第13話.秘密の花園


 PP個人端末がないのは痛手だった。すぐに魔法師団とミカエルに連絡にしなきゃと思うけど、ミカエルに取られたまま。別になくても平気だったけど今すぐの連絡手段には必要だった。が、持ってても師団にはつながらないだろう。


 表用窓口を通さないと連絡がつかない。主要メンバーに連絡を取る機会なんてなかったから、方法なんて知らない。でも無茶なことをすれば、ジェフ達にも感づかれる可能性もあるし。


 やっぱり直接話したい、ただ今すぐに会いに行くのも見張られてるだろうしな、と思いながらまずは家に帰る。

 

 と、さびれた倉庫地帯にレンジローバーが停まっているのを見てチャスはぎょっとして自転車を止めた。メタルダークグリーンの前に寄りかかるスーツ姿の男性に知らず足が下がっていた。気圧されてる、なんでだか。


 まるで肉食動物に獲物と認定されて逃げなきゃいけないと本能が訴えてるみたいだ。


「昨日、検査を最後まで受けたのか?」

「……う、ん」


 ずい、っと目の前に立たれ、今度は足を下げないようにこらえてる。見下ろす瞳は金色が散らばる瞳、微かに香るのはアニスシードと八角だ。口元を引き締めていて、何かを言いたげだ。


「ならなぜ、逃げた」

「めんどーだった、から」

「PPを置いてまでか」


 ミカエルがPPを左手で掲げてくる。彼の手の中ではちっちゃな名詞みたいだ。投げてくるからチャスは受け取る。


「初期化してまで俺に会いたくなかったか?」


 PPは国民にとっては自分の相棒。なのに遠隔操作で初期化してミカエルの下に残し逃げたのはよっぽど逃げたいとの意思表示だろう。


「そこまで嫌がられたのは……俺の自業自得だな」


 その顔が陰っていて、チャスは話題を変えるように口にする。自分に執着されるのは苦手だ。違う、そんな経験はないからどうしていいかわからなくなる。


「ナンシーが探してたケド」

「……」 


 ――やば。どうせ本人ナンシーが騒いでんだから口を出すべきじゃなかった。たぶん、この場の会話から逃げたかったから。ナンシーには全く反応せず、ただチャスの怯えた顔に気づいたのだろう。


 小さく目の前が息をついて、前髪をかき上げる。


「俺はお前を怖がらせているのか?」


 「チャス」と言って、彼が頬に手を当ててくる。そして前かがみになって近づいてくる顔。


 (あ、やっば)


