銀座カリーパンの日の話

 一気に三つも食べたけど、おかげでボクは元気になれた。それだけじゃない。お腹がいっぱいになったから余裕もでてきたし、ボクはからさに励まされて少しだけ強くなってた。


「ひとりじめしちゃダメだ」


 そうなんだ。ボクは気づけたんだ。

 銀座カリーパンはひとりじめしたらいけない。もし、ボクとおなじようにこの世界に放り出されてしまった人がいたとしら、その人たちにも等しく分け与えられなければいけない。


 銀座カリーパンは世界に放り出された人たちをきっと救う。

 ボクは残りの銀座カリーパンを探して、ひとつだけ手元に残してぜんぶカゴに戻した。それから飲み物や食べ物もいくつか戻したよ。


 そう。ボクは勝手に元気をなくして、勝手に世界に人がいないことにしてたんだ。可能性を手放してしまったから元気をなくしていたんだと思う。


 ボクはどこかの誰かのために、踏みとどまる必要があった。

 帰ってくるころには真っ暗になってるかもしれないから、ボクは懐中電灯を持った。それから拳銃も。弾を二発だけ抜いてズボンのベルトに挟んだ。もしハンマーをどこかにぶつけちゃったり、誤って引き金を引いちゃったりしても大丈夫なようにね。


 この世界で夜がちかづいてくるのは怖いものさ。

 でも、あのときだけは平気だった。ボクのリュックには銀座カリーパンが入ってるんだぞって感じだ。もちろん、そのころは名前がわからないから、美味しいパンなんだけどね。


 ボクは取りすぎたものをスーパーのレジ台に戻した。量が多かったし元々の場所がわからなかったんだよ。ほかに残しておくのはそう、ボクの家のメモさ。


『ごめんなさい。少しお借りしました』


 頼りになるかわからない――でも、書いてたときは確実に頼りにしていた緯度と経度も書いておいたよ。『ボクはここにいるよ』の旗のこともね。リネンでつくった白い旗に青いペンキで書いたんだ。もし見つけたら、ノックをしてみて欲しいってね。


 危険は承知のうえだよ。ボクの躰は勇気に満たされていた。銀座カリーパンがついてるからね。うん。何度でもいうよ。ボクには銀座カリーパンがついていたんだ。


 ボクは決意したよ。

 かならず、この妙ちくりんな文字を覚えてやろうって。

 そして、メモを残すんだ。こんなに美味しいものを、ボクのために作ってくれてありがとうってね。わかってる。ボクのためじゃない。でもそのときは確実にボクのためだった。


 ボクの一日の過ごしかたは、また少しだけ変わった。

 それまでは、まだどこかで朝になったら元通りになるのを期待していた。けど銀座カリーパンと出会ってからのボクはちがう。


 世界に積極的に関わろうと思うようになっていた。

 キミからしたらくだらないことかもしれない。いまさら? って感じかも。

 ボクにとっては、すごく大きな変化だったんだ。


 だから、この日はこの世界に来てから二番目に大事な日になった。

 銀座カリーパンの日さ。

 家に帰ったボクは、さっそくカレンダーに書きこんだよ。それくらい興奮していた。スーパーとかほかの家で見つけた物資を選別して、ノートをつけたらもう夜だ。お風呂にも入った。もし明日、水が止まってしまったら? そんなうしろ向きな考えはいらない。


 明日を生きるために、今日を生きる。

 なにが起きても大丈夫だよ。だってボクには相棒がついてるからね。


 ――まぁ音楽は流したんだけど。


 夜があまりにも静かで怖かったから。

 ぐっすり眠って、日が昇るころに目を覚まして、ボクはボクの部屋の机のうえに銀座カリーパンが置いてあるのを目視で確認した。いつか食べる。できれば次が見つかってから。無理そうだったら書かれてる日付を過ぎてしまう前に。


 そう決めて、ボクは家の掃除をした。洗濯もね。待ち時間を勉強につかえるんだ。

 正直に白状するよ。ボクが朝から勉強するのは人生ではじめてだ。

 言語の習得は小学校の本から。そう話したのを覚えてるかな? 

 ボクにはどれが小学校の教科書かすぐにわかった。これは表紙の絵のおかげだね。


 ほかの家から借りてきた教科書にはいろいろな種類があったけど、小さい子用につくられていたのは、どれも動物だったり、子どもだったり、柔らかい絵が書いてあるんだ。それが段々と抽象的な絵になっていって、最後は文字だけになる。なるほどねって感じ。


 教科書の分類ができると、文字の分類ができるようになった。

 文字の形にもあきらかに法則性があるんだ。ひらがなは丸っこいから子ども向けで、漢字とかカタカナ、英語なんかはカクカクしているから大人の文字かなって。


 まだ洗濯機が回りはじめたばかりだったけど、もう頭を抱えてたよ。


「嘘だ。嘘でしょ? 四種類も文字があるわけ? どういう国なのさ!」


 この困難を理解してくれたら嬉しい。踊ってあげるよ。へたくそだけどね。そのあとサイダーかなにかで乾杯しよう。


 ボクはひらがなで書かれてる教科書から手をつけた。正確には、手をつけようとした。


 もう、さっぱりだったよ。

 単語の勉強だと思うんだけど、イラストが書いてあるから意味は取れるんだ。でも発音がまったくわからない。発音がわからないからピンとこない。


 それに、気づいたんだ。

 日本では――というか、そのころふうにいうと、ボクのいる世界では、ボクの知ってるものがおなじものを指しているのだろうか。


 これは究極の疑問だった。

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