第9話.キスで目覚めは俺じゃねー
ぐるぐる光が回っている、満月を背後に小さな輪がぐるぐると。それは羽虫がたくさん連なり、まるで真珠のように己たちが光を放っている。
そして淡い光は惹きつけるように魅力的だ、歌か音楽が聞こえてくる。おいでおいでと呼んでいる。でもそれはいけない、そちらに行っては帰って来れなくなる。
来るなよ、呼ぶなよ、まぶしーんだよ。
『チャス』
だから……くんなよ。
『チャス、チャス!!』
「呼ぶなって!」
叫んで目を開けたら、目の前にデカい男がいて叫び……そしたら口をふさがれた。手じゃなくて顔だった。
のしかかっていたのは大きな顔で、唇で、息がつまる。相手は目を見開いててこれキス……?
頭が真っ白にな……じゃなくて、ヤラレル。マジ、やられる。
反撃しろって思ったのに、手はうごかなかった。呆然としていたら、口の中に舌が入ってきた。うそだろ、って自分の舌にそれが触れたらようやく我に返った。
まったく拘束されてなかった。
手は動く、ただ左手が顎に添えられていただけ。それから大質量が上にのしかかっていただけ。ぐっと左手で胸を押し返したらすんなりとそれは離れた。
チャスはそのまま左側に転がって、落ちるようにベッドから逃げようとしたら、寸でで首に腕を絡ませられた。
「っか、離せっ、離せ!!」
「落ち着け、チャス」
「おちつけ、かよ!! やられる、マジ、俺襲ってもたのしくねーぞ!」
「いいから、おちつけ」
そのままベッドの真ん中まで引っ張り寄せられて、気がつけば座らせられて目の前にでかいおっさん。
目と目が合っているのは、奴が自分の肩を押さえつけてのぞき込んでいるから。
「今、俺を襲ったの、アンタだろ……」
言いかけて口を手で押さえる。マジで、マジで今、口塞がされたよな。いや、勘違いだったかも。
慌てて口を押さえかけてやめる。夢だったら恥ずかしーし。それから腹を見て、下着を叩いて履いているのを確認。下着の中をのぞこうとして、男が目の前にいることを思い出してようやく顔をあげた。
「襲ってない、キスだけだ。けれど、チャス。お前は覚えていないのか?」
「何をだよ!」
「叫んでいた」
「叫んでたからってキスっておかし……じゃなくて、今のはキスとか違うかんな!」
「じゃあ、これはなんだ」
ミカエルが先ほどから周りを煩い程に飛び回る光の塊をでかい手で追い払う。喋れば口に入ってきそうな羽虫のようで、煩げに周りをみやる。
「お前は起きないし、うなされていてこれがどんどん寄ってきて顔にたかるし、そのうちひきつけをおこして、息を止めた。慌てて人工呼吸をした」
そっか、って言って改めて息を吐く。胡乱に、光を払う姿に声をかける。
「潰すなよ。潰したら、妖精にうらまれるからな」
彼はチャスには説明を求めながら、光には煩わし気な顔を向けている。
「――妖精になれなかった欠片みたいなもん、だってさ。羽虫と思っていいよ」
「なんだそれは。なんでチャスに寄ってくるんだ。毎晩か?」
うーんと考える。人に説明すんのめんどい。自分にもわからないし、色々聞かれても。
「なんかさ、妖精の精気を求めてくんだって。俺、一応その血をひいてるだろ」
で、眠っていい? って聞いて横になろうとしても、ミカエルの目が爛々と光っていて許してくんない。暗闇にひかる瞳孔、まるで獲物を狙う肉食獣で納得しないと許してくんなさそう。
ていうか、どんどんあの蛍のような光が消えていく。自分の時は追い払ってもなかなか消えなくて、朝になるまで煩いくらいなのに。
「あれじゃ眠れないだろう」
チャスの態度とこの現象、それによっておこる弊害、全て納得させろと求めてくる。説明なんて一番苦手なものを一番嫌な時間帯にさせられる。けれど逃がしてくんない。簡易な説明で逃げようとする自分には一番苦手な相手だ。
「……幽霊とかっているって言う奴いるじゃん。俺は信じてないケド。で、人間によっては弱っている時ソイツを引き寄せちゃうとか。そんなのとおんなじって例えられた」
「誰に」
「……妖精ってあんま人間界にいないだろ。食べ物とか空気とかあわないみたいだし、研究もさせないし。時々種族によって混血はいるけど、純血は一部の国に少数。俺……」
言うつもりなかった、って昼間言ったのにな。あの続きをまた話してる。話せって言う脅しでもなく、空気なのかな。
夜の中に沈んでいく言葉にチャスはまた口を開く。
「妹が生まれた後、施設にいたんだよ。家族から離れてそっちに入れられて。なんでかは聞くなよ、俺も知らないから。ただ、その時の職員に聞いたんだよ、俺がうなされている時に欠片を呼び寄せちゃうのは妖精のハーフの子にはたまにいるって」
大きくなったら、自然と消えるからって。おねしょみたいなものだからって。
「妖精の大人には、ないのか? うちの職員は妖精がいないが、社会にも少数だがいないわけではないだろう」
「完全な妖精は
「総合的に聞くと、チャス。お前が弱ってるから、たかられているのか?」
絶対そっちの話に行くと思った。
「しらね。幽霊の話だってそいつの話が本気かわからないねーもん。職員の説明もわからない」
「じゃあお前の感覚は?」
「寝たい」
中佐は案じる瞳を見開いて今度は面白そうに喉の軽く鳴らして笑った。この人喉も太いんだよな、全く自分とは違う。別に他人の体格を羨ましいと思ったことはないけど。身体がデカいのは身を守るには有利だよな、あとは女の子には好かれる。
「それだけ言えるならまだ平気だな」
「だから言ってるし」
「言っておくが『本当に何でもない』のと、『強がりの何でもない』、の見分けはできる」
チャスは動揺を見せない。ただこの人にごまかしは通用しないのもわかっていた。
「重症の一歩手間の平気もな」
「……」
「何か言えるか?」
「俺、舌入れられたこと許してねーかんな」
キス、とは言いたくない。人工呼吸でなんで舌いれんだよ。
「しかも二回されたし」
「一回目は舌を入れてない」
「……もうすんなってんの!」
「気持ち、よかったか?」
「っは?」
こいつ、頭おかしいの? 男にされた、そんなんで気持ちいいとかない。だいたいよくわからない状況だったから感想求めるってアリ?
