第10話. ご飯?お風呂?それとも…俺?
目を開けたら、まだ光はわずか。隣には誰もいない、この部屋は自分一人。
チャスは起き上がり、窓辺によってカーテンの端をのぞいた。やけに重厚。外側はダークブルー、内側はライトイエロー、それらをかきわけて窓を見れば、まだ夜明け前で外は見えない。
目が慣れてくれば、他のビル群より頭一つ分ぐらい高さが抜けている。
(……げ)
下手すれば昨日のレストランより高度は上じゃないか。確かあれは六十五階だったよな、と思ってチャスは肩を落とした。まさかこのマンション一つミカエルのモノじゃないだろうな、と思ってみたけれど、そのまさかは本当だろう。
(逃げられない)
別に逃げても、職場で会うけれど、検診が嫌だったからバックレたかったし、なんとなく昨日の失態を思い出させたくない。でも、そんなチャスの丸ごとの葛藤をすべて投げだして顔を突き合わせなきゃいけないと知らしめてくる。
これ、逃げ出せないってわかって連れてきたよな。っても、油断したし倒れたのは自分だし。
気が重いけど仕方ない。微かに聞こえてくるモーター音にチャスはそちらに足を向ける。
着ているのはサイズの合わないパジャマ。これイヤガラセだろ、ってまた思う。上衣だけにしたが、膝まで隠れる。ズボンを履いたら引きずる。
「クッソ」
上衣の裾を結んで、袖もまくりあげて、素足にスリッパをはいてそちらに向かう。少しずつ明かりが見えてきて、チャスは入口で止まった。
フロアの真ん中を占めるのは巨体だった。上半身裸で、片手腕立て伏せをする姿。沈みあがるたびに肩甲骨周りの筋肉が動く。床についている腕も上腕二頭筋、三頭筋がそれぞれ動く。しまったお尻から伸ばされた下肢は足先までまっすぐでわずかな角度は二十度ぐらい。
こんなのに比べたら確かに自分は女役かもな、と昨晩の夢を思い出す。
「――起きたか」
ミカエルが動きを止めて、起き上がる。モーター音は動いていない空気清浄機とマシンの電源が入っている作動音。カーテンが開けられたトレーニングルームは、夜明けを迎え始めた外の光が差し込み始めていた。
「そんなところに突っ立ってないで、来たらどうだ」
無言のチャスに彼は屈託なく話しかける。汗で髪がシャワーを浴びたみたいに濡れている。金茶の髪が、濃くなって殆ど茶色に近い。
「そこのタオルを投げてくれ」
チャスは、トレッドミルのハンドルの上に置いてあるタオルを投げた。
「眠れたか?」
「うん」
よく眠れたとか、そこまで言った方がいいのか考えてやめた。いつもならば、「帰るわ、じゃっ」て言って去るけれど。ためらっているのが、自分が吐露したことを相手がどう思っているかを気にしていることだってわかった。
忘れてよ、そう言えば怒りそうだ。でもなんで怒るのか、そうなると漏らした自分が悪いんだよな、って思うと自分にげんなりする。
「よかったな」
「――あのさ」
ん? という顔に邪気はない。でもそれに“裏”がないわけない。じゃなきゃ軍でもそこまで出世しなかったろう。御曹司だけど、鍛えた筋肉に、満身創痍の身体、グレイスランドの陸軍は実力主義者だ、そう聞いた。
そこまでして得た地位を捨てるならば、会社でだって存分に力を発揮するタイプだ。
「そこのバスルームならば、雲海がみられるぞ」
「は?」
「スパだ。雲海を見下ろして入浴するのはなかなか爽快だ」
奥を指さす腕に首を傾げる、なんでバスルーム。
「寝室は南向きだからな。ビルしかなくてつまらなかっただろう」
面白みのある情報? なに言ってんの、と聞きかけてチャスは無表情を作った。つまりカーテンを覗いたのを知ってる。気配か、音か、ただの予想か。
「アンタがシャワー浴びるなって言ったんだろ」
昨日は止めたくせに。
「そうだな、元気になったら一緒に入るか?」
背を向け汗を拭く姿に怒鳴る。
「入らねーし!」
「食事をする、シャツを着せる、同じベッドに寝る、一緒にふろに入る、残されてるのは何だ?」
「女としろ!」
「嫌がらなかったな?」
「嫌だったよ!」
「逃げなかったな」
「逃げられなかったよ!」
「――そんなに嫌か、検査が」
チャスは相手をじっと見つめた。どーしてこの人は踏み込んでくるんだ。それがもっとわからない。嫌だって示せばふつーは絶対に離れていくのに、まだ踏み込んでくる。
