最初の旅の話

 ボクはお世辞にも運動ができるほうとはいえなかったし、もう気づいているかもしれないけれど、一度は行けてた学校に行けなくなっちゃうたくらいに臆病だった。


 たかが学校だよ?

 パパもいってたけど、ボクの長い人生のうちの、ほんの短な瞬間でしかない。

 ちょっとだけ勇気をだして、ちょっとのあいだだけ我慢できれば、すぐに流れ去る期間さ。


 いくら怖いっていっても学校には守ってくれる大人がいるし、助けてくれる先輩や同級生がいる。そんなに多くはできないかもしれないけど、友だちだってつくれるはずだよ。


 なにも殺されるわけじゃない。

 ちょっとだけ勇気をだしてみないか?

 そんな言葉を素朴に信じて学校に行って、ちょっとからかわれて、ちょっと小突かれて、でも誰も助けてくれなくて。ちょっとのあいだだけ我慢しようと思って、パパやママに平気だったといって。


 ボクは夜中に叫んだ。

 夢を見たんだ。学校の夢。突き飛ばされて、蹴られて、持ち物をぶち撒けられて、拾おうとしたら取りあげられて、取り返そうと立ちあがるとすぐ蹴り転がされる夢をね。


 実際にあったことじゃない。

 学校がはじまってから一回だけ来たきりでしばらく顔を見せなかったボクが教室に入ってきたから、ほんのちょっとからかわれただけさ。だからボクは効いてないよと笑ってみせて、誰かが小さな声でキモっていった。それだけだよ。先生はなにもいわなかった。それだけ。


 ボクは弾を込めた銃を握りしめて、耳を澄ました。


「来るなら来い。やってやる」


 ボクのキルレシオは一.八だぞ。――ゲームの話だよ。一回死ぬまでに二人くらい倒せるって意味。つまり三人いっぺんにきたら負けちゃうくらいの実力ってこと。下手でもないけど上手くもない。ホント笑う。でもボクは真剣だった。なんでもいいから、すがるものが欲しかったんだ。


 耳鳴りがうるさかった。

 本当になんの音もしないから、心臓と息が本当に大きく感じるんだ。

 ボクはいつでも引き金に指をかけられるようにピッタリ人差し指を沿わせて、じっと襲撃者を待った。確信にちかい予感があった。


 なにも起きないまま朝になった。

 ゲーマーの勘なんてそんなもんさ。ましてボクみたいな、本当に戦ったことのない、戦いに行ってちょっとからかわれたくらいで逃げ帰ってきたゲーマーなんて、本当にそんなもん。


 布団を被ってたせいで朝が来たのに気づかないくらいだったよ。

 なんかおかしい。

 明るすぎる。


 そう思って外にでたら目を焼かれた。目を細めながら窓辺に寄って、銃口を窓の外に向けながらカーテンを指で開いた。


「……嘘でしょ?」


 ボクは呟いた。よく覚えてるよ。

 誰に聞いたの? 知らないよ。

 なにが嘘? 簡単さ。

 夢じゃなかったんだ。いやちがう。まだ夢を見てる。いやちがう。これが現実。


「嘘でしょ?」


 ボクはその場に座り込んだ。足に力が入らなくなってた。

 世界は壊れた。ボクとボクの家を除くすべての世界が壊れてしまった。

 パパとママは帰ってこない。もうきっと、二度と帰ってこない。


 ボクは眠れなくなった。

 寝たくて寝たくてたまらなかった。寝て起きれば世界が元通りになるはずなんだって信じようとしてて、とにかく寝ようとして眠れなくなった。


 寝たらなにかが襲撃してくるにちがいない。だから寝ようとした。

 なんていうか、あまりにも音がしなくて、世界が壊れてしまっていたから、ボクの頭はおかしくなってたんだ。危ないやつでも、犬とか熊とか獣でも、このさい宇宙人とかモンスターでもよかった。とにかくなにかに来てほしくて眠ろうとしてた。


 あんまり一生懸命になって眠ろうとするから、そりゃ眠れなくなるよね。

 だから、それから何日起きてたのか覚えてない。

 頭が朦朧としてたのだけは覚えているけど、なにをしてたのかまったく思いだせない。


 ボクが冒険に出なくちゃいけなくなる日は、そんなふうにとうとつにやってきた。

 あるとき冷凍庫を開けたら、凍ったお肉が小さくなっていたんだ。とはいっても、怖い話をしようというんじゃない。いや、怖い話ではあるんだけど。


 お肉を食べたのはボクだよ。

 ただ、あと一週間もおなじペースで食べていったらなくなっちゃうって気づいただけ。


 ボクは食べ物を探さなくちゃいけなくなった。物音のひとつもなくて耳鳴りだけが聞こえてくるような世界で、お腹を壊さずに食べられるものをね。


 運がいい――そういっていいのかわからないけど、ボクは地平線しか見えない砂漠に放り出されたわけじゃなかったし、目が覚めたらベッドが海に浮いてたってわけでもない。


 だから、ボクは旅の支度をした。

 剣と盾の代わりに拳銃を持ってさ。リュックサックを背負って。それまでの人生で最も広くなった家の周りの一ブロックに歩み出たんだ。


 ボクが背負っていたのは学校に行くときにつかっていたリュックサックで、拳銃は腰のベルトに挟んでた。パパはホルスターを持ってなかったんだ。


 最初はバカな映画みたいにズボンに突っ込もうとしたんだけど、もし引き金が引っかかったりしたらと思うと、怖くなっちゃってさ。ベルトに挟むのが精一杯。


 リュックの中身は空っぽにして、それから、たしかマスクをポケットに入れた。映画やゲーウみたいにウィルスがどうたらとか、そういうんじゃない。ボクの家以外の家では埃がすごかったし、冷蔵庫をあけたとき中のものが腐ってると匂いが強烈なんだ。


 だから、ボクはいつでもマスクをできるようにして、外に出た。

 太陽はボクの頭のうえにあった。怖かったよ。太陽から浴びせられる熱じゃなくて、人とか獣とかが怖かった。待ち望んでいるのに怖くてしかたなかった。


 とりあえず、正面の家は腐った食べ物しかなかったのを覚えてる。行く前にね。右隣の家もおなじさ。腐ってはいなかったけど、荒らされて空っぽだった。


 行く価値があるのはどこ? 

 左だよ。

 ボクは挨拶もしたことがない左の家に入ってみた。なにもなかった。本当はいろいろなものがあったと思うんだけど、記憶しているだけの余裕がボクになかったんだよ。


 捜索を終えたらその正面の家。終わったら隣の家。なかったら対面の家――。

 そうやって、何軒くらい回ったかな?

 十軒はいってないと思う。五軒か、六軒か、それくらい行ったら交差路があって、それを踏み越えて奥の左の家に入ったんだ。

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