スーパーを見つけたときの話

 ボクは自分でつくった六分儀と時計をつかって、ボクの家の座標を特定した。

 そのときに気づいたんだけど、ボクが目覚めたとき世界は昼で、時計の時間とはずれていたんだ。だから、ボクがこの世界に放り出されるまでのあいだにいくらかの空白期間がある。


 ボクがそのことの恐ろしさに気づくのはもっとあとだよ。

 ボクはそのとき、家の座標が定まったことに安心していた。ボクの家がある座標もメモに残せるようになったからね。


『家を荒らしてしまってごめんなさい。ボクの家はここにあります……』


 そんな感じのメモだよ。旗が立ってると思うとも書いた。それを紙に印刷して、目につく場所に貼ったり置いたりしていくんだ。


 まぁそれでも、ボクは最初のうち、家から半日以上も離れることはできなかった。いつでも家に戻れるっていう安心感はあったんだけど、もっと遠くに行くにはまだまだ準備が必要だったんだ。


 ボクはタブレットを駆使した。

 お絵かきアプリが入っていたから、おおまかな地図を書くようにしたんだ。もちろん、例の嵐や地震がきたら書き直さなくちゃいけないんだけど、タブレットの容量はいくらでもあまりがあったからね。詳細じゃなくてもいいんだよ。最後の更新日がわかれば。


 そんなことをしながらだから、ボクの地図はなかなか広がっていかなかった。なにもかも手探りだから時間もかかった


 ボクは家を中心にして、ちかい家から順番に同心円状に探索をするようにしていた。すぐにゴミの問題がでてくるんだけど、それはあとでいいよね。


 ボクの装備はシンプルだよ。ボクが持ってるなかでも一番丈夫そうなスニーカーを選んでおいて、汚れてもいいズボンを履いて、Tシャツに長袖の上着。建物はどれもけっこう壊れていたから、躰が引っかかって怪我でもしたら病気になりかもしれない。


 背負っていたのはリュックだよ。通学用のだから容量はそんなに大きくない。とりあえず入った家にメモを置いて、まず冷蔵庫をチェックして、それから家探しをするんだ。


 見たことのない家電なんかもあって、何度か持って帰ろうか迷いはしたんだけど、いまはそのときじゃないと思って自重した。


 ボクが探してたのは保存のきく食料品に、見ただけでなにに使うかわかる道具だ。それからカレンダー。もちろん、ボクの家にもあるし曜日や日付の並びなんかもおなじなんだけど、どこで止まってるのかのデータを集めてたんだ。


 なにかを借りるときはパッケージのあるやつに限定して、メモにおなじ文字列を書きこんでから借りましたって書くようにしておいた。食べ物のときは『もらいました』だね。


 最初はお金を置いておくべきか迷ったんだけど、そんなに現金がなかった。家の住所――というか、座標を教えるのはちょっと怖かったよ。なんか変なのに来られたらどうしようっていうのはさっきも話したよね。


 でも、来てくれたら安心できたかもしれないっていうのも。

 ボクは人に――というか、会話に飢えていた。食べ物以上にね。意外かもしれないけど食べ物についてはそれほどでもなかった。


 これは、ボクが放り出された日本っていう国がすごかったのかもしれないけど、鮮度や味を気にしなければ、いろいろな物が残されていたんだ。


 仮説はふたつ。

 家が壊れるような大災害に見舞われても暴動にならないような国なのか、あるとき一瞬にして人間が消えてしまったのか。


 ボクとしては優しい人ばっかりだからっていうのがいいけど、実際はたぶん一瞬にして同時に人が消えたんだと思う。


 もっとはっきりいうと、人間に限った話じゃなくて、植物をのぞく生き物のほとんどが死滅したか消失したんだと思うよ。


 ボクがそれに気づいたのはスーパーを見つけたときだ。

 家にはたくさんの缶詰や、不思議なチューブに入ったマヨネーズやケチャップや、それからむやみに美味しいチョコレートバーとか、そんなのが貯まりつつあった。


 そのスーパーはボクの家から――だいたい歩いて三十分くらいだったかな。たしか二級変震を一回とか挟んだあとだ。


 あ、二級変震っていうのはボクが名付けた地震の名前だよ。建物だけじゃなく道も作り変わっちゃう凶悪なやつ。正式な名前は知らない。いままでそれっぽい名前を見たこともない。


 ――で、ボクはそのとき、敏感に感じたんだ。


 ここはきっと、商店街だって。

 ボクの住んでたところもそうだったけど、商店は一箇所にかたまるように並ぶんだ。たいていは駅とか、大きな道のすぐそば。


 その商店街は車線の太い道路のすぐそばにあったんだ。入り口にアーチがかかってて、なんていうんだったかな。名前は思い出せない。ボクはまだ文字を読めなかったからね。


 形で覚えようとするとうまくいかないんだ。意味がつながらないから、文字じゃなくて絵みたいになっちゃう。あるいは風景かな。


 写真を撮っておけばよかったといまでも思うよ。あのころのボクにはそこまでの余裕はなかったけどね。


 商店街全体からすごい嫌な臭いがしてたよ。

 当然だよね。生鮮食品が腐ってるんだ。


 壊れた建物の入口に透明のケースがあって、そこに緑色だったり茶色だったり、なんていうか生理的に嫌な気分にさせられる汁っぽい塊なんかがあった。クッキーとかコーヒーとか乾いたものはカビが生えてるくらいで済んでたりしたけど。


 スーパーは商店街の奥のほうにあったよ。

 すっごい小さなスーパー。


 ほかのお店は臭いとか棚の感じだとか、あとは店先に貼りだされてる広告でなんのお店なのかわかった。住居がセットになっているみたいだったから、ボクは地図に商店街の位置を書きこんでいった。


 それが終わったらスーパーの自動ドアだ。ガラスの隙間にマイナスのドライバーを差し込んで動くかどうかたしかめるのさ。泥棒になった気分だったね。まぁ、実際やってることは泥棒なんだけど。


 動かなかったから鍵を壊すか、最悪だったらガラスを割ればいい。割ればいいっていっても勇気がいるよ。普通はそんなことしないからね。


 ボクにはまだ世界が平和だったころの癖が染みついていて、当然やるべきだったあれこれがまったくできなかったんだ。人がいるかもしれないって期待してたのもある。ボク自身はまったく意識していなかったけど。


 スーパーの自動ドアがうまく開いてくれて、ボクは絶望した。

 なんで?

 ものすごく臭いんだよ。吐き気がしたね。あらゆるものの腐臭が風に乗って流れてくる。ガラスのドアを一枚はさんでいたおかげで気づかずにいられたんだね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る