銀座について考えたときの話

 ごちゃごちゃした雑誌――特別号だからムックっていうのかな?

 とにかくボクは、銀座カリーパンのうちの銀座という語彙を手に入れたんだ。

 すごい感動だった。ようやく理解したんだ。


 カリーパンの前の単語は独立していて、銀座という地名だったってことをね。

 ボクは雑誌を持ち帰って、銀座の研究に没頭した。飲食店を紹介するだけの雑誌だった。何百回も読み返したよ。


 情報はひどく断片的だった。いろいろと文字の意味が取れるようになっても、書かれている文章の意味を取るのには時間が必要だった。もう愛読書だね。


 それはきっと、日本の、そのときボクがいた座標の人たちにとってはマジメで有用な情報誌だったのかもしれない。


 でも、ボクにとって架空都市のガイドブックだった。

 行ったこともない土地の、どこにあるかもわからない街のガイドブックさ。ボクはボクの家の周囲、せいぜい十キロくらいしか移動できなかったからね。


 日が昇り切る前に出発して、日が落ちきる前に帰らなくちゃいけない。

 昼と夜では街の姿がまったく変わってしまうから、迷子になると思ったんだ。座標がわかっているのに変な話だけど、ボクからすれば、時嵐と変震のせいで緯度と経度も信用できなくなっていたってことさ。


 ボクはひたすら食料の備蓄と言語学習の時間を積み重ねた。銀座に思いを馳せてね。


 わかってもらえるかな? 

 ボクは銀座カリーパンに救われてるんだ。銀座カリーパンそのものは傍になかったけど、かならずどこかに存在する彼のおかげで、日々の仕事に集中することができた。


 変震と時嵐はキミが思うより頻繁に起きたよ。早いときは一日のうちに。遅いときは……いまのところの最長は五日間。法則性は見いだせてない。


 いまボクが理解している範囲でいえば、変震と時嵐の関係は、時嵐が優位なんだと思う。確証はないから信じちゃダメだよ。


 ただ、ボクが観測した範囲でいえば、時嵐は単独で発生することもあるけど、変震は単独で起きるかどうかわからなかった。


 ――っていうのも、日本はどうやら地震大国らしいんだ。これは中学校の教科書で学んだ知識なんだけどね。


 変震はまちがいなく建物を潰す。これはわかる。

 だけど、それが変震か地震なのかは区別のしようがないのさ。

 時嵐みたいに空が緑色に光るとかしてくれればわかるんだけど、ボクが調べた限りでは変震に予兆みたいなものが見当たらない。いつも起きるのはとつぜんで、時嵐をともなう。


 時嵐は変震なしに起きることもある。建物が別の成長を遂げるんだ。まさに育つっていう感じだね。大きくなることがほとんどだったから。


 そして、仮説がひとつ。

 時嵐も変震も、それが発生したとき、ボクがいる家を潰したりはしなそう。

 これについても確証がない。単にボクの運がよかっただけなのかもしれないし、黄金の鶏のおかげかもしれないから。


 そう、黄金の鶏。キンケイ。

 やっとネタバラシができるね。ボクがいままで黄色の鶏だと思っていたのが、実は金の鶏だったと理解できたのは、このころなんだ。


 ボクは生まれてはじめてファッション誌を隅々まで読みこんだよ。おかげで色についての語彙を手に入れることができた。


 空の色が青でBLUEだと知ったし、日の出の太陽が金色でGOLDだと知った。

 それに大事なブランドの意味もね。信頼できる商品の一群だ。生産者の名前でもある。ボクの住んでた世界にもあったから急に理解が深まったよ。


 ボクは銀座カリーパンの袋を見つめて、キンケイの正しい名前を知った。発音は変わらないんだけど、意味が変わったんだね。


 キンケイは黄金の鶏だった。

 目を凝らすと、鶏が背負ってる日の丸には黒い縁取りがあって、そこの上側の半円に金鶏印って書いてあるんだよ。下の半円には美味保証ってある。


「オレは黄金の鶏なんだ。味については保証する」


 ボクはソファーに寝転んで、トボけた目をした金鶏にアテレコしたよ。できるだけいい声でね。そんなカッコ良さそうなやつには思えなかったけど、でも信頼はできるやつだ。


 それからボクは集めた教科書のなかから地図を取りだした。日本の地図だよ。

 銀座は東京の内側にあるってわかった。

 これがどれだけすごいことか。


 ボクの住んでた世界とおなじような行政区分なんだと理解できたんだよ? これは学校に行ってなかったら絶対にたどり着けなかった理解だ。意味がない知識なんてない。知識に意味を与えられるかどうかが重要だったんだよ。


 あのときほど学校が恋しくなったことはなかったな。


 あんなに行きたくなかったのに、嫌なことに我慢してでも行きたくなった。学校っていうのは必要に迫られて知りたくもないことを教えてくれるんだ。それがいつか役に立つ。もちろん別に学校にこだわる必要なんてないんだけど、好きなことを追ってるだけじゃ得られない知識があるんだよね。


 嫌いなことにも手を伸ばさなくちゃいけないんだとボクは学んだ。

 だから、その日の前後で、ボクは夜空に叫んだよ。


「ボクは反省した! もうわかったよ! だから、だからもう許してよ!」


 誰も答えてくれなかったよね。ボクは銀座カリーパンの空袋を抱いて眠った。後悔したくなかったらどうするか。どうしようもないんだ。なにをしてたっていつか後悔するんだから。乗り越えかたを考えるほうが、ずっと建設的だよ。


 どれくらいの時間が経っていたかな。すくなくとも一ヶ月は経っていたと思う。まったく本当に日記を書いておくべきだった! 行く場所が変わるだけでやることはおなじだからって横着しすぎだよ。やっておくべきだったんだといまこそ思うね。 


 ――ほら、また後悔だ。


 はぁ。


 ため息だよ。笑えてるけど一ミリも口角があがらない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る