ノイズの話

 しばらく待っていたけど、ノイズがずっと続いていた。ボクは気持ちが落ちてくるのを感じたから無線機のボタンを押して呼びかけたよ。


「もしもし? もしもし? 聞こえてる?」


 こっちで覚えた言葉だ。映画では電話のシーンでよくいってた。話しますって合図さ。


「もしもし? ボクの声が聞こえますか? わかりますか?」


 返事の代わりにノイズ。やっぱりダメなのかなって諦めかけたよ。でもノイズの合間に、幽かに、本当に小さな音で声が聞こえた気がしたんだ。


 思い切って音量を最大にすると、耳障りな雑音に混じって、今度は単語が聞こえた。


『このあいだ……のに行ったん……』


 みたいにぶつ切りに聞こえてきた。女の人の声だった。ちょっと声が枯れてるような、掠れ気味のね。歳は、たぶんボクより少しうえだと思った。


 ボクはすぐにボタンを押して呼びかけた。


「聞こえる! 聞こえます! メモを見ました! もしもし!?」


 ボタンを離すと、さっきとおなじようにノイズに混じって、ぶつ切りの話が聞こえた。口調になんの変化もなかった。


「どうして……?」


 ってボクは呟いた。

 聞こえてるのに、呼びかけてるのに、なんでなの? 

 泣きたくなったよ。ここでも無視されるのかって。ボクはここにいるのにってさ。

 ボクはもう一度だけ呼びかけようと思ってボタンを押した。


「聞こえてたら、返事をください。ボクはここにいます。聞こえてます……」


 ほとんど泣いてるみたいな声になった。震えちゃってさ。やっとおとなになったのに、急に子どもに戻ったみたいだった。それも知らないところで迷子になった子どもさ。


 ボタンを離すと、またノイズまじりに話してるのが聞こえた。

 ダメなの? なんで? ボクが残したメモに返事をくれたのに。


 ボクはボタンを押して、なんて呼びかけたら答えてくれるのかわからなくて、鼻をすすったよ。いうべき言葉を探してたんだ。せめて名前を書いててくれればよかったのにって。そうしてるうちに気づいた。さっきまで聞こえてたノイズがなくなってることにね。


 ボタンを離すと音が聞こえて、ボタンを押すと聞こえなくなる。

 そう。ボクは無線機が送信と受信を同時にできないってことを知らなかったんだ。ボクはほっとして座り込んじゃったよ。涙が溢れてきたね。


 よかった、よかったよ、って。

 嫌われたんじゃないんだ。無視されてるんじゃないんだって。

 つまり、無線機の向こうの人はずっと送信ボタンを押してるんだ。だから聞こえない。


 そうとわかればもう大丈夫さ。ボクは上着の袖で涙を拭って、鼻をすすって、無線機の音量を落としてベルトに挟んだ。クリップがついてたからね。


 カウンターのメモには緯度と経度が書いてある。返事をくれた人が書き加えたんなら、絶対にそこにいる。もしいなくっても、なにかがあるはず。


 ボクはやる気に漲っていた。この世界に来てから一番だったよ。使命感に燃えてるっていってもいいかもしれない。ひとりでは無理なことでも、ふたりならできるからね。


 ボクがこの人を助けるんだって。一緒に銀座カリーパンを食べるんだって。

 ボクはすぐに地図を確認した。


 メモに書かれていた緯度と経度は海のすぐそばだった。レインボーブリッジっていう、海にかけられた橋のちかく。地図で見てるときにはわからなかったけど、まわりはビルや港の施設ばっかりだった。


 ちょうどよかったよ。海に行ったときのことを思い出したばかりだったからね。せっかくだから海も見ようって感じだ。すごく気分がノってた。


 朝食か、もしくは遅めの昼食を忘れてること自体を忘れるくらいウキウキしてた。愛用の自転車にまたがって、ペダルを漕ぎはじめて、どんな人なんだろうって考えて。


 ボクは急に服のことが気になった。

 襟のところを引っ張って匂いを嗅いだよ。汗臭かったらどうしようって。だって二日もお風呂に入ってないんだからさ。


 初対面の印象っていうのは、とっても大事だ。たとえどんな世界でもね。せめて清潔感のある格好じゃないとって思ったよ。趣味じゃないけど、あたりにはおしゃれな洋服屋さんもいっぱいあるわけだし。


 でも。


 そう『でも』なんだよ。そこらへんの服を勝手に取って着込んで行ったら、そういう奴だって思われるかもしれないよね。つまり、カジュアルに服を盗むようなやつだってさ。


 いくらほかに誰もいない世界でも――いや、ほかに誰もいない世界だからこそ、人の物を悪気なく取るような人なんて信用できないよね?


 おしゃれしていくか、着の身着のままでいくか、すっごく悩んだ。相手がたぶん女の人だっていうのはわかるんだけど、どんな人なのかまではわからない。声や話の感じから、元気な人なんだろうなっていうのは想像できるんだけどね。


 他人に顔を見せる恐怖は過去最高値を記録したよ。はじめて高校に行ったとき以上さ。二回目の登校よりもうえ。もう考えすぎて気持ち悪くなるくらいだった。


 気づいたら自転車は止まってたし、正しい意味で、ボクは銀座にひとりぼっちになった。


 割れたガラス窓に自分の自転車に乗ってる姿を映してみて、余計に不安になった。だって銀座カリーパン捜索隊の隊員服だよ? 子どもっぽくない? 


 バカにされちゃうかな? どうかな? 嫌われはしないと思うんだけど。

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