新緑の森から街へ(フラン)

 すっかり風も暖かくなって、森の緑が元気になってきた。

 この季節はお墓と花が見える日陰でのんびりするのが一番気持ちいい。

 ぼくの毛は黒いから。日向だと暑いんだよね。

 葉っぱがさらさら鳴る音と、風と一緒に流れてくるちょっと甘い花の香り。

 気持ちいいなぁと思いながらうとうとしてたら、慌てた様子でノエルが走ってきた。


「フラン! 大変!!」

「どうしたの?」


 運動してくるって言って散歩に行ってたノエル。興奮しきってぼくの周りをぐるぐる回ってから、やっと気付いたみたいに人の姿になる。


「あたし、すっごいところ見つけちゃった!」


 猫の姿のままのぼくをひょいっと抱え上げて、桶をひとつ掴んで。ノエルはまた森の中に駆け込んでいった。


「自分で行くから降ろしてよ」

「いいからいいから! フランにも早く見せたいんだもん」


 ぼくの方がお兄ちゃんなのに。運ばれるのはちょっと恥ずかしい。

 手足をバタバタさせてもがくけど、ノエルは降ろしてくれなかった。

 仕方なく抵抗するのをやめたぼくの鼻に、そのうちふんわりと甘い香りが届く。

 ほら、とノエルの嬉しそうな声がした。




 大きな木が少しまばらになったその場所には、日の光がたくさん差して。ノエルの腰くらいの高さの木に、赤い実がたくさんなってた。


「ほら、こんなにいっぱい! すごいよね!」


 得意げなノエル。

 でも確かに、こんなにたくさんなってるのは今年初めて見るかな。


「うん。よく見つけたね」


 そう言うと、えへへと嬉しそうに笑いながら、ノエルはぼくを降ろしてくれた。


「これだけあったらシロップもできるよね」


 赤い実がたくさん採れた時に作る、甘いシロップ。毎年あの人が作ってくれた。

 あの人との思い出の味。

 ほかにもたくさんあるんだ。


「桶に半分くらいかな」


 猫のままじゃ摘めないから人の姿になって。時々つまみ食いをしながら、ノエルといっしょに赤い実を集めた。


「美味しいね」

「うん。今年のも甘いね」


 見上げると、柔らかそうな緑の葉と、その向こうの青い空。

 風に揺れる葉はキラキラしてきれいだよね。

 あの人もよく空を見上げてた。

 いつか会いたい人がそこにいるんだって。そう言って。




 今年も美味しい実を見つけたよって、あの人のお墓にもいくつか置いて。

 明日も食べようねって、少し残しておいて。

 あとはきれいに洗って砂糖と一緒に瓶に詰めた。

 シロップができるまで時間がかかるけど、だんだんできあがるのを見るのも楽しみにしてる。

 ノエルはすぐに飲みたいって言うけどね。


「じゃあフラン、明日は街に行くんだよね?」

「うん。砂糖使っちゃったから、買わないと」


 調味料と小麦粉、少しの雑貨や金物は、ぼくたちには作れない。

 狩った獲物の皮をきれいに剥げば売れることを、あの人が教えてくれていたから。

 足りないものは、そうやって手に入れてる。

 寒い間はなるべく出なくてすむように準備をしてるから、街に行くのは暖かくなってから初めて。

 ついでに少なくなっていた物も買い足さないといけないな。


「フラン」


 呼ばれた名前に顔を上げると、心配そうにノエルが見てた。

 街が苦手なこと、ノエルにもバレてるから。仕方ないかな。


「砂糖と、ついでに小麦粉と塩も。布もいる?」

「布はまだいいよ…」


 ごまかせないのはわかってたけど。

 昔ほどつらくはないから、大丈夫だよ。


「ほかはない?」

「……うん。ないよ」


 ノエルがほしいもの、もうひとつあるのはわかってるけど、ノエルは自分からほしいって言わない。

 ぼくたちが買うものは人らしい暮らしに必要なものであって、生きていくことに必要なものじゃない。

 それに、ノエルがほしいものは、あの人からもらったからこそ特別なもの。なんでもいいわけじゃないだろうから。




 ここから街までは、ぼくたちなら走って半時間くらい。人の姿だと走れないから二時間くらいかかっちゃう。

 あの人がいた時は、皆で話しながら行くのも楽しかったな。

 今はあの時よりも早く着けるけど、朝のまだあまり人がいないうちに終わらせたいから早く行くことにしてる。


「荷物できたよ! お願いね」


 ノエルが布包と大きな布を持ってきた。

 犬に戻ったノエルの背中に荷物を布でくくりつける。


「苦しくない?」

「大丈夫!」


 荷物、本当はぼくが持ちたいけど。

 猫のぼくには大きすぎて背負えないから。


「行こう」


 入口を開けるとノエルが元気に飛び出していった。

 朝の森は涼しくて気持ちいいし、木の隙間からの光もそんなに強くないから走り抜けた時に眩しくてびっくりすることも少ない。朝露で足が濡れるのはちょっといやだけど。

 走るのはノエルの方が速いから加減してくれてる。

 身体が大きくて、力も強くて、走るのも速いノエル。

 小さなぼくは、ノエルに何かできてるのかな……。




 森から出る前に人の姿になって、あとは歩いていく。まっすぐ続く道の両側にぽつぽつ建物が増えてきて、いつの間にか街に入るような。そんな境目のない街は、今も広がっているんだってあの人が言ってたけど。

 そのうち森の入口まで街になっちゃうのかもしれない。

 そんな広い街だけど、ぼくたちが行く店は二軒しかなくて。どちらに行くか、どちらにも行くかで通る道を決めてある。

 使うのはできるだけ大きな通り。大きな道と道の間の人があまり通らない場所には近寄らない方がいいって言われてる。

 子どもの人化族なんて、軽んじられて当然だから。

 金物はいらないから、今日行くのは一軒だけ。街の奥の方にある、色んなものを売ってる日用品店。

 ここのおばあさんも金物屋の無口なおじさんも、ぼくたちが人化族だって気付いてそうなのに、ふたりだけで来るようになってもそれまでと同じように接してくれる。

 それがどんなに珍しいことか、ぼくは知ってるから。

 街の中は未だに緊張するし、本当は怖い。


「ノエル」

「あ、ごめんね」


 だからノエルがほかの店を気にしてても、気付かない振りをして歩いていく。

 道の両側の店にすぐ気を取られるノエルを引っ張りながら、まっすぐ日用品店に向かった。

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