お姉さんの話
ぼんやり考えているうちに、今度はボサボサの髪が気になってさ。ちょうど髪の毛を切ろうと思ってたころにこの世界に飛ばされたのもあって、中途半端に伸びてたんだ。癖っ毛ってほどでもないんだけど、ボクの髪の毛はちょっとかたいから寝癖もついたりしてて。
「これはいくらなんでもまずいよ」
ガラスに映るボクがいった。髪に手ぐしをとおしながらね。髪の毛も洗えてないから指に引っかるような錯覚までした。
そんなわけで、ボクは銀座で帽子を借りた。これだけ洋服屋さんがあるなら帽子屋さんもあるんじゃないかって思って、一時間くらいうろうろしてやっと見つけたんだ。
いろんな形があって悩まされたよ。あんなに試着したのは生まれてはじめてじゃないかな?
最終候補はうしろ側にリボンがついてる麦わらのキャップと、薄い緑色のバイカーキャップっていうやつだった。
ああでもない、こうでもない――って、上着を着崩してみたり、脱いでみたり、昨日まで着てた服に合わせようとしてみて汗の匂いで諦めたりして。悩ましいけど楽しかったな。
けっきょくボクはバイカーキャップのほうを選んだんだ。
だってほら、ボクは自転車に乗ってるからさ。
ペダルを漕ぐ足が軽かったよ。風を切るってほどスピードはだせなかったけどね。
目的地まではだいたい五キロくらいだったから、二時間もあれば着けるかなって感じ。
相変わらず高層ビルだらけで、つまり瓦礫が道路のあちこちに積みあがってて、しょっちゅう迂回路を探した。
でも、それだって心を落ち着けるのにちょうどよく感じた。
ビルや倒れた道路の隙間から灰色に澱んだ海が見えた。潮の香りはしなかったけどね。まだ調べてないからわからないけど、たぶん魚なんかもいないんじゃないのかな? だから海の香がしなかったんだと思う。もちろんボクの勝手な想像だよ。
目的地まで半分くらい来たところで無線機が鳴った。相変わらずノイズが混じっていたんだけど、そんなのぜんぜん気にする様子もなくて、お姉さんはラジオのパーソナリティみたいにのべつまくなしに喋ってた。
『ところでキミは、海にかかる橋を見たことはある? 長い長ーい橋なんだけど、走ったからこそ先にいっておこうか。オススメはしないかな。とにかく風が強くて吹き飛ばされるかと思ったからね。それに海のまんなかだからなんにもないの。ほんとーーーになんにも!』
ずっとそんな調子だったよ。
ビルの影に入ると音が途切れてしまうことがあったから、ボクはできるだけ音が途切れないようにして進もうとしてた。会う前に相手のことを知りたいって思うのは別に不思議なことじゃないでしょ? ボクとお姉さんはたった一回、手紙でやりとりしただけだったし。
お姉さんのラジオ――ラジオじゃないか。無線? まぁなんでもいいけど、話はすごく面白かった。ボクも体験したことがいくつもあったし、時嵐や変震についても話してた。
ビックリしたよ。
お姉さんもあの時間をぐちゃぐちゃにする時嵐のことを時嵐と呼んでいたし、あの地形をぐちゃぐちゃに書き換える変震のことを変震って呼んでいたんだ。
誰でも考えることはおんなじなんだ。
あのときは、そう思えることが幸せだった。きっと盛りあがれると思う。互いに集めてきたものを見せ合ったりして、聞いてきた音楽の話をしたりして。本に、映画に、コミックに、見てきたものを伝えあってさ。
ボクが感じてきたことを共有してもらうんだ。お返しに、ボクはお姉さんがずっと溜め込んできたものを受け止めるんだ。
早く、早く、早く――。
ボクは一生懸命ペダルを漕いだよ。
最後の難所は用水路を渡ること。また橋が落ちてたんだ。ほんの数メートルの断崖さ。ボクはもう新しい道を探すのにうんざりしてた。ちかくのビルの防火扉を工具で外して、橋を作った。ボクがこの世界でやらかした最大の悪事かもしれないね。
もうじき日が暮れはじめるし、空は厚ぼったい雲に覆われていたから真っ暗になっちゃう。
たぶん、ちょっと焦ってたよね。
近道のつもりで公園に入ったせいで、自転車のタイヤが泥にとられて転んだ。最悪だよ。服も泥だらけになってさ。うまく手をつけたから帽子は無事だったんだけどね。ラジオみたいに聞いてた無線機の電池が外れてどこかにいっちゃったんだ。
ふざけんな! って。
声には出さなかったけどね。もう目と鼻の先だったから、聞こえたらまずいし。
そうなんだ。転んで起きあがって、両手をぺろっと垂らして見上げたら、薄暗くなってきた瓦礫の街に電気の灯りがついていたんだよ。
一緒だよ。
ボクが家と一緒にこの世界に放り出されたように、お姉さんはあのアパートの一室ごと、この世界に放り出された。ボクの家がそうだったように水も電気も下水も無事で、でも携帯電話の電波はなくて。
ずっとひとりぼっちで頑張ってきた、顔も名前も知らない友だちさ。
「よし!」
って。ボクは気合を入れて自転車を押した。荷台と自転車をつないでる接続部分がねじれちゃってたから、ひとまずゴムボートは置いていくことにしてね。
変な想像もした。
お姉さんと仲良くなれたら、ふたりでゴムボートを取りに戻って、一緒に釣りができるか試してみようか、みたいにね。
やりたいことがいっぱいあった。
知りたいことがいっぱいあった。
ひとりじゃどうしようもないことがいっぱいあった。
ボクは明かりがついてるアパートの前で自転車を停めた。
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