第19話.大地讃頌(だいちさんしょう)
その名にチャスは拳を握り締め、ミカエルはわずかに驚きのためか喉を鳴らし、それからチャスの方を見た。
「――行ってイイ?」
「好きにせい。酔っぱらって眠っておるのはいつものこと」
チャスは頷いて、それからまだ手を握り締めているミカエルを見上げた。
「あのさ。――一緒に、」
「行こう」
子どもみたいだって思った。父親に会うのに、一人じゃ行けないのなんて。姿は覚えていない。自分と妹が小さい頃に消えてしまった、妖精界に戻ってしまったと聞いた。
もしくは人間界で違う女に手を出していたのかもしれないけど。ティターニアはその場で立ち止まったまま。妖精達もついてこなかった。
手を離して先に岩を乗り越えて、立ち上がる。同じように岩の上に昇って来たミカエルの気配を感じながら、チャスはそこから下の草の上に寝ている妖精王を見下ろした。
ティターニアの夫、妖精王オーベロン。それが自分の父親だと聞いた。ティターニアもそうだけど、オーベロンにも会ったことはない、見たこともなかった。
ティターニアは背の高い美女なのに、オーベロンは背の低いノームのようなずんぐりむっくりな体型。
腹が突き出ていて、酔っ払い特有の顔で頬を赤く染めていびきをかいて眠っていた。
チャスは岩の上でしゃがんで膝を抱えてそれを見下ろす。
「チャス……」
「……俺の母親、なんでこの人と結婚したんだろ」
全然かっこよくないじゃん。てか、年取ったら、俺もこんなになるの?
どうでもいい感想を呟いたら、肩に手が置かれる。苦笑した気配が横にあった。いびきが定期的に聞こえてくる。クスクスと笑うのは妖精達の気配。
チャスは「よいしょ」と言って立ち上がる、それから背を向ける。ミカエルが先に滑るように下りる。それから手を差し伸べてくる。
「いいよ、俺。自分で下りるから」
「こういう気分なんだ」
それでも無視して下りようとジャンプの体制を取ったら、脇の下に手を入れられて抱え込まれる。
「……っ、なんでアンタ。いつも」
「こういう気分なんだ」
地面に足を付けさせられて、チャスはハーッと息をついた。このまま抱きかかえられていたらどうしようかと思った。――でもしかねない。こういう気分ってなんだよ。
「――これでも、昔はなかなか美形だったのじゃ」
不意にティターニアの声が響く。少し離れた先にいた女王が淡々と声を発する。
「妖精界どころか、自然界、天界、魔界に名が響くほどの見目の良さ。だったのじゃ」
ティターニアの声が言い訳するような、どこか不服なものに聞こえて、チャスは吹きだしそうになって慌てて堪えた。
笑ったら失礼だろ。なんか怒らせたら怖いし。
「あのさ」
なんかいつもならば聞かないケド。少しは質問してもよさそうな雰囲気だから聞いた。
「なんで、俺に会わせてくれたの」
女王はしばらく黙る。いくら妖精王とは言え、夫の不倫の子じゃん。
女癖が悪いと聞いてるしあちこちに手をだしている、いちいち手を差し伸べていたらキリがないし、だいたいムカつかないの?
そんな言外の声が聞こえただろうに、女王はこれまでと同じ無表情でゆっくり口を開く。
「――生まれた子に責任はない」
「……」
それに、と女王は続けた。
「すべての妖精は我が子じゃ。我は全ての妖精の母」
ちょっと驚いて思わず聞いてしまう。
「えと、じゃ、俺も?」
「お前もじゃ」
淡々としていてそれ以上の言葉を失う。これって肯定?
「他に聞きたいことはあるか?」
なんか、すげーいい人なのかもしんない。すげーとつけるのは、間違えてるかもしんないけど。それに人じゃないし。
「俺の力、も、オーベロンから受け継いだの?」
アンタの夫、とか王様とか言うのもなんかできなくて。でも呼び捨てても注意されなかった。
「妖精を従わせるのは王の力。その片鱗を受け継いでいるなら当然」
「はっきり聞くけどさ――俺が、魔法を消してしまうのはその、せい?」
魔法は六の魔法属性を従わせて発現するモノ。自然界のエレメントとは似て非なる物として言われてきたがそうなの?
