第2話.シンデレラ間違えてね?
家に自転車で戻り、ポストをのぞくと宛先不明との印がされた封筒が入っていた。表は自分の下手な右斜め上に上がっていく文字。裏は同じ筆跡だが、書いてあるのは自分の住所。
これで五通目。さすがに引っ越したのだと自分に言い聞かせるしかない。
そして振り込もうとした口座は存在しなかった。
――これまでだってバイトをしてためたお金を振り込んでも、何の返事もなかったけれど。
チャスはポストから引きあげた封筒を机に置いて仰向けにベッドに倒れこむように寝ころんだ。顔を腕で覆う。カーテンのない窓は夕日が差し込んで、床に十字の窓枠を映し出す。
外と部屋が暗くなり、窓の外に月が見え始めて、ようやく起き上がる。
ぼんやりとしながら部屋の隅の冷蔵庫を開けてみて、なにもないのを見てまたぼんやりと閉める。
アンジェログループと契約して、前払いで貰ったかなりの金額の金を、半年前に振り込んだ。今月また振り込もうとしても、その振込先は見当たらなかった。
銀行で調べてもらっても、不明。どうやら、相手が口座を閉めたらしい。
――リディアに――大学の時の教員に、母親とのことを漏らしたことがあった。
父親は出ていき妹と自分を母親は育ててくれたが、その後自分は家族から外されたこと。もう連絡は取っていないこと。
でも――母親とは連絡を取らず距離を置き離れたなんて嘘だ。時々手紙を書きたくなる衝動をずっとこらえていた。
書けばなじってしまいそうで。反対に泣きおとしもしそうになって。
母親が再婚して新しく作った家は見に行けなかった。行けばみじめになるとわかっていたから。
送金していたのは、再婚までずっと親が金で苦労していたから。
その後の様子はわからない。
――でも、拒否もないからずっとそうしてた。
口座がしめられて慌てて手紙を書いた。長い間、その住所が無くなっていないか怖くて確かめられなかった、でもまだ残っているのじゃないかと期待もしてた。
ようやく手紙が書ける口実ができたと自分に言い訳して。
口座を尋ねる文章を書いた。『また送金したい』それから、『元気ですか?』 と。
送った後でみじめになったのは本当。でもやったことに後悔はなかった。ようやくできたって思ったのに。
返ってきたのは、あて先不明の封筒。
いつ引っ越ししたのかはわからない。
口座を閉めた理由もわからない。
ただ、半年前はその口座はあったのに。自分がこれまでずっと送金しても、開け続けていたのに。
――チャスは冷蔵庫の前に頭を抱えて膝に埋めていた顔をあげて、ハッと起きあがった。
机の上に鞄から取り出したMagical Plateを取り出して置く。これは略してMPと呼ばれる魔石が埋め込まれた記録版で、一般的には仕事で文章や図、難しいものだとプログラミングなどができるものだ。
チャスはどこの機関も所属していないが、MPの操作は趣味でやっていた。犯罪まではやらないがグレーなラインに属する知人の仲間もいる。
そんな仲間からも認められている存在だ。だから母国のバルディアにハッキングすれば、すぐに国民登録情報を得られる。
母親の住所などすぐにわかる、自分にはそれができるのだ。
――やればいい。むしろなんでやらなかったんだ、俺。
電源を押しかけて、指を
そんなことをして、どうする――。今、オレ、そっち側に行きかけた。
だらんと両腕を椅子のわきに下げて、椅子の背に体重をかけて傾げる。窓からの月を見上げる。理由なんてわかってたじゃん。
(――やっぱ。金、大量に振り込んだ、から。かな)
研究というのは任意で、いつでも辞退できる。そういうものだけど。大プロジェクトでチャスは被験者兼研究者として三年契約で研究費を貰っていた。
その全額を母親に送金した。
「これ、やっぱり。イヤガラセかな」
長年の夢、だったハズなのに。気はちっとも晴れない。
――わかっていた、ハズなのに。
***
単純作業というのは、余計なことを考えてしまう。
チャスは、電源を落として鞄を手にする。
「ロー?」
「俺、帰る」
被験者以外の研究者としての労働は主にMPを使っての作業。就業時間もきまってないし、報酬は雇用時に決めた通り。自分で好きなように好きな場所で働けるけど、社内のMPのスペックのほうが最新で充実しているから、チャスは大概ここにいた。
ただ今日は気が乗らない。立ち上がり、同僚に帰ると告げる。
その時出入口のほうでざわめきがあり、丁度そちらに向かっていたチャスは目を向けることになった。
「ミカエル、何の用?」
「いや、君には関係ない」
フロアマネージャーのナンシーが個室から出てきて、向かってくるのをミカエルは片手をあげて制する。その目はまっすぐチャスを見据えていた。
ゼブラ模様の絨毯を踏みしめ艶のあるねじれたブロンズ製の美術品を抜き、こっちに歩んでくるミカエル。何を考えているのかチャスにはちっともわからなかった。
「――チャス」
「……」
彼が名を呼んでも、チャスはその高い背を訝しげに見上げるだけだった。ジャケットを脱ぎベストのまま、スーツのポケットに片手を入れたミカエルが対面しているのは、ポストマンのような恰好をした自分だ。
声をかけているのもおかしい。自分に何か雑用を頼むとしてもミカエルが秘書に命じて、その秘書がアシスタントに頼み、ようやく自分に話が回ってくる。
偉い人がアルバイト風情の自分の名前を呼ぶなんてありえない。
周りもざわめいているし、ナンシーも「ちょっとミカエル」と声をあげている。一応ナンシーがここの統括だから、ちょっとめんどい。
(確か、ナンシーとミカエルって前は付き合ってたんだよな)
その昔、ジェネラルマネージャーの座を狙って別れたんだっけ? ナンシーの方がまだ未練はありまくりだけど。
「チャス?」
二度目に名を呼ばれて、今度はナンシーもチャスを振り返る。なにこのバイト、という顔だ。
「俺、アンタとファーストネームで呼び合う友達?」
「――いいや」
彼が黙るので、チャスはその横をすり抜けて、エレベーターへと向かう。
「じゃ」
ボタンを押す手首をミカエルが掴むからチャスは顔をあげた。自分は百六十五センチ、ミカエルは百九十センチ以上近くある。そんな体躯の彼が自分をのぞいていたら、さすがに男の自分でも一瞬ぎょっとする。
男相手でも、パーソナルスペースっていうものがあるし、チャスは軽いように見えて、ある程度距離を詰められるのが苦手だった。
その警戒する眼差しに気づいたのか、彼が気まずそうに腕を離した。
「失礼」
「いいや、けど何の用」
さすがに皆に見られていて、話を終わらせた方がいいってわかったから、口早に言えって急かす。
「中で話そう」
けれど、ミカエルは丁度上がってきたエレベーターにチャスを押し込む。「ちょっとミカエル!」というナンシーの声。しかもチャスの背に沿えた手はまるで親しい女性にするような親密さ。
それをフロア全ての人間に見られた。背中越しだが熱いような痛い視線を感じて、チャスは苦情を言おうとしてやめた。
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