空に馳せる想い

 畑仕事の途中でふと手を止めた。

 青々と茂る葉を眺めてから、家へと視線を向ける。

 フランとノエルは掃除をするのだと張り切っていた。昨日一緒に作った、それぞれの身の丈に合った箒。それを使いたくて仕方ないらしい。

 日々の暮らしに必要なものを、こうして少しずつ揃えて。ようやく落ち着いて暮らせるようになってきた。

 安心できる場所を得たことで少しずつ安定してきたフランと、初めてのことばかりで浮かれるノエル。正反対の反応だからこそ、お互いのことがよく見えるようで。フランの気持ちの揺れを察するとノエルはそっと傍らに寄り添い、ノエルが興奮している時はフランが怪我をしないよう気を配っている。

 自然と支え合うふたりを見ていると、私の自己満足からの偽善も少しは意味があったのだろうかと思えた。




 雨の中、街の片隅で黒いものを見つけた。

 およそ生き物には見えないそれに何故近付いたのか、今考えてもわからない。

 近付いて初めてそれが子猫であることに気付いた。力なく倒れる身体が僅かにぴくりと動くのを目にした瞬間、私は無意識にそれを抱き上げていた。

 手にしたのは死にゆくものの冷たさと重さ。蘇る畏怖に抗うように、子猫の身体を温め続けた。

 別に子猫を助けようとしたのではない。

 私は単に己の記憶と重なる恐怖から逃げたかっただけなのだ。

 腕の中で冷たくなっていく身体を思い出したくなかっただけなのだ。

 小さな身体が温まり、閉じていた瞳が開いたその時。

 向けられる無垢な金色に感じる安堵と罪悪感。

 感謝されるようなことは何ひとつしていない。

 私はただ、己の記憶を塗り替えるために必死だっただけなのだから。




 こんな私を慕ってくれるふたりにはとても話せぬ心情。

 それでも精一杯生きるふたりの姿に、たとえこんな理由からでも何かができていればと思えてしまう。

 そう。今となっては、あの日救われたのは私の方だとわかっている。

 フランとノエル。

 ふたりがいてくれるからこそ、私は今こうして生きていられる。

 ――こうも感傷的になるのは、やはり今日という日のせいだろう。

 空を見上げ、息をつく。

 今日は我が子が息を引き取った日――。





「どうしたの?」


 いつの間にか傍に来ていたノエルに袖を引かれた。

 不安げなその眼差しに、随分と情けない顔をしていたのだと知る。


「いや。少し考え事をしていただけだよ」

「考え事?」


 見上げるノエルの不安は晴れず、ますます心配そうな目を向けられる。


「ノエルが心配するようなことではないよ」


 そう言い頭を撫でるが、ノエルは変わらぬ表情で。

 どう言えばいいかと考えながら、それほどまでに思い詰めた顔をしていたのかと反省する。


「今日は大切な人とお別れした日だから……」

「報告の日、今日だったんだ」


 ノエルを追ってきたのだろう、 フランがこちらへ近付きながらそう言った。


「報告の日?」

「そう。会えなくなっちゃった人に、頑張ってるよって報告する日なんだって」


 フランとふたりで旅をしていた時。妻子の命日を悲しむ日だとは言えず、現状を伝える日なのだと話した。


「ごめんね、ぼくすっかり忘れてて……」


 それ以来一緒に報告をしてくれるフラン。年に二回の命日は、いつの間にか己の幸せを知る日になっていた。

 謝るフランに声を掛けようとして、ますます泣きそうな顔になっているノエルに気付く。


「ノエル?」

「……あたし、ママとお別れした日、いつだったか覚えてないよ……」


 そう呟いてうつむくノエル。


「これじゃママに報告できない……」


 普段は明るく元気なノエルだが、唯一の肉親を失った傷はそう簡単に癒えるものではなく。

 戸惑うフランに頷いて、もう一度ノエルの頭を撫でた。


「大丈夫だよ。ノエルが伝えたい時に報告すればいい」


 ノエルは暫く動かなかったが、そのうちゆっくりと顔を上げた。


「……それでもいいの?」

「ああ。相手を大切に思う気持ちさえあれば、いつだっていいんだよ」


 撫でられるままで見上げていたノエルがぎゅっと抱きついてくる。ほっとしてフランを見ると、こちらも安心したように微笑んでくれた。




 手で招くと傍に来てくれたフランを、そのまま片手で抱き寄せる。

 守るべき相手を先に逝かせてしまった絶望を忘れたわけではないが、それでも今はこうして生きているからこその喜びを報告できるようになった。

 代わりにというわけではない。

 今はただ、このふたりに少しでも幸せを感じてもらいたい。

 それが今の私の幸せなのだと。

 空を見上げ、祈るように報告した。

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