文明の利器を手に入れたときの話
とにかくボクは、安心して家から出られるように準備をする必要があったんだ。いつでも戻れるから外に行っておいでとボク自身にいうために。
いくつかの案を思いついたよ。
最初は家の屋根に旗を立てるつもりでいた。家の中で一番おおきな布はパパとママのベッドのシーツで、それを棒に縛りつけて屋根に立てるんだ。
でも、窓から見える長細いビルと、嵐のときに吹く風を思いだしてやめた。
旗が倒れたら見つからなくなるし、建物の影になってもおなじだからね。
つぎに考えたのは、方角を決めて旅にでるって案だった。ガレージを探していたら方位磁石があってね。先に北の印と磁石を合わせておいて、家の方角に印をつけておけば、遠くに行っても戻れるんじゃないかと思ったんだ。
かなりいいアイデアだと思わない?
ボクはそう思った。
実際、最初はその案を採用して家を出たんだ。家の目の前にあるアパートを探索して、特になにも見つけられずに次の家に行って――そうやって、少しずつ範囲を広げていって、あるとき探索していた家をでたあとコンパスを見て、ゾッとしたよ。
北の位置を合わせてあるのに、磁石につけた印は家のある方向から、ほんの少しだけズレてたんだ。一ミリもずれてないくらい。ペンの太さの問題でね。まだ家が見えるくらいの距離で気づいてよかった。これが何キロも離れたあとだったら最悪だった。この方角にあるはずなのにで、ボクはこの広大な世界で迷子になってた。
ボクは早急に対策を取らなくちゃいけなくなった。
携帯電話についてる地図を見ればいい? 無理だよ。つかえてたら最初からそうしてる。たぶん衛星が動いていないんだろうね。それか、電波をなにかが邪魔してるんだと思う。
もっというと、ボクがいる世界はボクのいた世界と似ているだけで、まったくちがう世界なのかもしれない。いまでこそここが日本だとわかるけど、日本というのがボクのいた世界にあるのかボクは知らないし、こっちで見つける世界地図にボクの暮らしていた街が載っているのかもわからないし、仮に載ってたとしても信用できないよね。だって、ボクは嵐と地震で街が作り変わる世界に暮らしてなかったわけだから。
携帯電話にコンパスを入れておいたらよかったかもしれないね。そっちのほうが正確だろうしさ。地図はネットにつなげて見るのが普通だったから、コンパスなんて気にしなかったよ。
もし正確なコンパスがついてたら、ボクはあんな作業をしなくてすんだ。
そうしたら、ボクはもう少しだけ強くいられたかもしれない。
ボクは考えた。たいしてよくない頭でね。そして気づいた。
「これ、小学校のときにやった」
声に出たよね。気づいたときにはもう夜で、ガラスにボクの顔が写ってた。慌ててカーテンを閉めた。電気も消した。
興奮して寝つけない頭で、朝早くから動くためにメモを残した。よくあるんだよ。トイレでアイデアを思いついて、ペンを探しているときに忘れちゃうの。覚えてても色が薄くなってるっていうか、表現が曖昧になってたりとかね。
ともかくボクは、次の日、朝から家中を探した。ボクがもっと小さかったころのノートを探すために。なんてことはない、パパのガレージに置いてあったよ。
すごく丁寧に保存されてて泣きそうになった。
見るんじゃなかった。
へたくそなパパとママとボクの絵。はじめてキャンプに行ったときの写真。おじいちゃんとおばあちゃんとボク。学校でもらったメダルなんかもあった。賞状に成績表に、そんなのまでとっとく? って感じだった。ぜんぶ見てると夜になるし泣いちゃうだろうから、ボクはノートだけを探した。
ボクは学校の授業で、家の緯度と経度を調べたことがあったんだ。
皮肉なものだよね。いまのボクからしたら、とんでもなく下らない理由で行かなくなった学校のおかげで、ボクはボクの居場所をなくさずに済みそうだった。
もしかしたら君は知らないかもしれないから、小学生のころの、また賢かったボクがつくったノートに基づき教えてあげよう。
緯度とか経度とかっていうのは、天体の表面に引く、横と縦の線のことさ。横と縦に引くから交点ができて、それが座標になるんだね。まぁ、ボクがいる場所が地球で、まだちゃんと地軸の向きが合ってて、しかもちゃんと丸い……回転楕円体って書いてあったかな? そんな形をしていることが前提になるんだけどね。
緯度っていうのは横線のこと。赤道を〇度として、南北に九〇度。これは三角測量の考えかたをつかって測るんだ。夜空に北極星を見つけて水平線との距離を出せば終わり。北極星の位置は変わらないけど、地球上のどこにいるかで水平線とか地平線からの高さにちがいがでるんだ。だから二箇所で測れば移動距離も計算できる。
大事なのは、横線を等間隔に引いていくから、南北の移動量を測るってことだ。
これで緯度は大丈夫。問題は経度だよ。
昔は測定器具をつくるのにとっても苦労したんだ。
ボクは先人に感謝を捧げた。
なにをつかうかわかる? ヒントをあげようか。緯度も経度も角度であらわすんだけど、一度より下の数字は分っていうんだ。一度は六十分で、一分は六十秒。もうわかったよね。
そう、クロノメーター――時計だよ。
どこか一箇所で太陽が南中にあるときに時計を見る。それから別の場所で太陽がおなじ位置にあるときの時刻を見る。どうしても一日かかってしまうけど、一日で移動した距離がわかるんだ。もう百年以上前に生まれた技術だけど、ボクはそれに頼った。
天体の位置は変わらないはずだと信じてたんだね。
あとになって、もうちょっとだけアナログで、もうちょっとだけ便利な方法も思いつくんだけどね。とにかくボクは家につながる命綱を手に入れたんだ。
――まぁ、家の屋根に旗も立てたんだけどさ。ボクはここにいるよって書いた旗をね。
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