嵐のあとの話
ボクはずっと怯えていた。
嵐に乗じて誰かやってくるんじゃないか。なにかが現れるんじゃないか。それが拳銃とたった十二発の三十八口径でどうにかなるのかわからないけど、武器があれば安心した。
「来るなら来てみろ……!」
あのころはいつもそうだった。そうやって自分を勇気づけるほかにやりようがなかった。
窓にかかるカーテンを割り開いて、ボクは外で起きていることに釘付けになったよ。
世界が作り変わっていくんだ。
空は灰色の雲に覆われて、ときおり、雷が光った。どっちに向かっているのかもわからない暴風に巻かれていろいろな物が空を舞ってた。
本当に不思議な光景だったよ。
ボクの部屋の窓から見えた隣の家が、風に揉まれて崩れていくんだ。
でも、崩れたそばから再生していくんだよ。
破壊と再生。
ほとんど同時に起こってた。屋根の頂点の端が欠けて吹き飛んでいって、その、なんの支えもない虚空にまったくちがう色の瓦屋根の一部が出現するんだ。あきらかに元の家とはちがう建物だよ。崩れたブロック塀が風に翻弄される生け垣に作り変わって、崩れた鉄筋の壁がやたらと古びた土壁に変わって――。
そんなことが、ボクの部屋の窓から見えるすべての方角で起きていた。
道路のアスファルトがめくりあがって、どこから連れてこられたのかわからない車が空をぶんぶん飛んでいるんだ。
ボクは自分の頭がおかしくなったのかと思ってほっぺたを叩いた。
しっかり痛かったよ。
ボクは正気だった。
世界のほうが狂っていたんだ。
ボクは部屋を飛びだして、あちこちの窓から外を見た。どこの窓からでも世界が作り変わっていくのが見えた。ゲームでなら竜巻に巻きあげられる瞬間を見たことがあるけど肉眼で、ボクのこの目で見たのははじめてだった。
それがどんなに恐ろしいことかわかる?
はっきりいうよ。
ボクはすっかり怯えきってしまった。やっと勇気を出して家の外に出られたのに。
嵐は一晩中つづいて、終いには家が揺れた――正確には、地面が揺れた。地震だね。
ボクは生まれてからいままで地面が揺れる経験なんて数えるほどもなかったから、ああこれで世界が終わるんだと思って、ベッドのうえで悲鳴をあげたよ。
「やめてよ! やめて! 助けて!」
誰にいったのでもない。誰に頼んだのでもない。どちらにしても効果はなかった。覚えている悲鳴はそれだけで、それからさきはなにを叫んでいたのかも思い出せない。
ボクは嵐と地震がおさまるまでずっと喚いてた。
銃を握っていると、次の瞬間には自分のこめかみを正確に撃ち抜いていそうな気がして、かなり早いうちに箱の中に閉まってた。
目を開けていると目に入れたくないものを見ようとしてしまうから、布団の中に潜って全身全霊の力をこめて瞼を落とした。
どれだけ騒いでも外に聞こえないように、自分で枕に顔を押しつけた。
「助けて! パパ! ママ! ボクを助けに来てよ!」
祈り、かな。懺悔かもしれない。いろいろなことを叫んでたと思う。ボクがこんな苦しい思いをするのはボクが悪いからだとかとも思った。ぜんぜんちがうんだろうけどね。
理不尽すぎたんだ。
不条理すぎたんだよ。
ボクはむかし、ママの本棚に隠すようにして挿してあった、ヘンテコな小説を読んだことがあった。まだ十歳くらいだったと思う。
その話はママが死ぬところからはじまっていて、主人公はママが死んでしまったことになんの感情も抱いていなかった。ボクはそんなはずないと思っていたから、乾いた感想に強がっているんだろうと感じていたんだけど、その先まで読んで感想が変わった。
ボクはボクの周りで起きている異常な現象になんでもいいから説明をつけたかった。
たとえば、これはボクに与えられた罰なんだとか、本当になんでもよかったんだ。
君だったらどうする? なにを思う?
とつぜん世界に放りだされて、賢明に生きているとき、すべてを台無しにされたら。
そうなんだ。
台無しにされていってたんだよ。
家が吹き飛ばされて作り変わっていくのとおなじように、ボクはボクの家の前の道が作り変わっていくのに気づいてたからね。
また外にでるのが怖くなっちゃったよ。
だって、嵐が起きる前に家を出て、嵐が起きる前に家に帰らないといけないんだからさ。
そうしないと、たとえば、遠くのどこかの家で目を覚ましたとき嵐が過ぎ去っていると、帰り道はわからなくなっているかもしれない。
もっと正直にいおうか。
ボクは、まだ、嵐と地震と世界の関係に気づけていなかったから、やっとの思いで辿り着いた陸地が鯨の背中だったと気づいただけだったんだ。
生きた鯨だよ。
気まぐれにそこに浮いていてくれただけの、巨大な鯨だ。
鯨は優しいやつかもしれないけれど、信じて背中で暮らしはじめたとしても、いつ海の奥深くに潜ってしまうかわからない。
ボクが拳銃とリュックサックとなけなしの勇気で探索した、ほんの数ブロックは、嵐と地震のせいで未踏の世界に姿を変えた。
「……嘘でしょ?」
ボクは呟いた。呟くしかなかった。
ボクが家々に置いてきたメモは無意味だったかもしれないし、有意味だったかもしれない。答えはいつまでもわからない。
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