第6話.シンデレラは帰れない


 目が覚めたのは、下からの声。


『――、食中毒ではないでしょう。本人の言う通り、栄養失調の可能性が高い』


 妖精は聴覚が鋭い、半分しか血が入ってないけど階下からの声は丸聴こえだった。


 響き方から広いホールにいるんだと思う。場所からすると玄関あたりだろうか。


『おそらく胃の調子が万全ではないのでしょう』


 チャスは起きあがり、腹を押さえた。鈍痛はあるが鋭い痛みはない。


『栄養剤の点滴と痛み止めを投与しましたが、腫瘍ができていないかなど

詳しい検査をしたほうがいいでしょう。私は妖精族の状態には詳しくないので』

「わかった」


 ミカエルの声が響いている。この人、やたら声がいいんだよな、自分には出せない声。立派な体格だから声量があって、胸郭が広いからだろう。


 見回すとやたらにデカいベッドにねかされている。キングサイズどころじゃない、ワイドキングサイズ? それ以上にデカいような気もするけど。驚くのは部屋がそれを置いてもなお余裕があること。


(なんツーでかいベッド)


 そこから降りて、移動するのも面倒。


 チャスが慌てて周りを見渡すと、自分のバッグがベッド脇に置いてあるのを見つけた。


 慌てて手を伸ばしかけたけれど、点滴の管が引っ張られて自分の動きを阻む。


 当たり前だが、こんな一般の部屋に点滴台はない。苦肉の策なんだろう、壁に張り付いている花の吊り下げランプの端にひっくり返されたハンガーを掛け、そこに点滴をひっかけている。


(……っくそー、なんなんだヨ)


 抜けば、その辺に血をまき散らす。高そうなベッドカバーを汚す、でも構っている場合じゃない。


 腕に入っている管をむしり取って、四つ這いでベッド上を歩んで鞄をひっぱりあげて、MPを取り出す。


『血液検査の結果はドローンで飛ばしましたので、後で報告します』

「ありがとうございます、ドクター」


(……やっば!)


 電源を入れて、すぐにアンジェログループにアクセスする。グループは検査部門も持っているから、至急でチャスの血液分析などできてしまうだろう。


 おそらく、来ていたのはミカエルの主治医。

 気絶したチャスは、ミカエルの家だか部屋だかに寝かされていたのだ。


 医師が帰り値を見たら、ミカエルに結果を伝えてしまうかもしれない。

 検査結果の表示された画面にアクセスして、すぐにチャスは値を適当に変えていく。基準値内としてのものに書き加えて備考欄も空白にする。


 そしてホッと息をついて、MPを閉じる。上がってくる足音が聞こえてきて、迷い鞄だけは抱えた。

 鞄を戻して完全な状態にするには時間がない、それより起きて抱えていた方がフツーの動作だ。自分の荷物を確かめる、まずそれをするだろうから。


「……目が覚めたのか」


 そう言って、一歩入ったミカエルが目を見張る。

 ぶらぶらと点滴の管の先端からはチャスの血と止められていない液体がまだぽたぽたと流れ絨毯を汚している。


 チャスの腕からもまだ止まっていない血液が流れおち、腕から伝い落ちベッド上に染みを作っている。改めて見てみると、スプラッタだ。


「どうした、どこを怪我した!?」


 険しい顔を青ざめさせて焦っていながらも、すぐに状況を判断したようだった。


「……点滴を、抜いたのか?」

「そ」

「逃げようとしたのか?」


 あー、そういう風に捉えるか。確かに今までの自分の態度と、今回の状況では逃走しようとしたとしか思えない。


 彼がベッドの端に座り、胸ポケットから自分の大ぶりのハンカチでチャスの腕を押さえて止血する。


 大きな体躯でスプリングが凹む。そちらに身体が傾むき、彼がもう片方の手で支える。点滴が入っていたのは左手、奴がそれを押さえようとしたのも利き手の左手。だから、傾いだ身体を支えてくると抱きしめてくる形になる。


(これ、なんだよ!)


