
「確かに、裏切られる可能性はある。人は完璧じゃない。でも、だからこそ、信じ合うことに意味があるんだ」
隼人の言葉に、『不信の狐』は眉をひそめる。
「裏切られるリスクを恐れず、なお相手を信じる。そこに、真の絆が生まれるんだ。簡単に壊れない、強い絆がな」
「ば、馬鹿な…。裏切りのリスクを受け入れてまで、信じ合うだと…?」
動揺を隠せない『不信の狐』。隼人の言葉が、徐々に状況を変えつつある。
「俺たちは、仲間を信じる強さを持っている。たとえ裏切られたとしても、また信頼を取り戻す。何度でも、何度でもな」
「そんな…。ばかな…。私の不信の力が消えていく…だと…?」
『不信の狐』の姿が、次第に薄れていく。しかし、その瞳には最後まで隼人への憎しみが燃えている。
「くっ…。お前は…、お前の信念は…、いずれお前も裏切るぞ…。お前は、いつか信頼の脆さを思い知ることになる。覚えておけ…」
『不信の狐』が消えゆくのを見届けると、隼人は目をつぶり事件の真相に思いを馳せる。
そんな時、店内に一人の男が現れた。常連客の真島だ。
「みなさん、お金を盗んだのは、俺です…」
真島の告白に、ホステスたちは驚きを隠せない。しかし、隼人は冷静に話を聞く。
「俺は、この店に入り浸っているうちに、いつしかお金に困るようになっていました。そして、ついお金に手を出してしまったんです…」
真島は、申し訳なさそうに話す。隼人は真摯な眼差しで、彼に告げる。
「正直に話してくれて、ありがとう。お金の問題は、俺たちで解決するから。真島さんは、罪を償う覚悟があるんだな?」
「はい…。俺は、自分の罪と向き合います。二度とこのような過ちを繰り返さないと誓います」
真島の決意に、ホステスたちも次第に表情を和らげていく。
「隼人さんの言う通り、真島さんを許しましょう。私たちには、許す強さがあるはずよ」
「そうね。真島さんも、この店の大切な客だもの。一緒に乗り越えていきましょう」
ホステスたちの優しさに、真島は涙を浮かべる。
「みなさん…。ありがとうございます。俺、もう一度ここから始めさせてください」
こうして、盗まれたお金は真島の自白により取り戻された。そして、『狐の宴』の面々は互いへの信頼を新たにし、絆を深めたのだった。
事件の顛末を振り返る隼人と翼。二人の間には、言葉にできない熱い想いが通い合っている。
「隼人、今日のことで、君の凄さを改めて実感したよ。君なら、この店をきっと守れる」
「いや、翼。俺一人の力じゃない。翼をはじめ、みんながいるからこそ、乗り越えられるんだ」
二人の視線が、『狐の宴』に集うホステスたちへと向かう。彼女たちの明るい笑顔が、店内を温かく照らしていた。
「俺たちの絆は、どんな脅威にも負けない。この『狐の宴』を、みんなで守っていこう」
隼人の言葉に、翼も力強くうなずく。
こうして『不信の狐』の脅威は去り、『狐の宴』は平穏を取り戻した。しかしこの一件は、隼人たちに新たな課題を突きつけることになる。
鞍馬が送り込む『狐の宴』を狙う妖狐の影は、さらに濃くなりつつあるのだ。歌舞伎町の夜に潜む悪意との戦いは続いていく。
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