見上げる星に
どこまでも続く暗闇。見上げてもかろうじて風に揺れる葉の輪郭が見えるだけ。
夜の森は人族の私には少々厳しいものがある。
「だから灯りを持ってくればって言ったのに」
私の代わりに足元を見てくれているのだろう。すぐ右下からフランの声がする。
「いいんだ。私の代わりにフランとノエルが周りを見てくれるんだから」
火を怖がるノエルのすぐ隣でランタンを持つわけにはいかない。
幸いふたりは夜目が利く。危険があれば教えてくれるだろう。
「足元気をつけ――」
「うわっ」
せっかくのフランの忠告も虚しく、木の根に躓き膝をついてしまった。
避けてくれるとは思うが、フランの上に倒れなくて本当によかった。
「大丈夫?」
慌てたノエルの声に問題ないと返す。
「私から少し離れた方がいい。怪我をさせそうだ」
「でもそれじゃああなたが怪我しちゃうよ」
心配そうなノエル。フランは暫く黙っていたが、不意にわかったと呟いた。
ふっと隣に人影が立つ。慌てて向くと、フランが人化していた。
全身を覆う黒い毛は闇に溶けるのに、金色の目は眩く光るよう。
猫の容姿のまま身体だけ大きくなって二本足で立つ。人化族ならではのその姿は、フランが忌み嫌うものだというのに。
「フラン?」
「この姿じゃないと、あんまり見えないから」
「あたしも!」
左側に、フランより大きな銀色の犬が二本足で立った。
フラン同様、ノエルの青い目は明るく輝いている。
ふたりはそれぞれ私の手を取ってくれた。
「ゆっくり行くからね」
「もう大丈夫だよ!」
気を遣ったつもりが、余計な手間と心労を掛けてしまったと。
己の浅慮を後悔しながら、ふたりに連れられて歩いた。
森の中にある野原。森の中でも器用に駆け回るノエルだが、やはり障害物のない広い空間は嬉しいのだろう。見つけてからというもの、来るたびにはしゃいで駆け回るようになった。
もう夜だというのに、元の姿に戻ったノエルはいつも通りに野原を走り回っている。猫の姿に戻ったフランも、昼間同様私の隣に佇んだままだ。
「座ろうか」
そうフランに声を掛け、腰を下ろす。
フランも私の隣に座った。
「すまなかったな、フラン」
謝ると、フランはなんのことかと首を傾げてから、思い当たったのか少し笑う。
「ぼくが自分からしたことなんだから、あなたが謝ることじゃないよ」
「だが……」
フランにとってのあの姿は、人にも猫にも虐げられた姿。ただ、耐えるしかなかった頃の姿。
つらい記憶を思い出させたのではないかと心配する私に、それに、と続ける。
「あなたもノエルも。ぼくがどんな姿でも変わらないよね」
尋ねる口調ではなく、確信を持ってのその声。
「もちろんだとも」
「うん、だからもういいよ」
それでも頷いた私に、フランはどこか吹っ切れたような笑みを向けた。
その成長と私への気遣いに、胸がいっぱいになる。
「ありがとう……」
「もういいってば」
恥ずかしそうにそう返し、フランは空へと視線を逸らした。
見続けるのも悪いと思い、私も夜空を見上げる。
空には無数の星が輝き、埋め尽くしていた。
森の中には届かずとも、こうして空にはちゃんと星も月も輝いている。
きれいだな、と素直に感じた。
昔から変わらずきれいな星空。家族と見上げたのはどのくらい前だろうか。
日々生きることに精一杯になって。いつの間にか、家族で空を見上げる時間も余裕もなくなってしまった。
そうして必死に働いて、ようやく自由を得ても。結局自分には何ひとつ残らなかった。
こうして失ってしまうのなら。
もっと家族で一緒にいればよかった。
ふと両腕が温かくなる。
見ると、フランだけではなくノエルも隣に来て身を寄せてくれていた。
何も言わないまま、ただ心配そうな眼差しを向けられている。
感情に聡いふたり。どうやら心配を掛けてしまったようだな。
「……きれいだな」
ふたりの背に手を回して引き寄せてそう言うと、ふたりとも体重を預けてくる。
温かなふたり。
家族とできなかったことを、今、ふたりと一緒にできている。
みっともない自己満足なのかもしれない。
ふたりがどんなに喜んでくれても、私が家族を守りきれなかった事実は覆らない。
私の家族が戻ることは決してない。
それでも。
これからは自由に。最期にそう遺してくれた妻ならば。
よかったわね、と。笑ってくれるような気がする。
「ホント、キラキラしてる」
「きれいだね」
両隣、嬉しそうなふたりの声に。
何も返せず、ただ星空を見上げた。
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