第1部:第2話 誘惑の狐
優越の狐との戦いから数日が経ち、『狐の宴』には再び平和な日常が戻っていた。
そんなある日、店に新しいホステス、
「初めまして、朱璃と申します。今日からよろしくお願いします」
凛とした美貌に、妖艶な雰囲気を纏う朱璃。その出で立ちは、まるで銀座の高級クラブのホステスのようだった。
「朱璃さん、ようこそ。私は紅葉、こちらが梓です。一緒に働けるのを楽しみにしているわ」
「ええ、よろしくお願いします。私も精一杯働かせていただきます」
朱璃は上品な口調で応じ、店内を見渡す。その視線の先には、カウンター越しに立つ隼人の姿があった。
「あなたが、オーナーの隼人さんですね。噂通りのハンサムな方だわ」
朱璃の瞳が、妖しく輝く。その眼差しに、隼人は一瞬で違和感を覚えた。
(この女、何かひっかかるな…)
隼人の直感は、朱璃の内に秘められた何かを察知していた。そんな朱璃は、早速店内に入るとホステスとしての仕事を始める。
「お客様、ご一緒に楽しい時間を過ごしましょう」
妖艶な微笑みを浮かべ、男性客に寄り添う朱璃。その色気に、男性客たちは次々と心を奪われていく。
「朱璃さん、素敵です。もっと近くで、お話を聞かせてください」
「ええ、喜んで。今宵は、特別な夜になるわ…」
甘美な言葉を紡ぐ朱璃に、男性客は我を忘れたように夢中になっていく。
そんな様子を、隼人と翼、紅葉は遠巻きに眺めていた。
「隼人、朱璃さん、あまりにも妖艶じゃないか? 男性客が、まるで魅入られたようだ」
「ああ、俺も気になっていた。彼女、普通のホステスじゃないのかも…」
隼人と翼は顔を見合わせ、朱璃の正体を探ろうと心を決める。
一方その頃、朱璃は男性客を次々と虜にしていた。
「ねえ、私とふたりきりで過ごしませんか? 特別なサービスをしてあげる…」
妖しい甘い囁きに、男性客の一人は我を忘れて朱璃に付いていく。やがて、その男性客が店の外で倒れているのが発見された。
「大変だ! お客さんが倒れている!」
その知らせに、隼人と翼は慌てて駆けつける。
倒れた男性の顔は蒼白で、まるで生気を失ったかのようだった。
「な、何があったんだ…? まさか、朱璃さんが…」
事態の異常さに、翼が言葉を失う。
その時、隼人は倒れた男性の周りに漂う妖しい気配に気づいた。
(この気配は…誘惑の狐!? 朱璃は、妖狐に取り憑かれているのか!?)
新たな妖狐の襲撃に、隼人の表情が引き締まり、周囲の空気が張り詰めた。
「翼、客を避難させてくれ! 俺は朱璃を止める」
「わかった。気をつけてね、隼人」
そう言い残し、隼人は朱璃を追って店の奥へと走る。
「朱璃、待て! 何を企んでいる!?」
隼人の呼びかけに、朱璃はゆっくりと振り返った。
「ふふ、隼人さん。私の秘密に気づいたのね」
その瞬間、朱璃の姿が紫の炎に包まれる。
「くっ…! やはり、『誘惑の狐』だったのか!」
「そう、私は『誘惑の狐』。男を手玉に取ることが、生きがいなのよ」
不敵な笑みを浮かべる朱璃。隼人は、怒りを込めて言い放つ。
「ふざけるな! 人の心を弄ぶことに、どんな意味があるというんだ!」
「意味? ふふ、愚問ね。私にとって、それこそが快楽なのよ」
「そんな…! 朱璃、お前の心はどこにある!?」
隼人の問いかけに、朱璃は一瞬表情を曇らせる。
「心だって? 私に、そんなものはないわ!」
「いや、ある! 『誘惑の狐』に心を奪われているだけだ!」
「黙れ! お前なんかに、何がわかる!」
朱璃の怒号が、店内に響き渡る。
「わかる。俺にはわかるんだ。朱璃、俺は…お前の心の中に入ってみせる!」
「何ですって…!? ば、ばかな…!」
「行くぞ、朱璃! お前の心の扉を、開けてみせる!」
隼人の雄叫びと共に、強い念波が朱璃を襲う。
「きゃあああ!」
朱璃の悲鳴が響く中、隼人の意識は彼女の心の中へと飛んでいく。
隼人の意識が朱璃の心の中に飛んで行くと、そこは紫の炎に包まれた異空間だった。
炎の中に、うずくまる一人の少女の姿がある。
「朱璃…!」
隼人は炎をかき分け、少女に近づく。
「隼人さん…? どうして、ここに…?」
おびえた様子で尋ねる朱璃。その瞳は、炎に怯えるような弱々しさを宿していた。
「朱璃、俺はお前を助けに来たんだ。誘惑の狐に負けるな!」
「でも、私は…『誘惑の狐』の言うとおりなの…」
「違う! お前は、強い女性だ。本当のお前を思い出せ!」
隼人の言葉に、朱璃の瞳が揺らぐ。
その時、不気味な笑い声が響き渡る。
「ふふふ…無駄だ、隼人。彼女の心は、もう私のものなのだ」
「『誘惑の狐』…! お前は、朱璃から離れろ!」
「ばかめ…! 離れられるものか! 彼女は私だ。私は彼女なのだ!」
得意げに叫ぶ『誘惑の狐』。だが、隼人は怯まない。
「『誘惑の狐』よ、お前は自分が何をしているのかわかっているのか?」
「何だと…?」
「お前は、朱璃の心の弱みに付け込み、彼女を誘惑の道に引きずり込んでいる。それは本当の強さではない!」
「ふざけるな! 誘惑こそが、私の生きる道なのだ!」
