第8話.部屋とシャツと俺

 止めていた息をようやくし始める。あの人、すんげー緊張する。

 でも自分はバッカみたいな失態をして、フォローをされる。


 いつもなら気にしないのに、悪いような気がするのはあの目だ。

 威圧感があるのに、チャスを見ると妙に熱っぽくておまけにマジで案じていて真剣で、怒ったり、心配したり、自分が落ち着かなくなる。


 ガチャリとドアが開いて、ミカエルは立てるか、と聞いてくる。


「え、ああうん」

「部屋を変える。ついて来い。そのシャツはいるか?」

 妙に威圧的だ。さっきの言葉、なかったことにされたのか。


 シャツって、血の染みがついたやつ。いらないと言いかけて迷う。価値はない、血の染みがついていて汚れている。でも、これがなかったら着て帰る物がない。シャツがあれば、着る必要はないけど。


「いちおう……」


チャスは立ち上がり、寝具からでたら自分がブリーフだけしか履いていないのに気づいてギョッと慌てる。


「……ここ、アンタだけ?」

「そうだ。呼べば秘書が来る。朝食を自分で作る時も頼む時もある」

 

 さっさと行ってしまう。脱がされたのか、って焦ったケド、相手がそんなことに頓着してないなら話を蒸し返すのもアレだし。


 この家に二人だけって気にしたけど、腹をくくるしかない。


(でけー背中)


 太い腕に、背中の筋肉の上に盛り上がった肩甲骨。ホントに左右に身体が揺れない、なんでここに自分がいるんだろう。


 チャスもベッドから出てスリッパをはいて、ふかふか絨毯の上をあるく、靴下もないから全部汚したのか疑問。


 構うなって言っておいて、質問攻めもな。長い廊下をブリーフと血に汚れたシャツで歩く。


 男同士だけど、こんな薄着だ。それが危ういんだよな、とも思う。


「下は汚れていたから脱がした。上と一緒にクリーニングに出している、明日には届くから返す」

「そんな安も……」


 安物だけど、自分には必要。でも三枚五百エンで買ったシャツを出すくらいなら買った方が早い。でも、な。


「じゃあ、頼むケド」


 ていうか、どこに行くんだと思えば、また別の寝室だった。今度は少し狭い。ってもグレイと白のカバーが張られたキングサイズのベッドが丸々据え置かれて、クローゼットとデスクが置かれても部屋はまだ余裕がある。


 ミカエルは一度出て行き、すぐにお湯を張った洗面器を持ってきて、タオルをつけて絞る。まだ湯気がたっていて、熱そうだ。


「シャツは脱いで、その辺に投げてくれ」

「あのさ……」

「パジャマは俺のだが、そこにある、下ろしてないから綺麗だ。身体を拭くタオルはこれだ」


 まだ絞りたてのタオルがアツアツで、チャスは「熱っ」て言って受け取ると、ミカエルが笑っていた。


「笑いごとじゃないし、アンタ出て行ってよ」

「なぜだ?」

「……あんま着替えみられたくない。それと、アンタのパジャマってデカすぎるんだけど」


 見た限り、ブラックの光沢はシルクだ、それはいいけどサイズがデカすぎ、“2XL”? ってなんだよ!!


 悔しいけど、男性ではインポートものではSでも入ってしまう自分には無理。


「――それしかない。それに男同士で恥じとかもないだろう?」


 目がマジで笑ってない。キレてるような。あの会話がカンにさわったのかも。


「クッソ!」


 点滴抜いた自分へのイヤガラセじゃん。


 チャスはシャツを脱いで放り投げる。勢いよく椅子に向かい投げたけれど、所在なげにその前の絨毯に落ちただけ。


 渡されたタオルで身体を拭いて、タオルで血を拭っていく。二人の間に言葉はなかったが、背後に立たれて思わず肩を震わせた。


「な、なに」

「後ろ、手伝おう」

「いいって」


 問答無用で首筋と背中にふれる気配に、身体を強張らせた。それ以上何もしてこない。丁寧に拭う手つきに、チャスは息を吐いた。何もない、何もない。


 自分が気にしなけりゃ、意識しなけりゃへーき。首を上から下へと、それから肩甲骨から背骨へとタオルが降りていく。温かいタオルが自分の背を温めていく。

 気にしないように、チャスは自分の腕についた血を拭う。


「変なことしたら、ここのシステム落とすからな」


 どのビルでも家でも、この社会でシステムは電気と魔法のミックスだ。相手は、チャスが魔法を無効化できると知っている。


 チャスがすれば、この家のシステムのサーバーが落ちる。


 防犯機能も、電気系統もすべて使い物にならなくなる。明かりが消えるのは勿論、こんだけの家で防犯システムが落ちるのは嫌だろう、下手すりゃ警備会社へ通報がいく。


 それを知っている相手だからこそ振り向いて脅せば、彼の目がチャスを射抜く。


「――例えば、どんなことだ」

「どんなって」


 彼がチャスを後ろから抱きしめてくる。太い腕がチャスの素肌の腕ごと包みこみ肩に顔をうずめてくる。


 チャスは叫ばなかった。

 

