映画を見れるようになったときの話

 キンケイブランドって名前だったらマークで区切ったりしない。ボクの世界の常識だったら名前が最初でうしろはお店の種類だ。なんとか宝石とか、なんとか電器みたいに並んでる。この世界にも似たような法則があるはずなんだ。


 だからボクは、あらためていった。


「キンケイ? キミはキンケイっていうの?」


 尋ねてみてもキンケイはトボけた目をするばかり。

 でもボクは、ひとまず満足した。

 まったくすごいやつだよ。美味しい食べ物って以外のことはわからないのに、ボクにいろいろな経験をさせてくれるんだから。


 そうだよ。ボクは銀座カリーパンの名前にちかづけたことで、この世界でやっていける自信までついたんだ。ボクがずっと忘れかけてたものを取り戻したからね。


 大事なことだよ。

 挑戦して、成功するっていうこと。

 不思議な高揚感が湧いてくるんだよね。


 ボクはその日の残りを英語の勉強にあてた。お風呂場にもラジカセを持ち込んで、歌をうたうみたいに復唱した。よく響くからすごく勉強した気になったよ。意味なんかこれっぽっちもわかってないくせして、この世界に前から住んでましたって顔して得意げにいったね。


「ハローゥ。ハーローゥー」


 リピートアフターミーって言葉の意味もわかった。かならずそういってから、たしかめるようにいってくれるからね。問題はその次で、よく聞いて答えてくれって話だった。濡れると困るからテキストまで持ち込んでないからね。


 急に会話がはじまって、最後に質問されるんだ。

 ボクは得意げな顔をしてラジカセにいってやったよ。


「ごめん、さっぱりわかんないや」


 まるで流暢に喋ってるみたいに手振りまでいれてね。学校ではほとんどできなかったことだよ。これは長足の進歩だった。


 次の日も、その次の日も、ボクは勉強に集中した。すくなくとも三日間は勉強だけしてたと思うね。食べ物にはまだ余裕があったし、なによりパズルを解くみたいな楽しさがあった。まるで言語学者か考古学者にでもなった気分だ。


 新しいページを開いて音声を聞くとき、ボクは得意になって唱えた。


「なるほど、ボクに任せて。この異世界の文字を解読してみせよう……」


 アルファベットの読みかたと単語の区切りがわかるようになってきたら、次は日本語と英語がいっしょに出てくる子ども向けの教科書を探すんだ。イラストがついているやつをね。そうすると言語の対照表ができるでしょ? まだ文字と、文字の形をしたイラストの対照表っていうイメージだけどね。なにしろひらがなとカタカナ、漢字の発音がわからないから。


 ボクは本屋を必要としていた。図書館でもいい。とにかくたくさんの本があるところを見つけなくちゃいけない。それと音声だ。日本語が表示される映像――そうだ。忘れてたよ。映画の話だったよね。


 何日目だったかな。

 食料の備蓄を確認してから隣の家を見に行って、DVDのデッキを借りてきた。配線はパパに教えてもらってたし平気さ。ケーブルの色がおなじだったのも助かったかな。


 そうだ、色!

 このケーブルの色のつかいかたは、ボクの住んでる世界ではどこの国でもおなじなんだ。パパに教えてもらったんだけどね。それは日本でもおなじだった。しかも、ボクの知ってる世界ともだいたいおなじ。


 ――ってことは?

 そう! ボクが放り出された世界は、ボクが住んでる地球とだいたいおなじってことだよ!


 勇気が湧いたよ。もしかしたら、ボクはボクの住んでた家に帰れるかもしれない。

 うん。家には住んでるんだけどさ。ボクの暮らしていたあたりって意味。同時にちょっとだけ怖くなった。おなじ世界に生きてるのに、ボクはなんでひとりなの?


 そういうときは深呼吸して、銀座カリーパン――キンケイブランドを見るんだ。黄色の鶏のトボけた目をね。


 大丈夫。落ち着いて。どうしても不安だったら一口食べる? いや、まだだ。


 ボクはアルファベットでタイトルが書かれてる映画を再生した。まず会社のロゴマークが出て、注意書きかなんかが出て、リモコンで操作する画面が出た。画面に書かれてる文字列をメモしたよ。『再生』とかの意味を学べるからね。こういうのはたいてい、そのまま決定を押しておけば再生されるからさ。


 画面に日本っぽくない街並みが映って、主人公らしいお兄さんがリュックを背負った。これ学校に行くんじゃない? って思った。ボクの暮らしてたあたりとよく似た雰囲気の街並みだったな。黄色いスクールバスに乗ってさ、降りて、友だちかな? おなじくらいの歳の子に肩を抱かれてセリフをいった。


「――ぃ、やった!!」


 ボクは叫びながら画面を指さした。したに白い字幕が出たんだ。そこに日本語があった。もう情報が渦を巻いてた。セリフをいう状況がわかるし、雰囲気がわかる。字幕があるから日本語ではなんていうのかもわかる。漢字まじりだから簡単じゃなかったけどね。


 映画の内容を楽しむ余裕なんてなかったよ。なにをいってるのかもよくわからないし。早送りと早戻しを駆使して教科書に出てきたセリフと場面と字幕を突き合わせる作業だ。


 それが終わったら、今度は日本の映画を探した。

 幸い、すでに持ってきていた映画に、ボクとおない年くらいに見える子たちが主役っぽい作品があった。みんなおなじ制服を着てたんだけど、日本だとそれが伝統なんだろうね。あとになって街の広告なんかを見て知ったよ。


 そしてとうとう、ボクは日本語の発音を手に入れた。

 四つの音だよ。


「お、は、よ、う」


 声に出した。教室に入ってきた子がいったんだ。最初に見た映画とおなじように学校の場面だったんだけど、前の映画で登場人物はエイっていってた。字幕は『おはよう!』さ。教科書ではハローだけど、スラングというか、意訳なんだろうなって思った。


 そして日本のだと、教室に入ってきたばかりの子がそういっていたんだ。

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