「いや、違う。それは、お前自身が愛されたいという想いを歪めた結果なのだ」
隼人の言葉に、『誘惑の狐』が一瞬たじろぐ。
「な、何を言っている…? 愛だと? くだらん!」
「心の奥底では、お前も愛を求めているはずだ。でも、愛され方がわからない。だから、誘惑することでしか、自分の存在価値を見出せない」
「う、うるさい! 私は、愛など…!」
動揺を隠せない『誘惑の狐』。隼人は、さらに言葉を重ねる。
「朱璃、お前も同じだ。愛されたいと願っている。でも、『誘惑の狐』に心を支配され、本当の自分を見失っている」
「私は…私は…!」
朱璃の心が、激しく揺れ動く。
「思い出せ、朱璃。お前は、誰かに心から愛されたいと願っていたはずだ。その想いは、決して間違いじゃない」
「隼人さん…!」
朱璃の瞳に、光が宿り始める。
「そうだ、朱璃。お前の本当の願いは、愛されることだ。誘惑なんかじゃない!」
「私…私は…!」
隼人の言葉に後押しされ、朱璃が立ち上がる。
「私は…愛されたい…! 誰かに、心から愛されたいの…!」
その言葉に、『誘惑の狐』は激しく動揺する。
「ば、ばかな! 愛なんて、私には必要ない! 誘惑こそが、私の全てだ!」
だが、その声は力なく響く。
「『誘惑の狐』よ、お前も朱璃と同じ想いを抱えているんだ。でも、それを誤魔化すために、誘惑に逃げているだけだ」
「な…! 違う、私は…!」
隼人の指摘に、『誘惑の狐』の体が揺らぎ始める。
「認めろ! お前も、愛されたいと願っているんだ! その想いから、もう逃げるな!」
「う、ううう…!」
『誘惑の狐』が、苦しそうにうなり声を上げる。
その時、朱璃が『誘惑の狐』に歩み寄った。
「ねえ、私たち…本当は同じなのよね。愛されたくて、でも愛され方がわからなくて…」
「朱璃…お前…!」
「でも、もう大丈夫。私たちは、愛される資格があるの。誘惑なんかに頼らなくても、きっと愛してくれる人はいるはず」
朱璃が、『誘惑の狐』に手を差し伸べる。
「一緒に、本当の愛を探しましょう。もう、孤独じゃない」
「朱璃…! 私…私は…!」
誘惑の狐の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「そうだ、二人とも。本当の愛を、恐れることはない。勇気を持って、前に進むんだ」
隼人の言葉に、二人は力強く頷く。
その時、誘惑の狐の姿が光に包まれ始める。
「これは…?」
「誘惑の狐が、浄化されているのか…!?」
光はやがて朱璃の体も包み込み、二人の姿は一つに重なっていく。
「ありがとう、隼人さん…! 私、やっと自由になれる…!」
朱璃の感謝の言葉と共に、眩い光が異空間を満たしていった。光が収まると、そこには晴れやかな表情の朱璃が立っていた。
「朱璃…! よく頑張ったな」
「ええ、隼人さんのおかげよ。私、もう迷わない」
二人は、温かく言葉を交わし合う。
「さあ、狐の宴に戻ろう。みんなが君を待っているよ」
「はい! 私、新しい人生を歩んでいきます」
朱璃の心からの笑顔に、隼人も安堵の表情を浮かべるのだった。
隼人と朱璃の意識が現実に戻ると、そこには心配そうな顔の翼と紅葉の姿があった。
「隼人、朱璃さん! 大丈夫ですか!?」
翼が駆け寄ってくる。
「ああ、もう大丈夫だ。朱璃は、誘惑の狐から解放された」
「よかった…! 朱璃さん、本当によかったです…!」
安堵の表情を浮かべる紅葉。
その隣で、朱璃は晴れやかな笑顔を見せている。
「みなさん、心配をおかけしてすみません。でも、もう大丈夫です。私、隼人さんに救われました」
「朱璃…! あなた、表情が全然違う…!」
梓が、驚きの声を上げる。
「フフ、梓ちゃん。私、ようやく本当の自分を取り戻せたの。もう、誘惑なんかに負けたりしません」
朱璃の言葉に、『狐の宴』のメンバーたちが歓声を上げる。
「よし、これは乾杯だな! 朱璃の新しい門出を祝おう!」
銀次が、高らかに宣言する。
「銀次の言う通りだ。今夜は朱璃の為に、豪勢に行こうじゃないか」
隼人も、満面の笑みを浮かべる。
「ええ、そうしましょう! 朱璃さん、おめでとうございます!」
紅葉が、優しく微笑む。
「隼人さん、紅葉さん…! 私、ここでみなさんと一緒にいられて、本当に嬉しいです…!」
朱璃の瞳が、感動に潤む。
「朱璃、もう遠慮することはないぞ。ここは、お前の居場所だからな」
隼人が、力強く告げる。
朱璃は、涙を浮かべながらも、はっきりと頷いた。
「ええ、そうですね。ここが、私の帰る場所です」
その言葉に全員が、温かな拍手を送る。
宴はこれからが本番。『狐の宴』に、朱璃の歓迎ムードが満ち始めていた。
ただ一人、隼人だけが心の片隅で、父・鞍馬のことを考えていた。
(父上…この狐の襲撃も、あなたの仕業なのでしょうか…)
いつの日か、父との対峙は避けられない。だが今は、目の前の仲間との時間を大切にしよう。隼人は、そう心に決めるのだった。
次回、「第3話 嫉妬の狐」
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