 押しのけようと苦情をいいかけたけれど、自分の腕を覆うハンカチ、じゃなくてスカーフを見てチャスは叫んだ。


「まて、って。それ、スカーフじゃん!」


 ハンカチじゃねーし。上品な馬蹄模様のシルクスカーフ、しかも何十万もする。血止めに使うもんじゃないし。


 しかも、シルクのつるつるした素材は吸い込みが悪い、表面をすべる血液にチャスはミカエルの手をどかして、自分の綿のアンダーシャツの端をひっぱって止血のためにおさえつける。


「あーもう、何やってんの」


 その言葉は、高級スカーフを使うなってこと。なんでか知らないけど、上に着ていたTシャツはない。その下のアンダーシャツに浸み込んでいく血液の上に手を置いていたら、ミカエルは自分の手を重ねてくる。


 男の大きな手にまた握られてる。


 体温が高い、熱があるんじゃないのか、と思うくらい。分厚くて硬い。なにより力のかけ方が女の子と本当に違う。女の子でも力が強い子はいる、容赦のない子も。

 でも軍人で武器かなんかを持っていたからか皮膚は硬くて角ばっている、どんなに力を弱めても女の子のようにはできないんだ。

 

 だから本当なら女の子の方がいい、と思うはずなのに。


 ――なのに、内心そうでもないと思った。


 頼りない子に一生懸命にやられて、『どうかな』『これでいい?』なんて聞かれて気をつかってあげるより、気は楽だった。


 前なら女の子の手をにぎるだけで嬉しかったのに。気を遣いたくない――たぶん、面倒。気持ちに余裕がない、のか。


「あのさ。別に手はいらないケド」

「……気分は?」

「悪くないケド」


 息をついたら、上からもため息が漏れてくる。


「驚かせてくれるな」 


 手を離す気はないらしい。いまだに大きな質量の男に肩を抱かれ手を重ねられて具合を尋ねられている。これ、おかしいだろ……。


 おまけに着ているのはアンダーシャツだけ、でもそれをひっぱっているから、お腹が半分見えている。


 こんな状態で、のしかかられたら終わりだ。

 冷静になれ、いつでも逃げられるように警戒しておけって思う。


「もう止まった」

「そうか」


 別に怪我じゃない、細い管が入っていただけ。採血後に「三分ぐらいアルコール綿を押さえててくださいね」と看護師が言うのを怠った結果。でも相手は手を離さない。


 チャスは自分の顔をじっと見つめてくる視線を感じながら、ベッド周囲を眺める。


「あ」


 点滴から繋がる管はそのまま。液体が全部流れ落ち、ベッドに染み込んで、今はその寝具から雫が滴っている。

 多分ベッドカバーもすっごい高いのだろう。絨毯も濡らした。弁償しろって言われたら、たぶんできない。


「ごめん」


 チャスの謝罪の意味も視線の先もわかっているのに、腕をまだ押さえてる。

 いい加減、放してほしいのに手が離れない。


 つまり逃がさないってことだろう。


「――妖精族は、肉や魚が食べられない者もいると聞いた。そうなのか?」


 チャスの上に被さった声に、目を向ける。案じている、怒っている、いら立ちを抑

えている、それはわかった。たぶん、スカーフとかベッドを汚したことじゃない。


 逃げようとしたこと、それからそれ以外の色々。チャスがまだ言ってないこと、それらを濁していること。

 レストランでチャスが話したことに対する返事も言ってきていない。考えているというよりタイミングを見計らっている、いつか言ってくる。

 でも自分はそれを望んでいないし、逃げ切りたいと思っている。できる限り。


「俺は違うケド。センセも言ってたじゃん、最近食べてなかったから」

「いつから、最後に食べたのは何で、最近はずっと何を食べていた?」

「――今、何時?」


 徹底的に追及するという声音にチャスは言葉を被せる。


 彼が不機嫌に眉根を寄せたのがわかる。そうしながらも、指を鳴らす。途端に正面の白い壁に影ができる。それは円系で十二の数字に長針と短針が重なっている。

 フォログラムとは違い、合図音で照明がつき、影となり時計を作る。それで時間を示している。


「……十二時」

「まだ、帰るか?」

「――ここどこ?」

「俺の家だ」


 場所を聞いたんだけど、とは言えない。まだ相手は不機嫌そうだし、チャスの聞いた意味はわかっているんだろうし。

 自転車を取りに車をだして、とさすがに言えない雰囲気だった。

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