言葉を勉強しはじめたときの話

 もちろん、ボクの知ってる物とよく似た物はある。だから大丈夫。そんな自信はあったんだよ。テレビはテレビだし、冷蔵庫は冷蔵庫だし。


「――そうだ。映画だ」


 ボクは思い出した。はじめのころ調べたちかくの家にテレビがあったじゃないかってさ。


 テレビの前にソファーを置く文化があるんだから、きっと家族みんなで見ることだってあるはずだよ。だったら、ボクの家みたいに映画やドラマだって見るはずだし、そういうものを記録しておく媒体だってあるはずさ。記録するなら再生もできる。再生機だってある。


 それに、幸運にもボクの家には電気が通ってる。

 大事なことだったのに、なんで忘れてるんだよって自分に腹がたったよ。

 ボクの家の機材で見ることができなくてもメモを残して借りてくればいいんだ。


 ボクは洗濯機が止まるまでのあいだ、教科書にでてくるイラストを覚えた。人や、物や、シチュエーションを知っておくんだ。映像をみたとき、教科書にでてきた場面やシチュエーションをすぐに思い出せるようにね。


 そして濡れた洗濯物を乾燥機に入れて、さっそく正面の家から調べなおしはじめた。もちろん銀座カリーパンと一緒だよ。リュックサックの一番とりだしやすいサイドポケットに待機してもらってた。それから外でお昼を食べることになるだろうから、飲み物と牛の絵が描いてあった缶詰。とうもろこしの絵の缶詰とかだね。


 結論からいおうか。

 ボクが最初に読めるようになったのは、二番目に難しそうなアルファベットだった。日本語を覚えたかったのに笑えるよ。


 でも、しょうがないよね。

 日本語よりリスニング教材が多いんだもの。


 そうなんだ。ボクは家のなかを探して映画とかのDVDを見つけることができた。ひとつの家から持っていってもいいのは三つまでってルールをつくって、映画のほかに音楽のCDなんかも探した。とにかくパッケージで口を開いてる写真がつかわれているやつを選ぶんだ。ボクが暮らしてた世界とおなじなら、スローペースの歌だからね。聞き取りやすいはずだ。


 そうやって何件かまわりなおしてるうちに、英語の教科書にCDがくっつているのを見つけたんだ。そのころはまだ『大人の文字の教科書についてる記録盤』だったけどね。


 もしかしたらと思って興奮したよ。

 すぐに家に持って帰って、ボクの家の再生装置にセットした。ダメ。再生されない。けど大丈夫。機材を借りてくればいい。さっきの家に戻って、その教科書を置いていた部屋をしらべた。機械探しさ。


 そしたらなんと! 

 ボクが見たことある形の機械があった! 


 ――まぁ、厳密にはちがうんだと思うんだけど。ママがおばあちゃんから受け継いだ、由緒正しきオンボロの、日本語だとラジカセっていう機械だよ。ラジオとカセット……なんかよくわかんないテープを再生できるんだ。もちろんCDにも対応してる。というか、ボクの家でCDを聞こうと思ったら、そのオンボロをつかうか、テレビのしたのこれまたら古いデッキをつかうしかない。


 ともかくボクは文明の利器をお借りした。

 今度は祈るような気持ちだったよ。コンセントプラグの形がちょっとだけちがったから。でも入りそうだった。ボクはプラグを差し込んで、家にあるやつと見比べながらボタンを押した。


「――きた! きた! やったーーー!」


 ってね。もう大騒ぎだよ。 


「これも君のおかげだ!」


 なんていって銀座カリーパンを掲げたりして。さっそくアルファベットだらけの表紙の教科書を開いてCDを機械の頭のところを開いて入れたんだ。――頭っていうのかな? なんだかヘルメットみたいな形の機械の、おでこのちょっとうえがパカって開くんだ。そこにCDを乗せて再生ボタンを押した。そしたら女の人の声でなんかよくわかんないことをいいだしてさ。


「どこどこどこどこ!?」


 ってね。教科書のどこからはじまるのかわからなくて大慌てだよ。そしたら、ページをめくってるうちに聞こえてきたんだ。


「エイ。エーイ……」


 みたいに。ボクはすぐにもしかしてって思った。教科書の最初のところについてるアルファベット表だよ。三角形の真ん中に横棒が入ってるやつ。それがAだってわかった。


 音がわかると一気に楽になった。

 スーピーカーから聞こえてくる音に合わせて発音していく。ボクの暮らしてた世界の言葉と音自体はよく似てたよ。ぜんぶで二十六文字。たったそれだけ覚えれば読めるようになるわけだから、ひらがなや漢字にくらべれば簡単だったね。文字の組み合わせで発音が変わるのはボクの住んでた世界でもおなじだし、


 なにより、嬉しかった。

 この世界の人の声を聞けたことが――とか、カッコいいことをいいたいけど、ちがうよ。


 ずっと手に持ってた相棒の名前が判明したんだ。

 銀座カリーパンの袋にはこう書いてあった。


「……ケィアイエヌケィイーアイ、ビィアールエィェヌディー……?」


 ハハハ! 笑っちゃうよね。本当にそんな感じで発音したんだ。音の変化について理解が浅かったから習ったまんま口にして、なんて複雑な発音の国なんだろうって戦慄したよ。ふふ。いまはもう、こんな複雑な単語まで平気で口にできる。


 でも名誉のためにいっておくと、ボクだってすぐに発音の変化に気づいたよ。はじめてだったからびっくりしただけ。すぐにそんなはずないと思ってたら、次のチャプターは簡単なテキストになってて、そこの文字列と比較して意味はわからないけど読めるようにはなった。


 ボクは太陽を背負ってトボけた目をする黄色い鶏を指で撫でた。その左右の文字列に指を添わせて、声に出して読んだんだ。


「キンケイ、ブランド?」


 そう。ボクがわかったのはそこまでだよ。キンケイブランドって名前の食べ物なのかと思っちゃったんだよね。


 ボクはソファーに横になって、なんか美味しいやつあらためキンケイブランドをじっと見つめた。なんかおかしいなって思ってね。


「キンケイブランド、キンケイブランド……」


 そう呟きながら見ていると、ちょっと袋のデザインの意味が見えてきた。

 一番おおきな文字はごちゃごちゃした漢字。その下にカタカナ。あいだにキンケイブランドっていうアルファベットの表記と鶏のマークがある。


 ボクは鶏のトボけた目と見つめあっていった。


「キミ、キンケイブランドっていうの?」


 たぶんちがう。

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