「妖精王は妖精を従わせる。六属性など、人間たちが枠組みしたもの」
「俺、魔法、使えないケド」
「そういう能力、だろう」
チャスは黙った。ティターニアにしたら、面倒をみなくていい浮気相手の子に十分な施しをしてくれたわけだ。
「あのさ。父親に会わせてくれて、能力も教えてくれて、サンキュ」
女王は答えなかった。ただ表情に出さないだけ。次に何を答えようかと迷っていたら、背後にいたミカエルがチャスの肩を掴んでいた
「――妖精化を止める方法は?」
チャスはそこまで聞くつもりはなかった。何となくなりゆきまかせというか、このままそうなるのかもな、という程度。
「現実世界のほうに執着が強くなれば、それもあり得よう」
ミカエルの存在感が増す。妖精界では、全てが吸収されていくような、全ての存在が薄いのに、いきなり濃い。今にもそうしてやる、という感じにチャスは慌てる、なんか画策されそうだし。
「こちらは、世俗とは無縁の地。痴話げんかをするのであれば、表の世界でやればよい」
「そうしよう」
てか、アンタ女王に喧嘩売ってる、わけじゃないけど。なんか決意みたいで、嫌だ。
「あのさ――」
チャスが言いかけると、女王がチラリと見た。その目は何も映さないけど、無関心じゃないって感じた。
「来たければ、来ればいい――いつでも」
その言葉と共に、金色の光が襲い掛かってくる、そして渦になる。ミカエルがチャスの腕を掴む、同時に二人はそこに吸い込まれた。
外の世界では、救急車と警備会社と警察と魔法師団が取り囲んでいた。ミカエルの格好にぎょっとしたようだけど、すぐに救急隊が乾いた血に驚き救急車に案内してついでに下半身にタオルをかけていた。
寄ってくる幹部に色々指示を出している姿を見ながら、チャスはその塊に背を向ける。
「チャス!!」
ざわめきにかき消されない音量の声が自分の名を呼んでいる。けれど、ミカエルは忙しすぎて集団を振り払えない。
「チャス!」
そして自分の方にやってきたのは、魔法師団の恩師――というほどでもないような、一応馴染みのある顔のセンセ。ひどく心配している顔に笑う。
「大丈夫なの?」
「へいき、へいき」
「平気じゃない、顔色悪いし、痩せた?」
「んー」
痛い程後ろからの視線を感じるけど、チャスは目の前に集中しているふりをした。
正直、目の前のセンセは何も知らないから向き合えて、自分の色々をはぐらせる。誤魔化せる気がした。後ろは振り向ことが――怖かった。
「あの方は?」
センセが呟いてそちらに向かおうとするのを腕を掴んで留める。
「うちの偉い人」
「ミカエル・アンジェロです。アンジェラグループの人間です」
「リディア・ハーネストです。彼の教師をしていました、現在は魔法師団所属です」
ミカエルの圧に戸惑いながらも、センセは負けていなかった。この人、生徒を守るってなると妙に頑張るからな、と思った。
「お怪我は大丈夫ですか? よろしければ私は治癒魔法士なので診ますが」
「お心遣いだけで結構です、うちは診療部門を持っているので」
リディアは頷き、それからミカエルと二人でチャスを見てくる。それが気まずいけど、そんな態度を見せたら何かを感づかれてしまう。
今は嫌だった。むき出しの感情を二人に隠せない。
「とりあえず、チャスはうちの病院で診察をさせるので」
ミカエルがそう言い、リディアが躊躇いながらしばし黙る。だからチャスは遮る。
「俺うちに帰る。悪いけど」
二人が同時に眉を顰めるのを見てチャスは力なく笑った。
「事情聴取ならミカエルが受けてよ。その代わり、今度ちゃんと話すから」
背を向けると、センセの声が響いた。
「チャス、何か――あったら、いつでも連絡して」
そして付け加える。
「ううん。何もなくても二十四時間、いつでも電話していいから!!」
この人、時々無茶するんだよな。今では教師でもないし、教師の時も仕事に追われてたのに。ミカエルがどんな顔してるか。
「あのさ」
半身だけチャスは振り向く。チラ見したミカエルは案の定苦い顔をしていた。なんか自分の仕事をとられたつーやきもちのような。でも二人してそんな構わないでいいのに。
「センセはもうセンセじゃないじゃん。じゃあ、俺と今の関係は何? 元センセ?」
センセの顔が強張る。そこまで踏み込むから。
正しいのは元先生。でも”元”だ。ならば、お愛想でいいのに。本当になんでそこまでこの人、言えるんだろって思った。
「――私は、確かに元教師。あなたのと関係は同じ魔法師で、知り合い」
センセは、『卒業したら同じ魔法師同士。この世界は狭いから今度は同じ仲間だ』ってみんなに言ってた。その他の関りはないのかも。
友人でもないし、残る関係の説明としては”知人”ぐらいだ。
そして、ミカエルは、ただの雇用主。偉い人。
それから、自分の母親も父親も、もう元母親で、元父親なのかもしんない。
「でも、あなたはチャスで。私はリディア。その他に関係づけが必要? それがなきゃ関わってはいけない? 前のような称号がなきゃ心配したり、入っていけないの?」
「……わかんね」
わかんないけど。センセらしいって思った。一生懸命なのか、普通に考えてなのか、一個人としての関係でしょ、ていうことなんだなって。
「連絡、するかしないかわかんないけど。サンキュ」
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