「嫌だよ。皆嫌がるだろ」
「人が嫌なのは事実を突きつけられるからだ。だが健診は、治療が間に合うからするものだ。予防治療ができないものは項目にない。健診も受けない、検査も嫌、何をそんなに嫌がる?」
チャスは答えなかった。
それ以上、ミカエルは聞かなかった。
「検査は朝いちばんにした。何事もなく終わったらメシに行かないか?」
チャスは首を振る。
「行かね」
ミカエルは無言だった、チャスはもう一度首をふる。何か答えなきゃいけないような圧があって、チャスは付け加える。
「家に帰りたいから。――昨日はサンキュ」
人間ドックの項目を終えれば夕方だった。一通り終えて、チャスはようやく施設のトイレにこもった。内視鏡は医師がそのまま見ながら行うから改ざんはできない、腹部エコーも技師がその場で見るから無理。ただその辺の検査はされても問題ない。
自分のMPでアンジェラグループの検査科にアクセスして既に出ている自分の結果を確認する。昨日も採血をしたんだからもうしなくていいってのに、またするんだからな、と思いながら適当に値を入力する。
胸部レントゲンやMRIは技師がすぐに見るが、読影はタイムラグがある。当たり障りのない人間の画像と入れ替える。
最後に、検査は未終了として、MPを閉じて個室を出る。システムエラー、医師が問診の終了チェックを忘れただけとする。実際予定より2時間早く終わったし、そうすればミカエルは来ない。
現に病院の出入口付近にはいなかった。
あのでかかい質量の身体がないことにホッとしたのか、もしくはなんだか残念のような、気まずいと思ったのに何なんだろ、と思いながらチャスは自転車のチェーンを外す。
そして軽快に立ちこぎで走り出した。
昨日のことは、非日常だ。魔法師団にいれば変わり者ばかり。認められようとひたすら強くなろうとしている者達だけど、自分は何となく生きているタイプ。
目立たなくていい。
(そーいうの、めんどいし)
葉がしなってきて値下げされたセロリと玉ねぎ、トマトを買う。途中でハムと黒パンを買い、紙袋に突っ込んで自転車で抱えながら走らせて、借家の壁に投げ出すように止めた。
元は倉庫だった建物の外階段を駆け上がり、その三階が自分の部屋。
スープにすればいいかと思い、部屋にあがり食材を机に投げだしてベッドに倒れこむ。
途端に光の欠片が寄ってくる。夜になるとやってくる、しかも月が満ちてくると増えてくる。学生の時はなかった。このところどんどん増えてくる。
「やめろよ、くんなよ」
自分が手で払っても後から後からたかってくる。精気を奪いにくる妖精になれなかった欠片。自分が弱まれば更にたかってくるとわかっているのに――どうすればいいのかわからない。
『強い存在がいれば――あなたを引き留めてくれるのだろうね』
ミカエルには全く寄ってこなかった。だから眠れた。そんなことは絶対言いたくなくて。
男に抱かれて眠った――。それで久々によく眠れたなんて。
(アイツが、ゲイなんて聞いてねー)
ミカエルのこれまでの噂では付き合っていたのは女だ。チャスは起き上がりMPを操作していくつかの情報を集める。軍にいた時も男に手を出したなんて話はない、清廉潔白。隊の中の女と付き合っていた話もあるが、綺麗に別れている。
なのに、自分には手が早い。グイグイ来る、襲われなかったが危うかった。いや、俺襲われたじゃん。何、許してんだよ。
『チャスは可愛いから』
『妖精族って惹きつけちゃう時があるから』
女の子に言われる時もあったけど、男に言われた時もある。
女の子に好かれるのなら有利だった。お菓子をもらえたり、授業の出席代理やノート、過去問を流してもらったり便宜を図ってもらえた時もあるけど、社会人になると調子がいいのは、いい加減につながり嫌われる。
そういうのはもういい、って自分でも思うから淡々と過ごすようになってきたのに。
「冗談じゃねーの」
なのに、アイツの前じゃはっきり言えない。
「なんで怖気づいてるんだろ、俺……」
ため息をつく。そういや、師団にまだ書類を見せていなかったなって思いながら浅い眠りに落ちた。
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