星空の下で(ノエル)

 暑くなってきてからは、お水は朝に汲みに行く。フランは朝が苦手なのに、いつもちゃんと起きてくれるんだよね。

 ふたりで森を歩きながら、さわさわいってる木を見上げる。風に揺れてる葉っぱはなんだか涼しそう。

 この時期は特に、お家が森の中にあってよかったって思う。

 森に入ったら日陰だし、風が吹いて涼しいし。森の地面はひんやりしてるから、足裏だって熱くないもんね。

 手をいっぱい伸ばしたら風もいっぱい当たって涼しいかな。


「気持ちいいね」

「まだこれくらいならいいけどね」


 そう笑うフラン。

 フランは毛が黒いから日射しは苦手だもんね。




 お水を汲んで帰ってくると、フランが朝食を作ってくれるって言うから。あたしは外の畑にお水をあげるついでに葉っぱを摘んだ。

 葉っぱ、フランもあたしもそんなにたくさんは食べないけど、時々食べたくなるんだよね。

 フランは小麦粉を水で溶いて焼いてくれてた。これに赤い実のシロップを掛けたの、あたしも大好き。

 赤い実のシロップ、あの人は自分はほとんど食べずにあたしたちにばっかり食べさせてくれたけど。時々一緒に食べてる時はとっても美味しそうな顔してたよね。


「できたよ」


 フランがそう言ってテーブルの上にお皿を置いた。

 白と茶色の生地に赤いシロップと赤い実。


「フラン、ありがとう!」


 あたしはまだ怖くてあまり竈を使えないから、いつもフランに作ってもらっちゃってる。

 フランは任せてって言ってくれるけど、いい加減あたしもできるようにならないといけないよね。

 フランに甘えてばっかりのあたし。

 でも、もしあたしがひとりでなんでもできるようになったら。そのあともフランは傍にいてくれるのかな……。




 そんな風に考えちゃったから、その日はなんだかちょっと寂しくて。だからフランが星を見に行こうって言った時は驚いたけどほんとに嬉しかった。


「うん! 行こう、フラン!」


 あたしが行こうって言い出してもフランはいやって言わないけど、フランから言ってくれるのは珍しいよね。

 もう日は暮れてるからすぐに家を出た。行くのはもちろん原っぱ。フランと一緒に元の姿で走っていく。

 身体や足裏の感覚がちゃんとしてないと暗い中を走れないから、夜走るなら元の姿でないと無理。身体の大きさも足の本数も変わるからね。

 このまま人化すると二本足の犬と猫だけど、それならまだ夜道は歩ける。

 ちゃんとした人の姿を取ってしまうとヒゲも尻尾も隠れちゃうから、なんだか感覚が鈍っちゃうんだよね。

 あの人はあたしが怖がるからって、夜に出る時でも灯りを持とうとしなかった。でも危なっかしいから、フランとふたりで二本足になって手を繋いで歩いた。

 人化族ならではのこの姿には、フランもあたしもあまりならない。

 森の中だから誰に見られるでもないんだけどね。




 木の間から広いところに出て。あたしはそのまま止まらず原っぱに駆け込んだけど、フランは森を出たところで止まった。

 さわさわ身体に当たる草、森の中より乾いた風、見上げなくても突き当たりの木の上に空が見える。

 月は半分よりちょっと大きいくらい、一番好きな大きさで、星は周りを光で埋めてる。

 昼間は暑くてあまり走れないから。踏み込むたびに上がってくる草の匂いを追いかけるように、原っぱ中を駆け回った。




 星空はきれい。月もきれい。風は涼しくて、火照った身体を冷ましてくれる。

 楽しいし、気持ちいい。

 原っぱを夢中で走り回る。

 あの人もこうして走り回るあたしをニコニコしながら見ててくれた。フランはいつもあの人の隣で――。

 ドキッとして、足を止める。

 ゆっくり原っぱを見回す。

 いるはずの姿。いたはずの姿。

 どうして、ないの?


「……フラン……?」


 口から出た弱々しい声はすぐに風に紛れてしまって、なんの返事もない。

 ざわざわと、何かが足元から這い上がってくるような。

 見えてる景色が暗くなっていくような。

 初めてじゃないその感覚に、あたしは一気に怖くなった。


「フラン!!」


 視界の中、ぴょこっと跳ね上がる黒い頭。

 びっくりしてまん丸になった金色の目があたしを見てた。

 暗いから、目を閉じて伏せてたフランに気付けなかったんだとわかって。怖かった気持ちが息と一緒に抜け出ていく。

 ……よかった。

 フラン、いてくれた。


「どうしたの?」


 フランのところに走っていくと、フランは心配そうにそう聞いてきた。

 ちゃんと目の前にフランがいることはわかってるのに、なんだかどうしようもなくて。

 フランに頭をくっつけて、ちゃんとここにいるって確かめる。


「……なんでもないよ」

「ならいいけど……」


 フランはそれだけ言うと、あたしの気が済むまでそのまま動かずにいてくれた。




 もう大丈夫だってわかってたけど、なんだか離れるのが怖かったから、そのままフランの隣に座った。

 月に雲がかかり始めるのを見ながら、さっきまでの自分のことを考える。

 フランがママみたいにいなくなっちゃったんじゃないかって怖かった。

 ママ、あたしのこと大好きだって言ってくれたのに、あたしも大好きだったのに。

 ママはもうすぐ死ぬから、ついてきちゃだめだって。そう言っていなくなっちゃったから。

 またひとりになっちゃったらどうしようって、怖かった。

 あの人が、ママがどうしてあたしを置いていったのか教えてくれて。あの人の大事な人たちと同じように星空の向こうで見守ってくれてるよって言ってくれたけど。

 あの時の怖さは、まだ覚えてる。

 だから。

 あたしの隣で空を見てるフラン。

 フランがいなくなっちゃったんじゃなくて、本当によかった。


「曇っちゃったね」


 やっとほっとして空を見てたら、不意にフランがそう言ったから。

 あたしはフランをじっと見る。

 フランは金色の目であたしを見てる。


「そうだね、でも、これもいいかなって、あたしは思うよ」


 半分よりちょっと大きい月は、フランの金色の目とそっくりなんだよね。


「そうなの?」

「うん、星もよく見えるもん」


 だから月が見えなくても、あたしにはフランがいればいいよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る