生きることを考えはじめたときの話
どの家にも冷蔵庫があって、それには安心してた。子ども部屋だったり、棚だったり、物が入っていそうな場所は片っ端から見ていった。
ボクが入った何軒目かの家は、不自然なくらいに荒らされていなかった。ついほんの数時間前まで人が暮らしていましたって感じだよ。
なんの花かは知らないけれど、花がらのテーブルクロスと、そのうえに透明なビニールのクロスを乗っけた食卓に、ケチャップとマヨネーズが出しっぱなしになってた。あとは、ソイソース。日本語だと醤油だっけ。あのときのボクには不気味な黒い液体だったけど。
冷蔵庫を開けると、なんの傷もついていない食品がいっぱい入ってたんだ。
ボクの家の冷蔵庫とちがって調味料は少なかったけど、食べられそうな物がいっぱい。
二袋がビニールテープでまとめられた小さなソーセージの袋に、ブロッコリーに、卵も五個くらいあったかな?
それから、あのころのボクには理解できなかった練り物。いまならそれが竹輪だってわかるんだけど、ボクは日本語が読めなかったから、なんだか小さな袋に詰め込まれた白かったり茶色かったりするなにかだった。
ボクは生ぬるくなった冷凍庫のなかにまだ凍ってるお肉を見つけて叫びそうになった。なにがなんだかわからない食べ物のなかの、数少ない見た目でなにかわかる食べ物さ。
そのときのボクの感動といったら。
ボクはリュックサックを下ろして片っ端から詰め込んでいった。冷蔵庫のちかくにビニール袋が貯めてあって、それもつかってぜんぶ持ってかえることにしたんだ。
嬉しかった。
ボクが慣れ親しんだジャガイモとかタマネギとかもあったし、あのへんは――当時は理解していなかったけど――長持ちする食材だったしさ。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
ボクは会ったこともない家主にお礼をいって、メモを残した。もちろん日本語じゃない。だから、見つけてもなんて書いてあるかわからなかったと思う。
でも、ボクは最低限の賢さは持ち合わせていた。
これまでに見たところ、算用数字が共通しているのはまちがいなかったから、まずボクの知っている日付をメモに書き入れたんだ。
それから家の住所を書き入れて、簡易的な、すっごく簡素な地図も書いておいた。
最後に書くのはもちろん、お借りします、ごめんなさい、さ。
ボクはすぐ家にかえって冷蔵庫に物を詰め込んだよ。冷蔵庫に物が増えて安心したのと、メモを残したことで冷静になれたんだ。
ボクはサインペンを手に持って、ありがとう、お借りします、の二語だけ書いたメモを量産した。何枚くらい書いたかな? 正確には覚えてないけど、二十枚は書いたよ。
つくったメモをリュックのサイドポケットに入れて、ほかの家の探索に戻った。
うしろめたさはあったけど、満足もしていた。
もしまずいことになってもボクには銃があるんだって素直に思えた。ほかの家で銃を見かけなかったからだろうね。あるのはゴルフクラブだとか、テニスのラケットだとか、戦うにはちょっと難しそうなものばっかりだった。
日本って平和な国なんだな、とかね。そんなことを思ってたと思う。
よくないよね。あのころのボクは、すぐ調子に乗っちゃうところがあった。。
話してたら思い出してきたよ。
たしか、冷蔵庫に入ってるんだから食べられるものだろうってなってた。保冷剤とか目薬とか、塗り薬に目薬に、もう目についたものはなんでも入れていった。冷蔵庫の中身が空っぽになるまでリュックとビニール袋に詰め込み直して、ボクの家の冷蔵庫に移したんだ。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
そんな、自分だけが納得するようなことをいってさ。
けっきょく何軒くらい回ったんだったかな? メモを置いた枚数はそんなになかったと思うよ。どこの家も電気がきていなくて冷蔵庫が仕事をできなくなってたからね。
あとになってわかることだけど、冷蔵庫の中身が無事だった家がちかくにあったことからして奇跡みたいな話だったんだ。
ボクは持ち帰ったものを冷蔵庫に詰め直して、計画を立てた。だいたい何日くらい持ちそうなのかを計算したんだ。持ってかえってきた食べ物の量からすると、大真面目に切り詰めて生活すれば、だいたい二週間くらいはもつかなって感じだった。
もちろん、いくらお腹が減ってもいいならって仮定をするなら一月はもつはずだった。
それからすぐに気づいた。問題は水だ。いまは、どういうわけかほかの家とちがって水も電気もきているみたいだけど、いつ止まっても不思議じゃない。
電気はともかく、水は怖いよ。
ボクは知ってたんだ。食べ物は一週間くらいなくても死なないけれど、水は三日も飲まないでいると死んじゃうってことを。
ボクはまず、冷蔵庫に入っていたオレンジジューズを飲み干して、綺麗に洗って、水を貯めて冷凍庫に閉まった。ほかの調味料のボトルもそうするべきか迷ったけど、さすがにね。代わりにボクは浴室に行って、バスタブに水を貯めたんだ。災害があったときはそうするって知っててたからね。でも、物事はそんな単純じゃなかった。
くたびれたボクがベッドに入って、本当に久しぶりに眠ってしまったときだった。
ボクは激しい物音に気づいて目を覚ました。
窓がガタガタ揺れていて、家そのものが吹き飛ばされるんじゃないかって感じだった。ボクはベッドを飛び降りて机のうえの箱を開けた。銃の箱さ。拳銃を取りだして、弾がシリンダーに入っているのを確認した。だいぶ慣れてきていたと思うよ。まだ一発も撃ったことはなかったけどね。
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