第18話.夏の夜の夢

『くさーい。にんげんくさーい』

『やだあ』

『血の匂いがする』


 何か飛んでいる。見ると羽のある人間のようなもの。それがあちこち飛び回り、こちらを見ては去っていく。


「ミカエル、ミカエル!」

「う……」


 うめき声と共に、上の存在がもぞり、と動く。それから潰したチャスを見て慌ててどく。同時に虹のような光が煌めいて、ミカエルが人間の姿になる。


「チャス、大丈夫か!?」

「アンタ、重い」

「すまない」


 ミカエルがチャスを引き上げて、それから座ったまま身体の左右を叩いて、抱擁するように頭を抱きしめて確かめる。


「怪我は?」

「ない。アンタに庇われたし。てーか、アンタの方が怪我したし」


 再度引き離して怪我を確かめるミカエルを見て、チャスは顔をしかめた。ミカエルはあちこちに血がついているが、流れているものはない。盛り上がった皮膚は、傷が治って瘢痕化しているだけ。


 立派な胸筋と腹筋だ、股の部分は座っているから見ないですんでいる。こないだは服を着ていたから裸体は見なかったけど、やっぱり獅子の名に恥じないほど恵まれた体格だ。


「アンタ、怪我治ったんだ」

「ああ――。変態すればある程度は治る」

「……ハーフビーストだったんだ……」


 ハーフビースト、半獣の意。だけど、自分のように妖精と人間のハーフじゃなくて、獣に変態できる種族のこと。人間の知能とその種によって違うが、大抵は獣の力を持つ。いると聞いていたけど実際に見たのは初めてだ。


「一族に昔その血の者がいたらしい。親から受け継いだというより、先祖返りだ」


 だからその強さ、そして聴覚の良さか。弾を受けてもある程度はじき返す屈強な身体、――そう思いチャスはいきなりミカエルにつめよる。


「てか。無謀だってば! いくらビーストでも機関銃だぞ、アンタ死ぬトコだった」


 近づけばいきなり腕を引かれて、抱きしめられた。


「心配してくれてるのか?」

「ちょい待てって。裸の男に抱きしめられたくねー」

「――それでも、無事でよかった」

「……」


 感慨深くて、しみいるような声で。チャスは力を抜いた。硝煙の匂いがまだ自分の身体に染みついている、音のせいで耳がおかしい、感覚も上空から落ちて変。

感情も無くなっていたはずなのに信じろって言われてももうヤケだった。

頭をぐりぐりと上から顎で撫でられて、ハッと気づく。なんだよ、この遊び。


「じゃなくてさ――」

「平気だ。アレは威嚇、撃つ気はないとわかっていた」


 頭をぐりぐりされているのを振り払うと言われる。


「あれは民間軍事会社のグリフォン、雇われだ。グレイスランドの魔法師団と提携しているうちと喧嘩するわけにはいかないだろう」

「じゃ……」

「内通者がいる。あの人質はジェフの元恋人だ、つまり――」


 チャスは大きくため息をついた。ジェフの手引き、狙いはやっぱり研究所。


(アイツ、ヒトのケツ触りやがって)


 ――マジ、後で制裁してやる。


「チャス、何を考えている」

「いや、もう何でもない」


 なんか言ったらめんどー。


「制裁するなら俺がしてやろうか」

「いいよ。自分でやる」

 妙に目が据わっている奴に軽く手をふるのに、そのマジな目は逃げさせてくれない。


「どうせ、会社としては師団と警備会社とで既に捕まえてんだろ。弁護士に任せなよ」

「俺の気が――すまない」

『――人間ども。勝手に入ってきて、挨拶もないのか?』

『――無礼者、無礼者』『――くさーい。人間くさーい』


 ミカエルがまだ言い続けるのを、阻むのは周囲のかん高く小うるさい声。羽虫のようにキンキンしていたのが、いきなり静まる。


 ――まるで、教会の中へ重い扉を開けてそっと忍び入び、声を発してはいけないような静粛な雰囲気に包まれる。


 ミカエルがチャスを庇おうと後ろに下げようとしたのをチャスは留める。とりあえずパーカーを投げて、裸の男に「下、隠せよ」という。


 目の前には、小人、飛び回る光、それから長い緑の髪の美しい女性。

彼女だけが、すくりと立っていた、背は人と同じくらいか。


『やい、人間! なんで入って来た』

『何で入ってこれた!』


 森の中のような木々から木漏れ日が漏れている、その影と光、半々の中で立つ女性は無表情、年齢不詳の冴え冴えとした美しい顔、それがチャスをじっと見ている。


 その目はチャスだけを見ている。何を考えているのかわからない、喋っていいのかもわからない。


 ただ。あちらから出向いてきた、興味はあるのだろう。ビロードのように美しい緑のドレスに包まれたほっそりとした美女の正体は――妖精の女王ティターニア。


 そしてここは妖精界だ。


 先制して喋るか、それとも待った方がいい?

