第7話.遺伝子(螺旋階段)は永遠に


「明日の午後に検査を入れたから朝食後から絶食だ。そのあと、君の家まで車を出す。自転車も届けさせる」

「それまで俺は何してんの?」


 太くて濃い片眉があがる。なんか全部自分とは違うんだよなーと思う、男性ホルモンが出まくり、というか。


「休んでおけ」

「ここで?」


 無言が肯定。


「帰ろうとするなよ、それを約束するまでPPは預かる、もちろん見ないが」


 彼の目がチャスのカバンに向けられる、それで彼は自分チャスが鞄を持っていたのをどう捉えたか分かった。こんな状態で帰ろうとしていたのを怒っていたのだと。


(そっか。ふつー、PP個人端末見るよな)


 PPというのは、Pasonal Plate というチャスの産まれたバルディア国、そして大学時代から在籍しているグレイスランドを含む北・中央諸国国民が全員が持つ個人情報端末であり、通話や通信もできるもの。

 

「PPの中身は見ていない。医師に持病を聞かれて、診察記録が載っていないか、緊急情報だけを表示させた」


 PPには緊急情報表示機能がある、本人が提示できない状況にあるときに、要資格者の医療者や警察が見ることのできる連絡先や持病表示機能。

 もちろんそれを本人が事前登録していないとできないが、それを使ったのだという。


 医師が来ていたし、その人立ち合いのもとでやった、と言われて何の感情も見せずチャスは頷いた。本人の任意で登録するから構わない、自分はなんも載せてない。


 ただ、それを人質として預かると言われたらフツーはかなり焦る。でもそれがないのは自分の情報が漏れる、という焦りより、依存していないから。

 フツーはメッセージ、配信、通信、様々なコンテンツに夢中になり、暇つぶしというより、常に目に入れておかないと不安、本当はなくても平気なのに。


 チャスは、それのやり取りをする友人もいないし、配信だって暇つぶしには見ていたけど、どうしても必要じゃない。


 それ自体に強力なセキュリティがかかっていて身分証明に不安はない、交通機関利用、銀行と紐づけしているけど今はいらない。

 何かの作業にMPの方が断然役立つ。どこに入るのも、何を見るのも。


 自分にしてはMPを取られる方が余計に情報が洩れる。

 相手はそれに気づいていない。


「わかったけど。そろそろ手、離せよ。それからシャワー浴びたい、あと俺の服なんでないの?」


「吐いたのを覚えていないのか?」


 ミカエルの目に緊張が走る、険しさも宿る。心配すると獅子のように狙いを定める獣の目なると思ったのは当たっていたようだ。


 目の前に指がたてられて「何本か」、と聞かれる。目の前の指を前後させられて、胸ポケットから出されたペン先の明かりが瞳孔に照らされる。


「――ドクターも言っていたが、今は正常なようだな」


「アンタ、なんでそんなの持ってんの?」


(モンブランのペン先が、ライトになってるとかわけわからないんだけど。特注品?)


「軍を退役した時に、仲間が冗談でくれた。よく怪我する奴らがいたからめんどうをみてやった。まがいものだ」


 皮肉気に言いながら笑っている。偽物をつけても、プライドは傷つかない? そんなのをくれるってことは偉い地位にいたのに、評判は悪くなかったらしい。

 MPでさらった限りでは、軍を辞めることに惜しむ声が多かったようだ。


「もしかして、俺全部吐いたの?」


 静かに頷かれて、チャスは顔をしかめた。


「明日、頭のCTも検査に入れた。今晩、シャワーは諦めろ、何かあっては困る。――なんだ、その顔は?」

「食事、もったいなかったってな」


 あ、と思う。重大ごとなのに気にしたのはそっちだったからミカエルの顔が憤怒で赤くなる。慌てて話を逸らす。


「その、さ、どこ汚した? 部屋とか車? 弁償……」

「――チャス」


 ミカエルがチャスの左指の付け根にふれる。その大きな指で下から上に安心させるようにゆっくり何度も撫でる。


「食事なら別の機会に食べに行けばいい、部屋の掃除も寝具も構わない、寝室は別にある。俺が気にしているのはお前の体調だ」

「――あのさ」

 

 その手を見ながらチャスは声を強引に被せる。遮っているのはわかっていたけど、言わせたくない。ただ、離せよ、と振りほどくことはしなかった。


 相手が慰めようと、落ち着かせようとしているのがわかる。部下に信頼されているのがわかる。ペースに落ち着きがある、人に最後まで聞いていたいと思わせてしまう力がある。


「俺、今まで母親のことほとんど誰にも言わなかった。なんでアンタに漏らしたかわかんないけど、言わなきゃよかったって思っている」


 撫でている手が止まる。


「ごめん。たぶん――俺、人に構われるのが苦手なんだ」


 それが本音。女の子はカワイイ。柔らかいし、おっぱいも好き、でも『構って』、『大事にして』と言われると苦手だと思う。『勝手』って言われて振られる。今ここで思った。


 それって自分を捨てた父親と同じじゃんって思う。


「そうか」


 案外ミカエルの返事は簡素だった。すぐに立ち上がり、チャスから離れて部屋を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る