旅に出たときの話
ボクに起きた悲劇は中学校を卒業するほんのすこし前のことだった。直接のきっかけがなんだったのか、ボクは未だにわからない。
みんなとは別の高校に行くことに決めて、最後の最後で急に壊れてしまった関係は過去に捨ててしまおうと思っていた。
でも、無理だった。
はじめて入った教室で、顔も名前も知らない同級生たちと会ったとき、ボクは背中を蹴りつけられた。みんなが笑った。ボクはなにもいえなかった。
すごく単純なことだったんだ。
その子は、ボクの知らないところでボクの背中を蹴った友だちとつながっていた。切り捨てたと思っていたのはボクだけで、ボク以外の世界はどこかでつながっていた。
ボクと、この世界と、おんなじようにね。
家に帰るとママに聞かれた。
「学校はどうだった?」
まぁまぁかなってボクは答えた。いつよもり早くパパも帰ってきて、おんなじようにどうだったか聞かれて、ボクはやっぱりまぁまぁかなって答えた。
ママは気づいてくれていたかもしれない。首を傾げていたから。
次の日、ボクは靴を履いて家のドアを開いて、そこから一歩も動けなくなった。
学校に行きたくないとか、嫌だとか、泣き言だけは絶対にいわなかったよ。足が動かないことだけいって、心配されて、心配されるのが嫌だから躰を振っててドアの外に出たんだ。
いつもとなにも変わらないはずの日差しが、信じられないくらい眩しかった。途端に息苦しくなってきて、ボクはその場で吐いちゃったんだ。
ついさっき食べたものをぜんぶ吐いて、気を失って、病院に行くために外にでることすらできなくて、パパは仕事を休んでボクを病院に連れて行ってくれた。
まずガレージに行って、車に乗って、ママの膝のうえに頭をのせて毛布をかぶるんだ。それから目を閉じて、耳を塞いで、呼吸だけに集中してね。
からだに異常は見られないってさ。
ボクがまた家から出られるようになるまで二週間はかかったと思う。
昼間から子どもが外でぷらぷらしてたら怒られるから、家で勉強をしたり遊んだりした。ひとりっきりでね。ネットを通してほかの人を見ることはあっても関わらなかった。
そして、また少し経って、もう大丈夫だろうと思って学校に行ったら、こうなったんだ。
ボクは痛むお腹を抱えたまんま、ボクはもう死んでいたのかもと思った。
そのほうが自然に思えたんだ。
ボクは死んでしまったからこの世界に放り出されたんだってね。ボクのいまいる世界は、この日本という場所は、本当の最後の最後の境界にあるんだろうなって。
雨はほとんど丸一日つづいて、ボクの痛みと苦しみはほとんど丸三日つづいた。
そのあいだに、ボクは最後の仕事をした。やり残したことがないようにね。
ペンと紙を手にとって、パパとママへの手紙を書くことにしたんだ。
もしかしたら二度と戻ってこれないかもしれないし、時嵐と変震で家がどこかに消えちゃうかもしれない。でもそのときは手紙と一緒にボクの暮らしていた世界に戻ってると思って。
『大好きなパパとママへ。
こんなボクのことを愛してくれてありがとう。
先にいなくなってしまってごめんなさい……』
すぐに握りつぶしたよね。ハハハ。そうだよ。笑い話さ。
なんで遺書を書こうとしてるんだよって。
もうおかしくておかしくて、お腹が痛いのも忘れて笑っちゃったよ。
ボクは死にに行こうっていうんじゃない。
つらいとき、苦しいとき、なんにもいってはくれないけれど、トボけた目をしてずっとそばにいてくれていた黄金の鶏のためさ。金鶏の生まれた場所を見に行こうっていうだけ。
できれば銀座カリーパンをカゴいっぱいに手に入れて、どこかすっごい高いところまで登って、顔に風を感じながら頬張りたいんだ。ただそれだけの小旅行だよ。
だからボクはペンを取り直した。
『大好きなパパとママへ。
可愛い可愛いボクからのお手紙だよ。
ひさしぶり。元気にしてた? ボクはずっと元気でやってるから安心してね……』
そこから先は秘密だよ。恥ずかしいし、手紙は人に話して聞かせたりするものじゃない。
準備と不意の――病気? じゃないよね。事故かな。
まぁなんだか余計な時間がかかっちゃったけど、旅の支度はほぼ整った。
ボクは自転車につけるための新しい旗をひとつ作った。金鶏印を入れたやつだ。それからおなじマークのワッペンも。
ボクの着てる上着には左肩と左の胸のところにマジックテープが縫い付けてあるんだ。普通はブランドロゴとかを貼るんだけど、そんな機能があるならつかわない手はない。
ボクは肩のほうに金鶏印のワッペンを貼って、胸のほうには銀座カリーパンって書いた。
そうだよ。
銀座カリーパン捜索隊さ。誰もいう人がいないからこそ、いっちゃおう。
世界で一番かっこいい隊員服だ。
ボクはガレージのシャッターを開けて、自転車を押し出した。いい天気だったよ。雲ひとつなかった。ただ困ったのは、家の周りのが建物が、またぜんぶ入れ替わってたことかな。
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