雨の季節は(ノエル)

「やめてよノエル!!」


 突然の大声にびっくりして顔を上げると、フランがものすごく嫌そうな顔をしてあたしを見てた。

 どうしてかはわからないけど、あたしに怒ってるのはわかって。

 いつも聞いてるフランの声だけど、強い声はちょっと怖い。


「な、何?」

「何じゃないよ。そんなとこで身体を振るうから、ぼくまで濡れちゃったじゃないか」


 確かにまだ少し冷たいなって思ったから、犬の姿に戻ってブルブルしたんだけど。


「外でもちゃんと振るってきたから、そんなに飛んでないでしょ?」


 床だって少し水滴が飛んだぐらい。こんなのすぐに乾くのに。


「でも濡れたんだよ!」


 そんなに大きな声で怒らなくってもいいのに。そう思ったら、あたしも嫌な気持ちになってきた。

 フランが外に行けないから、あたしが行ってるのに。

 だからあたしだけ濡れちゃったのに。

 そんな風に言わなくてもいいじゃない。


「そんなの濡れたうちに入らないもん! 外に出たらもっとびしょびしょになっちゃうんだからね!」


 イライラした気持ちのままそう言ったあたしに。

 フランは一瞬はっとしてから、ふいっと目を逸らした。


「もういいよ」


 フランの声は大きくなかったけど、とってもトゲトゲしてて。

 あたしは腹が立つのと悲しいのがごちゃまぜになって、何も言えなかった。




 フランは猫の姿に戻って部屋の角の棚の上に登っていった。

 あたしには登れないし手も届かないそこは、フランだけの場所。

 フランが背中を向けて丸くなるのを見てから、あたしは反対のすみっこにある物陰にうずくまる。

 棚と棚の間、布をかけて見えにくくしてあるここがあたしの場所。あの人が置いてくれた敷物の上に、ママからもらった石がある。

 石に鼻先を近付けても、もうママの匂いはしないけど。なんだかくっついてると安心するんだよね。

 人の姿にはなれなかったママ。この石を転がしてあたしと遊んでくれた。

 冷たくてちょっとだけ寂しくなるけど、ママを思い出して元気ももらえるこの石。

 だけど今日は悲しい気持ちが重なって、胸がきゅうっとなってくる。

 もうママはいない。

 あの人もいない。

 あたしにはフランしかいないのに。

 フランはあたしのこと怒ってる。

 どうしよう。フランとケンカしちゃった。

 あたしだって怒ってたけど。

 今は悲しいだけだった。




 あの人が言ってた。

 ケンカすることもあるだろうけど、そんな時は少しひとりになってみたらいいって。

 少し時間をおいたらきっと、自分がどうしてそんなことを言っちゃったのか、相手がどうしてそんなことを言ったのか、わかるだろうからって。

 そしてお互い落ち着いたら、その時の気持ちを素直に伝えればいいって。

 怒ってた気持ちがしぼんで、悲しいだけになっちゃったあたし。

 今はフランにごめんねって言いたい。

 フランが濡れるのが嫌いだって知ってるから。

 濡れるのが怖いんだって知ってるから。

 だからこの季節はあたしひとりで外に行ってたのに。

 一昨年、あたしにばっかりさせて悪いからって言って獲物を取りに行ったフランは、途中で降ってきた雨に動けなくなっちゃって、森の中で震えてた。

 もうあんな思いをさせたくないから、あたしが自分から行ってるのに。

 フランのこと、責めるようなこと言っちゃった。




 フラン、まだ怒ってるかな。声を掛けたら降りてきてくれるかな。

 そんな風に考えてたら、なかなかここから出られなくって。

 どうしようって思ってるうちに、小さな物音が聞こえた。


「……ノエル」


 うしろからのフランの声はさっきと全然違って悲しそうで。


「ごめんね……」


 沈む声がなんだか泣いてるみたいに聞こえて、あたしは急いでここから出た。

 布の向こうでちょこんと座ったフランは、小さな身体を丸めるようにうつむいてる。


「フラン」


 鼻先で撫でるようにフランにすり寄る。

 石は冷たくてママの匂いもしないけど、フランは温かくてちゃんとフランの匂いがする。

 どっちもくっついてると安心できるけど、フランだと寂しくならない。

 だってフランはここにいるんだもん。


「あたしもごめんね」


 そう謝ると、フランもあたしにくっついてきた。


「ぼくが外に出られないから、ノエルが全部してくれてるのに。ちょっと濡れたくらいで怒ってごめん……」

「あたしだってフランが濡れるのいやなの知ってるのに。ひどいこと言ってごめんね」


 ふたりでぎゅっとくっついて、思ったことを言い合って。

 フランから伝わる温かさに、なんだか涙が出そうになる。

 ママも、あの人も、あたしを今でも幸せな気持ちにしてくれるけど。

 やっぱりここにフランがいてくれることが一番幸せなんだって思えた。




 次の日も雨だったけど、あたしたちは家の外にいた。

 入口を出たところは、水気を振るったり姿を変えたりしやすいようにって、あの人が床とひさしをつけてくれてる。

 跳ね返るほど強い雨じゃないから、ここなら濡れないよね。


「フラン、大丈夫?」


 ぴったりと寄せられたフランの身体が震えてるように感じてそう聞くと、大丈夫と返ってくる。

 昨日あれから。フランが雨を見たいって言い出した。

 あたしと一緒だったらきっと大丈夫だからって。

 だからフランと並んで、ちょっとぼやける景色を見てた。

 ふたりで黙って眺めてると、いろんな音がする。

 どこかの雫がぴちょんと水たまりに落ちる音。

 パタパタ庇に当たる音。

 余計な音は雨と一緒に地面に吸い込まれて。雨の音ばかり聞こえてくるみたい。


「森の中だと葉っぱに当たって、雨と一緒に音が降ってくるんだよ」

「そうなんだ……」


 呟いて森の方を見るフラン。


「……いつか、ぼくも聞けるかな……」

「うん。いつか、一緒に聞こうね」


 今年も来年もその先も。

 毎年雨の季節は巡ってくるから。

 きっといつか、フランと一緒に雨の中をお散歩できるよね。

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