「気持ちいいとかねーっ!」
「例えば、今ここでもう一度してみる。それで気持ちがいいかどうか、試してみたらどうだ?」
「俺はしないかんな……」
「何度でもいうが。俺はお前を好きだ、と言った」
なんで、なんて聞かない。理由はいらないし、本気かどうかも聞かなくていい。でも、聞きたくなって、チャスはその感情を打ち消した。興味なんて、どんどんなくなっているのに。
ミカエルの目が暗闇で光っている。やっぱそうだ。自分の夜目が効くからじゃない、妖精の欠片が光っているからじゃない。ミカエルの目は強く輝いている。
そして中佐にふれると、弾けるように妖精の欠片が消えていく。まるで欠片がにげていくよう。
「……アンタ、光に嫌われてるのかも」
「だとしたら、いい虫よけだろ。一緒に寝るのに丁度いい」
「――俺、もう寝る」
横になるとミカエルの身体が側でぎょっとする。
「触れるな、襲うなよ!」
くつくつと笑う声の後に、背中に枕があたる。なんでか、ベッドにはたくさんの枕があって、そのうちの円筒系のヤツだ。それを挟んでミカエルがチャスを背後から抱きしめている。枕を挟んでも手が腹に回せるってどんだけ腕が長いんだよ
「これならどうだ?」
「襲うなよ!」
「さてどうだか」
明かりを消した中、目を開けると中佐の身体にふれる前に、まるで遮蔽膜を張っているかのように欠片が消えていく。音はないが、ぱちり、ぱちりとそんな感じ。
『チャスは、可愛いね。まるで女の子みたい』
出たり入ったりした施設では、よく言われていたけど。母親の調子がいいと帰されて。ダメになると、また入って。
『髪が長いと、ホント女の子見たい。カワイイし、妖精って感じ。人間とは違うっていうか、ふわふわしていて、綺麗よね』
――僕、女の子みたいって言われたよ、お母さん。だから女の子になるよ。
男の子でごめんね、でも女の子になるからさ。だから僕じゃ駄目?
金色の光に囲まれるようになったのはいつ頃からだろう。五歳ぐらい、少しずつ他の子に気味悪がられて。
母親が迎えも来なくなって、ばあちゃんちに預けられていた時もある。
その人が頭を撫でて言ってくれた。その人も妖精の古い血が入っているらしくて、だから自分の娘がチャスの父親と、そういう仲になったことをどこかチャスに詫びているような感じがあった。
金色の光に夜になると囲まれるチャスを見てそう言った。
『子供は七歳までは神様から預かりものっていうから。だから、おまえもその歳頃までは、妖精が呼んでいるのかもね』
(――じゃあ、それ以降は? 今も呼ばれてんのかな?)
『妖精は、移り気で、執着がない。だからお前もこの世につなぎとめるものを持つんだよ』
(そういうものがないんだよ)
『じゃないと、すぐにあちらによばれてしまうからね』
呼ばれてしまう、そんな意味が今は少しわかる気がする。
『こちらにつなぎとめてくれる強い存在を見つけるんだよ』
そう言ったその人も、いつの間にか会いに来なくなった。
夜の中で、虫のように漂う光の欠片がチャスに近づく前に消えていく、たかってこない。
『できるだけ強い存在。他の世界の干渉を、妖精を払ってくれるようなね』
後ろの存在は女の子みたいに柔らかくないし、花のような匂いもしない。代わりにスパイシーな香りが残る、これはなんだろうって思いながら目を閉じた。
沈香のような伽羅のような。ばあちゃんが好きで部屋で焚いていた匂いに似ていた。
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