モブ妖精とスパダリ獣の恋

高瀬さくら

第1話.出会いは"ロー"テンション

「ああ、ロー君。これ、次回の研究の同意書。フェーズが変わるからね、よく読んでサインをお願いするよ」


 透明な仕切り窓から流されたタブレット。ずらりと並んだ文章をさらりと下にスクロールすると、末尾には小さな四角。チャスは渡されたペンでそこをチェックして、また文章をスクロールしていく。

 目はその文字を眺めているし、危険なことは承知してるけど。ま、いいかと流す。


(めんどーだし)


 疑似魔獣・魔法による危険性、身体精神障害の可能性、その責任の所在について云々。


 どんどんと流し読みして、チェックを入れる。


 紙と違い、スクリーンの画面は滑る、ただでさえあまり上手じゃない自分の文字は、歪んで踊る。でも、それは誰も気にしない、サインをしたという事実だけが重要。


 名前を書く空欄に、チャス・ローとサインをしようとしたところで、向かい合う職員が問いかけてくる。


「そういえば、君は健康診断を受けている? もし魔法師師団で受けているならそれの複写を提出して欲しいのだけど」

「あー……ない……けど」


 途端に、相手が詰まる気配がした。

 ここは、対魔獣の武器弾薬から、治療薬まで幅広く製造販売まで手掛けているアンジェログループの実験施設。

 魔獣退治を専門とするグレイスランド国営の魔法師団と提携している安全保障機関でもあるから、職員の福利厚生、健康管理まで目を配らなくてはいけないのだろう。


 ――自分は特殊な能力がある。それは、不可思議な力――魔法の発動ではなく、その場の魔法を消去してしまうもの。子どもの頃から、何の能力かなぜできるのか不明で、この春卒業した魔法大学でも解明できなかった。それどころか異色すぎて、実践授業は全て見学。


 それでいいと思っていた、単位をくれるというのだから。


 けれど、四年次に選択した過程で出会った教師――リディア・ハーネストに関わり、魔法師団という国の防衛を担う機関の後押しを受けて、この施設に研究協力員として勤めることになった。


 魔法大学を出ているのに普通の魔法の発動は皆無、どこも雇ってもらえない。どこも行き場がないからありがたいと思っていたし、実験で結構な金額を貰える。

 ただ正規職員ではない。だからここの職員として健康診断を受けていないし、かといって一般の国民健康保険の診断では足りない項目が多くある。


 それを望んでも、普通の病院では受けられないのはわかっているし、かなりの金額だ。


 今更デショ、と思いながら首を傾げる。


「それ、受けなきゃ実験はうけられない?」

「確認をしなかったこちらの不手際だけど、師団で受けられないか確認してもらえないかな?」

「うーん」


 チャスはしぶった。


「さすがに、次からは模擬とはいえA級魔獣が相手だから」


 A級魔獣というのは強さというか危険度。そこからB、Cとアルファベットが進むたびにレベルダウンする。A・B級魔獣は民間施設ではどこも対処できない、最強の魔法師団の幹部クラスが対応すると聞いた。


 チャスは今回まではB級対応。


 でも正直言って、どう違うのかって思う。模擬の相手に自分の能力を開放するだけ、一瞬ですむ。倒すわけではないし、研究目的はチャスがどのくらいのレベルの魔獣に対抗できるのかってこと。


 秘匿情報だが大学時代、国の防衛魔法を消してしまったこともあるので、A級魔獣なんてどうでもいい。けれど、今は自分の最小の力でどこまで対抗できるか、ということをやっているから、それなりに安全にも気を配っていてくれるらしい。


「そうゆーのって高いんデショ?」


 採血とか通常の健診に特別項目を追加すると高いって聞いている。 


(おまけに診断書の発行も、金がかかるし)


 受けないですむなら受けたくない。マジ、診断なんていいからさ。実験なんてなんでも受けるよ、そう思うけど。だめなんだろーな、とはわかっているけど。


「――そういうものは、うちが持つべきだろう」


 低い重量感のある、バリトンボイスの声がチャスの後ろから響いて来てぎょっとした。「失礼」と言って隣に並んだ男。


 質量のある体躯は、魔法師団という軍隊もどきの男達を見慣れているチャスでも、目を見張るものがあった。


 そいつが立つとチャスはカウンターからはみ出てしまう。男はチャスがのぞき込んでいたタブレットをスクロールし始めたのでチャスは軽く肩をすくめて場を譲った。


「あ、あの」


 目の前の職員は最初、いぶかし気にしていたが、男がすぐに顔をあげてちらりと視線を向けたので背を正した。威圧したわけではなく、けれど場を征してしまう迫力がある。


 チャスの知る魔法師団の団長は場を静まりかえらせるオーラを出す。けれど、この人は見惚れさせる。まじまじと男を見て、そのことに気づいて慌てて背を正す目の前の職員をチャスは冷静に見ていた。