 迷いは一瞬、先に動いたのは女王だった。彼女はチャスの後ろに目を向け、それから二人を睥睨した。


「そなたら、なぜここに来た?」


 声音は思っていたより普通だった。妖精たちが声高でかしましいのに比べて聞き取りやすい。何かを言いかけたミカエルをチャスは手で制する。


「ずっと――呼んでいたろ、だから、来た」


 妖精の欠片がチャスを誘っていた、そのサークルに入ればこの世界に来れるとわかっていた、だから来た。そう言えば女王はしばらく黙る。


「そなたらは人間じゃな。半分妖精に、半分獣。どちらも半分人間」


 だが、とツイと女王はチャスに目を向ける。長いまつ毛も緑色、瞬かない目でチャスを見据える。


「そなたは妖精になりかけ。妖精になりたいのか?」

「――なりたく――ね、よ」


 チャスの返事は聞いていないかのようにティターニアはミカエルに目を向ける。


「そなたは? 妖精とは縁がない。人間ではないかられたが、なぜ来た」


 ミカエルは立ち上がり、片膝をついて頭を下げる。なんかソレ、自分で渡しといてなんだけど男の腰に巻かれててちょっとヤだ。

 つーか、隙間からほとんど見えているぞ。


「失礼、妖精の女王ティターニア殿か」


 そう呼んでも返事がない。違うと言わないからそうなのだろう。チャスも女王には会ったことはないが、感覚でわかった。


 この人がそうなのだと、ミカエルも感覚で察知したのだろうか。ハーフビーストは人間よりも自然界に近いが、なまじの獣よりも上位の存在。ましてや獅子ならば、それらを従えてしまう。だからか、妖精とも相性が悪くないのだろうけど。


「勝手に入り、失礼した。緊急事態だった」


 女王は答えない。代わりにティターニアはチャスにまた目を向けた。


「そなた、父親に会いたいか」

「え……」


 いきなりの直球。しかも無表情で問いかけられている。これ何のこと?


(……ちょと、待って、よ)


 いきなり妖精の国に来ちゃったけど、狙ったわけじゃないし。いきなり女王に遭遇しちゃったけど、それも想定外だし。


 騒いでいた妖精たちも静まり、木陰や池や葉の裏に隠れてしまった。チャスは座ったままで女王と対峙している。その両肩にミカエルの両手が置かれる。


 ハッと気づいてようやく意識をこちらに戻す。


「チャス。会いたかったら会えばいい。会いたくなければ、断ればいい」


 ――これまで、父親に会いたいとは不思議と思わなかった。妖精だ、会えると思わなかったし、勝手に出ていった。あんなに母親には執着していたのに。


「あのさ。会いたいと言えば、会わせてくれるの」


 時間稼ぎのように自分は問いかけていた。女王はこれまでと同じように、チャスを見下ろしていた。


 ――会えるのはこれが最後なのか、それとも違うのか。グッと背後の手がチャスの肩を強く握っている。その手にチャスは自分の手を重ねた。


「……会わせて、よ」


 女王は静かに背を向けた。そして歩き出す。ついて来いという意味だ。


 立ち上がろうとしたけれど、ずっと座っていたためわずかに体が揺らぐ。その手をミカエルに引き上げられて、立ち上がる。


 そして滑るように歩く女王の背とその周囲を飛び回る妖精を追った。


 木漏れ日の中、緑の芝の絨毯を歩んでいるとミカエルが尋ねてくる。その声は潜めてもいないが大きすぎもしない。興奮もしていない、早口でも怯えてもいないし、堂々として普段の会話をしているような感じ。


 ていうか、あの肩を触れた時からずっと手を握られてる。なんでかわからないけど、怯えてどうしたらいいかわからないから、何となくその手があることがホッとしていた。


(女の子の手を握って、歩いたことってなかったな……)


 付き合ったことはあったけど、学生時代だし、何となく遊んで、何となく一緒にいて。飽きっぽいし特に大事にするほど大きなこともなく、いつの間にか別れていた。


 今こうやって、怯えて逃げたいようなでも逃げられないような、そんな感じの時に握られていると、逃げない自分がいて安心する。


「ここは妖精界か」

「そうみたい」

「ティターニア女王に謁見したのは初めてだ」

「……俺もだって」


 思わず小さく笑う。なんだそれって。


「――銃撃戦に巻き込んで済まなかった」

「それって、アンタのせいじゃないし。謝るもんじゃないし」


 今頃は――魔法師団が突入して何とかなっているだろう。でもミカエルは自分の社員が心配だろう。こんなところにいるより早く戻りたいだろうに、それを見せない。


「――地上は俺が消えて、大騒ぎだろうな」


 少しずつ明かりが強くなる。木々が減っていく、開けた場所に向かっているのだろうか。父親、そんなものに会う実感がない。女王の真意がわからないけど、会ってから考えればいっか、と開き直る気持ちが大きい。


「――ソレ。妖精界は時間が経たないって」

「そうなのか」


 少しだけ安堵の表情を浮かべたミカエルに、チャスもホッとした。時間を経たないでミカエルを帰してやれる。


「俺こそ、こっち。連れてきてゴメン」


 巻き込んだのは自分だ。


「ちゃんと、アンタを帰してやれるようにさ。頼むから、女王に」


 女王とは無表情で会話が成り立っていないようだけど、一応言葉は聞いてくれてる

し。そう言えばぴたり、とミカエルが足を止めた。


「何だ、それは」


 いきなりの不機嫌な声に、チャスは「え」、とミカエルを見上げた。自分より半分以上大きな体、それが覆いかぶさってくる。


「――それはどういう意味か」

「だからアンタを元の世界に帰してくれるように頼む。つか、連れてきてゴメンって……」

「それは――俺だけ帰るという意味か、そして俺を巻き込んだことを謝っているのか?」

「そういう意味だよ」

「チャス……!」


『うるさああい』『いやあだ』


 いきなりの周囲の声にチャスとミカエルは黙る。振り返ったティターニアが静かに、無表情で二人を見ていた。慌てて黙る二人を尻目に、女王は指で岩を指さす。


「オーベロンは岩の向こうじゃ。寝ている」

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