 気にしてたかと思えば。こいつら、マジですぐ行動してくる。遠慮がないし容赦もない、勝手に雰囲気作ってくる。


 その顔を肘で押しのける。


「き……してくんじゃねーよ」

「キス、ダメだったか?」


 チャスの押しのけた腕を掴んで、距離が近いままのぞき込んで聞いてくる。


 自分とは骨格が違う頬やあごの線。微かに伸びてきた髭、夕方になっても髭のない自分の顎とすべてが違う。


「キスとか言うな!……てか、なんで、男バッカくんだよ」


 俺ねーちゃんが好きなんだよ。だんだんそう自分に言い聞かせなきゃいけなくなってきた。


「手放せよ」


 そう言えば無言で離れた手。諦めた手に、おかしいと思わなきゃいけなかったのに。


 チャスはようやく自転車を放りなげるように壁に倒した。その背が一瞬黙って、それから背後に近づいたのを感じて、またヤッバと思った。


「――男ばかりというのは、なんだ?」

「は……って、え?」


 ヤッバ、と思った。俺、失言ばっかじゃん。意図して言う時もあるけど、コイツは敏い。


「今日、ナンシーに呼び出されていたな。それと関係があるのか?」


 黙れば、更にミカエルの顔が強張る。


「……ジェフ、か?」


 チャスは肩をすくめた。こんぐらいは予想できなきゃ、トップにたてないだろう。


「……話さなきゃいけないことがあるんだ、俺の部屋、あがれよ」






 三階までチャスは先導するように駆け上がり、ミカエルを入れる。ベッドと椅子とテーブルしかない部屋。


「――ここで変なことすんなよ。椅子そっち」


 チャスは簡素に命じて振り返る。ジャケットを椅子の背に折り畳んでかけた後、椅子に座ったミカエルの下で椅子がみしりと音がした。


 車内だとどっか連れてかれたらお手上げだし、でもおいそれとどこでも話していいものでもない。


 一応、狭い部屋に連れ込むことに躊躇はあった。けど、こんなボロ部屋。好みじゃないだろーし。一応喫緊の問題だ。


「具合はどうだ?」

「平気。健診の結果、アンタも見ただろ」


 もしくはドクターから聞いただろ、と言えば彼は黙った。


「雇用主なんだからいいよ。提出しなきゃいけないもんだろ」


 個人情報とはいえ、隠せるもんじゃない。それにチャスには見られても困るもんじゃない、既に修正済みだから。


「――正直、最近の君の、チャスの調子の悪さは納得していない」


 ポツリ、と呟いた言葉。デカい身体に子ども椅子に熊が座っているみたいだ。チャスは先日のボトルに流し込んだ水道水を口にした。出せる茶のようなものはない。


「ジェフはなんだと?」

「――俺がグレイスランドの防衛網を消去したのを知ってる素振りだった。ベイリーサクセスに誘われた」


 自分の能力は、グレイスランドの師団の中でも特級の機密情報だった。魔法なのかもわからない。ただ願うだけでその場の魔法を全て消してしまう。

 この世界で魔法を使っていない場所はない。全ての施設どころか国の防衛も魔法で組成をされている。


 今のところその能力を持つのは自分一人。どんな条件で、どのくらい最小の力で反対にどのくらいの力で、範囲はどこまでか、持続時間、発現に要する時間は――研究内容は幅広い。


 ベイリーサクセスは、バルディアの資本企業だ。


 チャスの能力が流失したら、グレイスランドは大きな痛手だ。

 バルディア出身だが今のチャスはグレイスランドに籍を置き、守ってもらっている立場。ベイリーサクセス、しかもジェフについていくつもりはないが、この情報が漏れているならば、どうしていくか考えなきゃいけない。


「ジェフには何と答えた?」

「アンタがなんで接触してきたか、どんな取引をしたか聞かれたから――愛人契約を持ち掛けられたって」


 その時のミカエルの顔はなかなか見ものだった。チャスはベッドに腰を掛けて、笑った。ミカエルは真顔になり、呆然として何と答えたらいいのか、と目が泳いだ、それから首をあげてチャスに目をゆっくり向ける。据わり、少し仄暗い目。


(あれ……やばいんじゃ)


「それで、チャス。お前は何と答えた。俺への返事をどうしたと」

「いやいや、そもそも作り話。アンタとしてねーし。ジェフにも何も」

「――なんで、愛人になる?」


 ジェフへの質問をはぐらかすため。ミカエルがゲイなのかは知られてないけど、このぐらいは意趣返しでいいだろ、と思ったけど……。


「んと、本命じゃないだろ」

「俺は愛人のつもりじゃない。本命で俺と付き合ってもいいのかどうか。今ここで返事をしてくれ」


 椅子から離れて、ベッドに座る自分の左右に手を置き正面にせまるミカエルにチャスは焦る。とりあえずお尻をずり下げると、更にずいと前に来る。


「そもそも聞きたかった。ジェフに何をされた」

「そんなこと、話してるばあいじゃねーって」


 情報が漏れてるんだぞ、そのことを話すために部屋にあげたのに。


「それを対処するより、先にそっちを聞いておく方が重要だ」


 何された、って両脇に置いた手をそれぞれ重ねられる。


「襲われたか? キスされたか?」


 安普請の部屋がきしんで、おまけに古いベッドが体重に堪えられなくて真ん中がへこんでチャスは倒れこむ。それに乗りかかるミカエル。


「されてーね。されてねーよ。キスしてきたのは、アンタだけだよ」


 乗り上げられて、顔が近い、切なさそうな目が迫る。ちかちかと点滅する切れそうな電灯の下で陰る。


「正直に言え。本当に逃げられたのか?」

「だからアンタが乗ると、ベッドが壊れる。アンタのデカいベッドじゃねーん……」


 身体が乗り上げられて。手が頬に添えられて、口が塞がれる。顎が持ち上げられて、苦情を言おうとした口が開く。舌が入ってきて絡められる。口が口で塞がれている、ようやく離れた口を押しのける。


 手がベルトのバックルにかけられている。自分の下肢を撫でる手に、マジで焦る。


「ないない。け、ケツを掴まれただけって! やり返したよ」


 なんで俺、こんなこと説明してんの。


「そうか」


 なのに、肉食獣の目はチャスの目をのぞき込んだまま。


「ケツを掴まれてどうだった?」

「ねえっ、て思った」


 嫌だって言ってんのに、声は上ずっていた。なのに、その手が中に入ってきてチャスは呆然とした。


「俺、襲われてんの?」

「襲う気だ」


 撫でる手が掴んできて、チャスは慌てて上から押さえた。


「女の経験は?」

「……」


 ぐっと言葉を呑み込むと、その手がさらに大胆になる。言わないとダメだというように握ってくる手に、焦る。


「ないない、ないってば!」


 女の子のデートは、本番はなし。そんな情けないコトを言わされて、チャスは睨みつける。


「男の方が、気持ちよいところはわかってる……まかせろ」

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