三回目の報告(フラン)

 少し暑さがましになったから、もうノエルも森の中で寝転がるのをやめた。

 でも日射しはまだ強くて、昼はそれなりに暑いけど。今日はそんなこと言ってられない。

 水を汲んだあとは、必要なものを準備しないと。

 今日は報告の日。

 あの人の、三度目の命日。





 ノエルが水瓶の水を入れ替えてくれてる間に畑に水をやって。このあとは一緒に川に行くことになってる。

 だんだんと手の先が冷たくなってくるような。身体が動きにくくなるような。

 もちろんぼくがそうしたいと思って言い出したことなんだけど、どんどん緊張してきてるのがわかる。

 川に入って魚を捕る。ただそれだけのことだけど、ぼくにとっては一大事。 

 でも。

 去年のままじゃないんだって、ぼくだってあの人に見てもらいたいんだ。

 外に出てきたノエルと一緒に川に向かう。

 どうしたってぼくの身体は小さくて、ノエルみたいに川の中で自由に動き回れないから、やっぱり人の姿でってことになった。

 これはこれで動きにくいけど、危ないからっていうノエルの心配もわかるからね。

 人の姿なら深いところでも膝の下まで。前屈みで手を浸けたって、顔に少し水がかかるくらい。動きが鈍い分は、ノエルがぼくの方に魚を追い込んでくれることになった。


「いい?」

「いつでも」


 応えると、ノエルが水音を立てながら魚を追い立て始めた。

 すぅっと魚がぼくの方に近付いてくる。できるだけ動かないように気をつけながら掴みにいくけど、触れることはできても掴めない。

 何度も失敗するうちに足も手も上の方まで濡れて、水の温度以上に冷たく感じてきた。

 ノエルは心配そうにちらちらぼくを見てるけど、気付かない振りをする。

 濡れるのは嫌いだけど、諦めたくない。

 ノエルだって今日は調理をするんだって決めてる。

 ナイフも火も怖いくせに、頑張るんだって言ってる。

 だから、まずはぼくが。

 あの人とノエルに、そしてぼく自身に、できるんだって示したいんだ。





「ねぇフラン」

「ノエル。もう一回お願い」


 駆け寄ってきたノエルが何を言おうとしてるかなんて聞かなくてもわかるから、ぼくは先にそう言い切る。

 猫の姿の方が機敏に動けるけど、身体が小さくて水に足を取られる。

 人の姿だと溺れはしないけど、動きが鈍くなる。

 だったら、この姿なら――。

 人の形を取るのをやめて、単に人化をする。

 猫の機敏さと人の大きさ、その両方を持つこの姿。

 猫でもない人でもない、中途半端なこの姿。

 これもぼくではあるけど、この姿だとどこにも居場所がなかった頃を思い出すから好きじゃない。

 ――でも、そうだね。

 いつか胸を張って、これもぼくなんだって報告できる時が来るかもしれない。

 だからノエル。そんな心配そうな顔、しなくていいよ。


「もう一度」


 はっきりとそう言うと、ノエルの顔がやっと和らいだ。


「任せて!」


 ノエルが川面を踏んで走る。パシャンと上がる水飛沫は、昼前の日射しにキラキラして。

 あの時と同じこの姿でも。あの時と同じ暗さはない。

 優しく微笑むあの人はいなくても。ぼくの周りは明るくて、楽しそうに笑うノエルがいる。

 ――だから、大丈夫。

 近付く影に向けて、素早く腕を振るう。

 跳ね上がった魚と水飛沫、その向こうに、嬉しそうに瞳を輝かせるノエルが見えた。





「すごいね、フラン!」


 無事に魚を三匹捕まえたところで、ノエルが走ってきた。

 まだ人化したままだから顔に掛かったりはしないけど、そんなに水を跳ね上げないでよ。

 いやそうな顔をしてたのかもしれない。ノエルはごめんねと謝ってくれた。


「ありがとう。ノエルのお陰だよ」

「ううん、フランが頑張ったからだよ」


 ノエルはそう言ってくれるけど。

 ノエルがここにいて助けてくれたからだよ。

 だから今度はぼくの番。

 家が近付くにつれてノエルがだんだん緊張した顔付きになっていくけど。

 ノエルなら大丈夫だよ。




 本当は内臓を取らなくても焼けるんだけど、ノエルはナイフも使うんだって譲らなかった。多分去年は竈だけだったから、今年はもっと何かをしたいんだと思う。


「大丈夫。落ち着いてね」


 こわばった顔で魚にナイフを当てるノエルに声をかける。


「うん」

「反対の手、気をつけるんだよ」


 ぼくもあの人に何度も教えてもらったから。

 ノエルがあの人に教えてもらったこと、代わりにぼくが何度でも伝えるよ。


「うん、ちゃんと見てる」


 ノエルは大きく深呼吸して、真剣な顔で魚を捌いていった。

 危なげのない手つき。ぼくが何も言わなくても手順だってわかってる。

 ノエルに足りないのは単に思い切りと自信だけなのかもしれない。

 火を扱うのだって同じこと。

 腰が引けてたけど、火を熾すのも問題なくできる。

 あんまりためらうようなら手伝おうと思ってたけど、ノエルは竈の前に屈み込んだままぼくの方を見ようとしなかった。

 自分でやるんだって。そういうことだよね。

 だからノエルに気付かれないようにもう一歩うしろに下がって、あとはそこから見てた。

 火からできるだけ離れて作業するノエルにいつもの勢いはなく慎重で。

 怖い気持ちももちろんあるんだろうけど。

 あの人にちゃんと見てもらいたいから。渡したいから――。そんな気持ちなんだと思う。

 ひとつだけ塩を振ったのがあの人の分。

 ひっくり返す時にヒレが取れちゃったけど、いい色に焼きあがった。


「できたよ!」


 魚を載せたお皿を持って振り返るノエルは本当に嬉しそう。

 いつの間にかノエルも苦手なことを克服してたんだね。

 そう思うと嬉しいけど少しだけ寂しくて。すぐには何も言えないままノエルを見返す。

 そのうちぼくがいなくても、なんて思わないように。


「うん。美味しそうに焼けたね」

「ありがとう! いっぱい教えてくれたお陰だよ」

「そんなことないよ」


 満面の笑みのノエル。

 また来年もふたりで何か報告できたらいいな、と。そう思うことにした。




 花を飾ったテーブルの上、お皿が三つ。

 ぼくとノエルが隣に並ぶ、あの人がいた時の座り方。

 ぼくが捕って、ノエルが料理した魚。

 ぼくたちの苦手なことも、少しだけできるようになったんだって証。

 示すことができたかな?

 安心してくれるかな?

 よくやったなって、撫でてくれるかな?




 テーブルの下で繋いだノエルの手。

 ひとりじゃ足りないぼくたちだけど、ひとりじゃないから大丈夫だよ。

 それでもまだ、心配をかけることもあるだろうから。

 これからも見守っててねって。

 そうあの人に報告した。

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