ちかくの家にはいったときの話

 もちろん、いまならわかるよ。木造で、平屋――だっけ? 二階建てもあるか。赤や灰色の瓦をのせた屋根があってさ。似たような形の壊れた家がいくつもいくつも並んでた。


 あのころのボクにはわからなかった。

 ここはどこ?

 そう思うのが精一杯。すぐに足元を見て、振り返ったよ。ボクの知ってる家だった。当然だだよね。でも窓の外はボクの知ってる世界じゃなかったんだ。


 ボクの知ってるボクの家だと、パパとママの部屋の窓からは木が見えたんだ。なんの木かは知らないんだけど、まず家に沿って白い歩道があって、その少し奥に街路樹が並んで、その先に灰色のアスファルトで覆われた道路がある。


 でも、あの日は、すぐそばにブロックの塀があって、すぐに歩道。またブロックの塀があって、木があって、壊れた家があった。その隣は木がないだけでだいたいおなじ。隣も、隣も、隣もおなじで、道路によくわからないマークがあった。


 いまはわかるよ。

 止まれ。

 そう書いてあったんだ。ちょうど交差路になっててね。あの日は。


「なにがどうなってんの?」


 また怒られそうなことをいったよ。それどころじゃなかったんだ。

 ボクは急いで部屋に戻って服を着替えた。タンスの中身はいつもとおなじ。とりあえず汚れてもいい厚手のズボンを履いて、動きやすいTシャツにして、なんだかどうしても寒かったから、ゲームグッズの上着を着たんだ。モスグリーンの、陸軍の野戦服風の上着。ゲームのスタート地点がそういうところなんだよね。


 ともかく、ボクは上着の前を閉めて、お気に入りの赤いスニーカーを履いて、外に出た。


「……こんにちはー……?」


 ほかになんていえばよかった? 

 ボクのしょぼい声は、どこの誰にも届かなかった。ぜんぜん見たことのない風景。知らない土地になってた。家の二階から見たブロック塀はちかくで見ると古くなってて、ところどころ崩れてた。道路もそう。アスファルトに罅が入って割れてるところもあった。道は細くて、パパの車だとつっかえるんじゃないかって思った。


「どうしよ」


 声に出していったよ。覚えてる。いわなくてよかったんだろうけど、たぶん、いわずにいられなかったんだ。とにかく不安だったからね。


 落ち着こう。まずはそう、電話だ。

 ボクのことを褒めてほしいな。ボクは冷静だった。すぐに探索に出ないで家に戻って、まず家の電話の受話器を取った。


 何の音もしなかった。

 叩きつけそうになったよ。でも、なんとかゆっくり下ろしたよね。なにかメッセージが残ってないかとボタンを押してみたけど、なにもなかった。家の電話がダメなら携帯電話だ。


 ボクは部屋に戻って電話を探した。圏外になってた。

 じゃあ次は?

 ボクはパソコンの電源を入れた。部屋の机のうえのやつ。ボクが学校に行きたがらないからパパが買ってくれたんだ。できることをやろうって。すごい優しいよね。本当に。ボクがパパだったら文句いってないで学校に行けってやっちゃうかも。


 本当に優しかったよ。

 ――ちょっと待ってね。うん。大丈夫。泣いてない。

 ボクは電源が入ったことに驚かなかった。驚く余裕がなかったというべきだと思う。ポピって変な音を立てて、見慣れた画面がでてきて、ボクはこんなに遅かったっけって思った。たぶん、いつもとおなじだったんだけどね。


 アップデートなんてあるわけないし。

 ポスターとよく似た赤いデスクトップが映ったから、ボクはブラウザのアイコンを叩いて、ネットワークエラーをこの目で見たよ。


 そりゃそうだよね。電話回線が死んでるんだから、ネットにつながるわけがない。

 携帯電話は圏外でつかえない。次にできることは?


 ボクはベッドに腰掛けた。

 寝ようかと思ったんだよね。夢だよこれは、って。ちがうけど、わかってるけど。それでも一旦ベッドに横になって、息をして、目がギンギンに冴えてるのに気づいた。


「パパー!? ママー!?」


 叫んだ。もう泣いてた。本気で叫んだけど誰も答えない。何度か叫んで気づいた。

 こだましてる。

 ほんの微かにだけど、ボクの声が返ってきてた。ありえる? そんなことが。

 ボクはパソコンに飛びついて、また、うなだれた。だってネットにつながってないから。こうなるともう、やるべきことはひとつしかない。


 ボクは勇気を振り絞って家の外に出た。ちかくの家に入ってみようと思ったんだ。

 とりあえずは正面の家。世界がこんな風になる前に何度か手伝いにいった家だった。別に仲がよかったわけじゃないけど、ボクのことを嫌わないでいてくれて。


 変な感じだったよ。ブロックで作った塀のあいだに鋳鉄の門があってさ。まぁ、あのころは鋳鉄とかわからなかったんだけど、いまでも鋳鉄だったか怪しいと思ってる。


 家のドアは開いてたよ。壊れてたっていったほうがいいかな? 家が、ほんの少しだけ全体的に傾いていて、扉が開いてた。


「こ、こんにちはー……?」


 声が震えたよ。人の家に入ることなんてほとんどないし。とりあえず挨拶だけして、怒られたら謝ればいいやって。普段なら絶対にできないようなことをやってるんだけど、非常事態だからって、おおきな気持ちになってさ。


 最初はすごく変に感じた。ドアのすぐ奥は一段、高くなってて、手前の低いところに靴がいくつか散らばってた。そこで脱ぐんだろうなってわかったけど、家の中に割れた硝子が散らばってるのが見えて、悪いことをしてるのはわかってたけどそのままあがった。


「こんにちはー……? 誰かいますかー?」


 って、自分でも笑っちゃうくらい小さな声だった。靴の下で、埃とか、剥がれた壁の一部なのかな? なにかがジャリジャリ鳴った。


「誰かいませんかー?」


 怖かったよ。返事はないし、壁のスイッチを押しても電気がついてくれないしさ。それにボクが住んでた家のちかくは、だいたいみんなおなじ形をしてるはずで、たぶん中身も似たりよったりだったはずなんだ。


 なのに、その家はボクの家とはまるでちがった。部屋の、間取りっていうのかな。それはもちろんなんだけど、壁と床とか、ほとんどなくなってたけど家具とかさ。ほとんどぜんぶ見たことない形だった。


 もちろん、いまならなんでちがうのかはわかるんだけど。

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