「――これも。A級魔獣を相手にするのに、補償が何もない。通院、入院費用、全ての補償金、障害年金、こちらの記載がない。うちはそんなに悪徳企業だったのか?」

「いいえ、その今までは……それに、A級魔獣は相手にしたことがなくて、その前例がないので。上に確かめ……」

「結構、前例がないならば作ればいい。健康診断もうちが持ちなさい。研究協力をしている被験者すべて、うちで行うように」

「――そのデーターもアンタのとこで管理するの?」


 驚いたように振り返る顔は、今までの唸るような腹に響く声も、射竦める目もない。意外に虚をつかれると幼い子供のような顔を見せるんだな、と思う。


 たしか三十歳前半だった。


 肩幅が広いのは、学生時代にラグビーをやっていたから、体幹が安定しているのは空手を幼少時からやっていたから、ここの被験者の権利を守ろうとするのは、卒業後陸軍に入り魔獣の相手に前線で指揮を執り、その怖さを知っているから、と聞いている。


 彼のことは、調べなくてもどの広告でもみる。対魔獣武器、医療機器や製薬、研究から医療部門、それらを裏付けるための魔法師団との協力体制での事業展開、彼は軍では実力で中佐まで上りつめたが、父親が退き会長職になったのに合わせて退官し、今年からアンジェログループのCEOになった、ミカエル・アンジェロだ。


 チャスの反発でもなくドライで感情を見せない顔での質問に戸惑い、次に生真面目な顔でミカエルは答える。


「いや……健診のデーターは取らない。検査結果により君に再検査の勧告が行く、それを受けて研究続行が可能か医師に確認して欲しい」

「……わかった」


 と、いいつつも検査ははめんどい。


「急に割り込んですまない。ミカエル・アンジェロだ」


 握手のために差し出された手をチャスは見下ろしただけだった。

 握り返してこないことに不思議そうな顔、そしてまだ出されたままの手。


「名前は知ってる。雇用主だし。でも握手はしないよ」

「なぜ?」


 うーん? と思わず声にした。


「だって対等の立場じゃないし」


 するのがおかしいデショ、と心の中で呟いた。


 目を見開き驚いているのが意外だ。茶色だけど、虹彩は金色の線が混じる、太めの眉はブラウンの方が強い、斜めにまっすぐにあがり、意思の強さを感じさせる。


 髪は目や眉と同じく金茶だ。左右を撫でつけて、前髪だけがウェーブを描き横に流されている。


 その逞しい体躯を包むのはオーダーメイドだとわかるスリーピーススーツ、胸に挿しているのは深紅に金の縁取りのモンブランのボールペン。

 たしか、刻印を見ればジョン・F・ケネディ スペシャルエディション、三十マンはくだらない。自分はグレーのパーカーにノーブランドのパンツ、ポストマンのように肩掛け鞄でみた目は学生の頃と変わりない。


 服装だけじゃない、握手のために差し出された手の出し方は堂々としていて、上流階級の相手とだけ握り合うものだとわかる。


 ついでに、とチャスは続けた。


「その人、研究者デショ。ここで決めたことを説明してるだけ。いきなり言いつけたって困るし、仕方ないよ」


 相手はわずかにだまり、肯首した。


「――握手はさておき。書類の件は、確かにすまなかった」


 握手の件はチャスに。次は職員に唸るように言って、息をつく。


「すまない。確かにこの件について、君たちに全ての責任があるわけではない。ただ説明の仕方、同意の取り方は問題がある。今後追って通達を出す。――彼の件は待ってくれ」


 チャスはその光景を平然と見ていた。


 考えていたのは、とりあえず金を払わなくて済みそうだということと、早く帰りたいという事だけ。彼がこちらに向き直ったのを見て、相変わらずデカいなと思う。


 デカいというより、ガタイがいい? かといって、魔法師団にいた、いかにもって感じの親父の熊団長ほどでもない。


「みっともないところをみせた」

「なんにも。ていうか、帰ってもイイ?」


 そしてチャスが取り上げてサインをしようとしたペンを上からおさえた。右手の上から押さえたのは大きな左手だった。先ほどもペンを握っていたのからわかるように、左利きだ。


「それと、補償額については師団の顧問弁護士と相談して提示してくれ。サインはそれからでいい。なんなら交渉に弁護士同伴でもいいが」

「――弁護士とか雇う金ないし」

「師団に伝手はあるだろう、彼らに聞いてみてからにしてくれ」

「――サインしなくていーの? そっちの不利じゃん」


 チャスが眉を寄せて首をかしげると、あちらも口端をあげて、呆れつつも力強くいい聞かせる。


「不利とかそういう話じゃない。――君が偽造の診断書を出すより、健診を受けた方が手間はかからない、という話だ」


 手は押さえ込まれたままだ。チャスは手を抜くタイミングが遅れたことを後悔した。しっかりタブレットに押さえつけられている。


 ネットワークに侵入する特技で診断書の偽造なんて一時間でできる。手間はかからないが、どこまでバレているのか。


 チャスはあえて顔をあげた。自分の顔は表情が読めない、と言われる。無表情というよりガラス玉のような目を見ていると何を考えているのか、わからなくなると。


 だからミカエルを見つめ返してみたけれど、相手は引かない。その顔は笑っているのでも怒っているのでもない、ただじっとチャスを見ている。彼は少し顎をさげた、太いあごの線、そこに続く首も太く、喉仏が上下する。


 軍隊にいたのは嘘じゃない。全く手が外れない。かといってチャスも焦らなかった。ただなんで? という不審を全開に顔を見ていると、相手の口端が上がる。

 なんだこれ、笑顔? 目を瞬くと、その大きな左手がチャスの手を上から包むように握り返した。


「これで、握手できたな」




*ほぼ毎日更新予定。10話ぐらいの予定(全て予定です)


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