 一瞬遅れて、家じゅうの明かりが消える。音もなくなる。まるでブレーカーが落ちたかのように、家の中に静寂が落ちる。


 肩から上を大きく包まれていて、チャスの頭もすっぽりの胸の中に収められる。


「こんなことか?」

「――セクハラで、訴える」

「そうか」


 抱きしめているけど、何もしてこない。でもこのあとはわからない。冷え切った身体が、相手の体温で温められている。背中越しに糊の利いたシャツを感じられる。


「冷えきっているな」

「アンタは熱いよ。平熱高いんじゃないの?」


 平静を保とうとしても声が震える。暗闇にしたのは藪蛇だった。


「三十七度だ。それに、身体が薄い、食べているのか?」


 大きな手が胸に伸びてきて包んだ。叫びそうになったのをこらえる。


「――これ以上したら、会社に訴えるかんな」

「温めているだけだ、何もしない」


 それ、言い訳じゃないぞ。会社に訴えるのには十分可能な行為。出した声は震えていたし、脅しにもならなかった。


「悪かった。怖がらせたな」


 ……怖がってないし。そう言おうとしたけれど声はうまくでてこなかった。チャスはミカエルが離れて息をついた。


「本当は抱きたかったが、こうも怖がられてはな」


 抱きたかったと言われて頭が凍る。抱きたかった、て今の抱きしめ行為じゃないよ、な。それ以上の先の事、だよな。


 ――スル、こと?


 俺いま、すんげーヤバいとこにいんじゃないのか。


「――今日は、しない。具合が悪いのを襲うほど盛ってない」

「今日とか、明日も今後もねーって!」


 ようやく叫べば、システムが回復して明かりがつく。チャスの魔法消去は三十秒から一分。ミカエルの家は予備装置で復旧が早いのだろう。


「襲いたくなるから、早く服を着てくれないか」

「俺見て襲いたくなるとか、頭おかしいんじゃないの?」


 チャスは怒鳴って置いてあったパジャマを取り上げた。ヤケで顔は見ない。顔を見ても逸らしても、いきなり行動してくるから油断できない。


 既に散々色々されたよな、って思いながらパジャマを取り上げたらデカかった。シャツの裾を絞り、腕を何重にも降りまげる。


「……さすがにひどいな」

「笑いごとじゃねー」


 呟いて今までのことをなかったように誤魔化し笑いごとにしても、どこか気まずい。


 それを見てミカエルも苦笑している。


「……自分のシャツを着させるのも男としては夢なんだがな。デカすぎだ。次は違うモノを考える」

「女にやれっーの、てか次はねーから考えんな」

「好きなのはチャスだといっただろう」

「――もう寝る」


(完璧、女役じゃん。やんないっての聞いてないし)


 流して相手と距離を開けて、いなくなる、それが自分なのに。


「朝になれば、お前のサイズの服を届けさせる。とりあえず、今晩はそれで我慢してくれ」


 チャスはベッドにもぐりこんで、横を向く。スペースがあるからもう少し真ん中でいいか、と思って移動し始めたら、ミカエルがシャツを脱ぎ始めてぎょっとする。


「なんでここで脱いでるんだよ!」

「脱いで寝てもいいだろう」


 ぎょっとした。ここで寝る? それに裸?


「あちらの寝具は濡れている。それに、お前の具合が悪くならないか心配だ」

「いいって、俺だいじょーぶ……」


 脱いだアンダーシャツ姿を見て驚く、その胸には右肩から左わき腹へと大きな三本の傷。


 赤くひきつれたケロイド状になっており、醜い。何かの……獣の爪に払われたかのようだ。


「その傷……?」

「ああ。昔、魔獣にやられてな」

「よく、生きてたな」

「俺もそう思う」

「……軍にいた時?」

「部下を庇ってな。おかげで、全員生還できた」


 不敵で機嫌がよさそうに喉を鳴らし笑っているのは、助けることができたことを誇っている。あんなデカい爪の魔獣、魔獣退治専門の魔法師団の奴らだってそれなりに緊張もするし、怪我をしたら回復するのに時間もかかる。


 PTSDになったり、復帰できない奴もいるって知っている。なのに、乗り越えている。


「アンタの部下って幸せなのか、それとも反対なのかな」

「……どうだろうな。生き残らせるのが俺のポリシーだが、司令部としては生存率より遂行率だったからな」

「アンタ、喧嘩した?」

「それなりに」


 そう言いつつ、気にせず同じベッドにもぐりこんできてチャスはぎょっとして、反対端から降りようとする。


「待て」

「嫌だ、男と同じベッドは嫌だ」

「どうせ広い。気にするな」

「アンタデカいだろ。それに熱いんだよ」


 ミカエルのみっちりとした体格の質量では、ベッドも狭く感じる。それに体温が伝わってきて熱い。でも気にする様子はない。


 せっかくキングサイズのベッドなのに、狭いなんてがっかりだ。


「マジで襲うなよ。襲ってきたら……」


 考え込む。システムダウンの脅しは聞かなかった。というか、なんで暗闇の中でも夜目が効いているんだ。自分は妖精の血を引いているからある程度可能だけど。軍隊出身で鍛えられてんのか。


「嫌いになるし、口をきかね」

「じゃあ今は、そこまで嫌われてないと信じてもいいのか?」


 チャスは黙り、目を閉じた。


(何で、俺。口説かれてんの。てか、うまいよな……)


 この口説き文句。こうすりゃ女の子受けはよかったのかも。

 でもめんどいしな。


「――『構うな』って言われて。俺はむしろ構いまくることにした」


 反論しようとしたけど、眠りに落ちて、口はもう動かなかった。

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