雨の季節は(フラン)
雨は嫌い。
濡れて冷たいのも重いのも嫌い。
ほかの音をかき消していく雨音も嫌い。
周りが霞んで何も見えなくなるのも嫌い。
だから、雨の季節も嫌い。
「やめてよノエル!!」
外から帰ってきたノエルが犬の姿に戻ってブルブルと水を振り落とした。
自分で思ってた以上に大きくなってしまった声に、ノエルが驚いた顔でぼくを見る。
「な、何?」
「何じゃないよ。そんなとこで身体を振るうから、ぼくまで濡れちゃったじゃないか」
人の姿のまま拭けばいいのに、そんなことするから辺りに水が飛び散っちゃってる。
でもノエルは不思議そうな顔のまま、そんなに飛んでないでしょって言ってくる。
ぼくだってあの時、少し濡れるくらい平気だって思ってたんだ。
「でも濡れたんだよ!」
家の中にいても雨の音がするし、雨の匂いがする。
ここは家の中だし、ぼくは濡れてないし、あの時とは違うってわかってても。
どうしても、思い出してしまうから。
だからやめてほしかっただけなのに。
「そんなの濡れたうちに入らないもん! 外に出たらもっとびしょびしょになっちゃうんだからね!」
――ぼくだって。なりたくってこうなったわけじゃない。
でも尤もなノエルの言葉に何も返すことができなくて。
顔を背けて、もういいよってひと言だけ、なんとか絞り出した。
これ以上何も話せそうにないから、猫の姿に戻って棚の上に行く。
あの人の目線より高いこの場所。もちろんノエルにも届かないし、登ってこれない。
ぼくがひとりになれるようにって、あの人がぼくだけ登っていけるようにしてくれた。
ちょうど角の位置に敷物が敷いてあって。ぼくはその上で壁の方を向いて丸まった。
暫くしたらノエルの足音がした。反対の角のノエルの場所に行ったんだろうな。
ケンカした時はひとりになってみたらいいって言って、あの人はぼくたちにそれぞれひとりになれる場所を作ってくれた。
ここならもう濡れないけど。
濡れた時と同じくらい、今は寒くて悲しかった。
ぼくが雨の日に外に出られないから、外に行かなきゃできないことは全部ノエルがやってくれてるってわかってる。
でも、どうしても怖くて。
雨なんて少し濡れるだけって思ってたのに。どんどん冷たくて重くなってきて、何も聞こえなくなって、何も見えなくなって。
雨の匂いと雨の音は、そんなあの日を思い出すから怖い。
だから濡れたくなかったんだよ。
静まり返った家の中、外から雨の音が聞こえてくる。
でも今は怖いよりも、後悔の方が大きい。
ノエルがあんな言い方をするくらい怒らせた。
ノエルはいつもぼくのことを気遣ってくれるのに。ぼくは自分のことばっかりで、濡れて帰ってきたノエルを気遣うこともできなかった。
こんなぼくがノエルのお兄ちゃんでいたいなんて、呆れちゃうよね。
森の中で大雨に降られて動けなくなった時も、ノエルが必死に捜してくれた。
あの日のあの人みたいに、冷たくて動けなくなったぼくを見つけて温めてくれた。
ノエルに助けられてばかりのぼく。
それでも。
こんなぼくでも、少しでもノエルの助けになれたならって。そう思ってたのに。
ノエル、怒ってたけど、悲しそうな顔をしてた。
雨の音よりも。雨の匂いよりも。
今はその方がつらかった。
落ち着いたらちゃんと思っていることを伝えるんだよ、ってあの人が言ってたから。
棚から降りて、ノエルのところに行った。
ノエルは棚と棚の間に張った布の向こう。大きいから、うしろ足と尻尾の先が出ちゃってる。
「……ノエル……。ごめんね……」
あんな態度とってごめんね。
悲しい気持ちにさせてごめんね。
ノエルにばっかりやらせてごめんね。
こんなぼくで、ごめんね。
今ぼくが思ってること。
たくさんあるけど、それしか言葉にできなかった。
ばさっと音がして、うつむく視界にノエルの鼻先が映る。
「フラン」
ノエルの鼻先がぼくに触れて。そのまま頭をくっつけてきた。
「あたしもごめんね」
ノエルが触れてるところから、温かさが広がって。
ぼくもノエルに身体を寄せる。
「ぼくが外に出られないから、ノエルが全部してくれてるのに。ちょっと濡れたくらいで怒ってごめん……」
温かくなったからか、さっき言えなかったことが言えた。
大きな身体でぼくを隠すみたいに囲み込んだノエルが、あたしだって、と沈んだ声で呟く。
「フランが濡れるのいやなの知ってるのに。ひどいこと言ってごめんね」
ノエルは何も悪くないのに、そんな風に謝ってくれる。
優しいだけじゃない。ノエルは強い。
「……ノエル。お願いがあるんだ」
ノエルが隣にいてくれたら。
ぼくも、ノエルみたいに強くなれるかな。
次の日も雨だった。
本当に大丈夫かって何回も確かめられながら、ぼくはノエルと外に出てみた。
入口を出てすぐは床と
でも家の中よりたくさん聞こえる雨の音と土と混ざった濃い雨の匂いに、外から感じる冷たさだけじゃなくて、身体の奥底から冷たいものが広がっていくみたいに思えた。
隣にいてくれるノエルの温かさがなかったら、怖くて仕方なかったかもしれないけど。
ノエルがいるから頑張れるよ。
心配してくれるノエルの声に大丈夫と返しながら、ぼくは雨の向こうの景色を見てた。
視線の先にはあの人のお墓。
雨で見えにくくなってても、ちゃんとそこにある。
「森の中だと葉っぱに当たって、雨と一緒に音が降ってくるんだよ」
突然ノエルがそんなことを言った。
雨の音なんて同じにしか聞こえないのに、ノエルには違う音が聞こえてるみたい。
「そうなんだ……」
森の方を見ても、今のぼくにはその音は聞こえないけど。
「……いつか、ぼくも聞けるかな……」
「うん。いつか、一緒に聞こうね」
ノエルがいてくれたら。
いつかぼくもその音を聞きに行けるかな。
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