白い花の咲く季節(フラン)

 目を閉じててもわかる明るさにゆっくり目を開けると、隣にいたはずのノエルの姿も温もりももうなかった。相変わらず早起きだよね。

 ベッドの上で伸びをしてから飛び降りて、隣の部屋に行って。ノエルの姿はやっぱりないから、もう外に行っちゃってるんだろうな。

 ぼくもあとで水汲みに行かないと。

 人型になって水瓶の中を覗き込んでると、ノエルが帰ってきた。


「おかえり、ノエル」

「フラン! 見て見て、これ!!」


 ただいまも言わずに嬉しそうに赤い実を見せてくるノエルがおかしくて笑う。


「もうこんな季節なんだね」


 暖かくなってきたら見かける赤い実はとっても甘くて。もちろんぼくも好きだけど、ノエルが嬉しそうに食べてるのを見ると幸せな気持ちになる。


「朝はこれ食べようね!」


 ノエルの分とぼくの分、お皿に分けて。

 赤くて甘い実。あの人はいつもぼくたちふたりに全部分けて、ぼくたちが食べるのを嬉しそうに見てた。

 自分は食べてないのにどうしてそんなに嬉しそうなんだろうって、そう思ってたけど。

 今ならちょっとだけ、あの人の気持もわかるんだ。




 食事はノエルに任せちゃったから水はぼくが行こうと思ったのに、ノエルはやっぱり自分も行くって言い張る。


「ひとりで行けるんだけど……」


 ノエルの方が身体も大きくて力もあるけど、あの人に拾われたのはぼくの方が先。だからぼくがノエルのお兄ちゃんだって思ってる。

 でも、ノエルの言うこともわかるんだ。だからふたりで森の中の湧き水を汲みにいく。

 ふたりだから桶は三つ、やっぱり帰りはノエルがふたつ持ってくれた。

 仕方ないってわかってるけど。

 ぼくの方がお兄ちゃんなのに……。

 ちょっとしょんぼりしながら家に戻って。桶ひとつ分は水瓶に入れて、あとのふたつは水やりに使う。畑と、あの人のお墓の前の白い花に。

 寒くなると枯れてなくなるけど、暖かくなるとまた芽が出てきて。今はもう白くて丸い花がたくさん揺れてる。


「今年もいっぱい咲いたよね」

「うん、また増えたね」


 お墓の前に蒔いてほしいって、あの人が最期に渡してくれた種。どんな花が咲くのかなって楽しみにしながら蒔いた。

 白い花が咲いたのが嬉しかった分だけ、全部枯れた時は悲しくって、ノエルとふたりで泣いて。暖かくなってまた芽が出た時は、嬉しくってまた泣いた。

 なくなったって思っても、まだちゃんとそこにあった。

 あの人も見えないけどここにいるからって。

 そう言ってくれてるような気がしたんだ。




 お昼はノエルが採ってきてくれた魚。

 ぼくたちは生のまま食べることにそんなに抵抗はないけど、それを人の姿で、特に人族の前ではやらないようにって、あの人に言われてる。

 姿形が似てるのにその中身は違うんだって思われたら、怖がられて避けられたり、痛いことをされたりするかもしれないからって。

 言われたことは、ぼくだってわかるよ。

 あの人に出逢うまでのぼくが、そうだったから。

 ノエルには絶対にあんな思いをしてほしくないし、させないって決めてる。

 だから怖くても、ぼくはちゃんとナイフも火も使えるようになったんだ。

 もうあの人はここにはいないけど。あの人が怖がるぼくと一緒にやってくれたように、ノエルとはぼくが一緒にやるからね。

 ぼくがあの人に教えてもらったこと、全部ノエルに伝えるからね。


「いいよ。ぼくやるから」

「フラン……」


 だけどまだ、ゆっくりでいいから。

 まだひとりで全部できなくていいから。

 ……まだぼくは、ノエルと一緒にいたいから。


「だってノエルは大雑把だし。身がぐちゃぐちゃになっちゃうよ」

「そんなことないもん!」


 ぷうっと頬を膨らませるノエルに笑う。

 本気で怒ってないのは顔を見たらわかるよ。


「でもやっと狩りもできるね」


 だからごまかすようにそう言うと、ノエルもにっこり笑ってくれた。


「干し肉、塩辛いもんね」


 寒くて獲物が少ない間でも栄養を取れるようにってわかってるけど、ぼくもノエルもちょっと苦手で。いつもスープに少しだけ入れる。

 どうしても嫌なら茹でた汁を捨てたらいいって言われたけど。そうしたらあんまり肉の味がしなくて美味しくない。

 肉自体は好きなんだけどな。




 夕方、ノエルがぼくにも水を浴びてこいって言い出した。


「やだ」


 どうしてこんな時間に言い出すんだろう。外で水なんて浴びたら寒いに決まってるのに。


「あたしは川に入ったけど、フランは入ってないでしょ。毎日じゃなくてもちゃんときれいにしないと病気になるって、あの人が言ってたもん」

「ならないよ」


 毎日じゃなくてもいいなら今日も浴びなくったっていいと思うんだけど。


「フラン!」

「やなものはやなの。まだ水冷たいし」


 ノエルが心配してくれてるのはわかってる。

 ぼくはお兄ちゃんなんだからノエルを困らせちゃいけないってわかってるけど。

 でも、いやなんだ。

 あんまり冷たいと、あの人に逢う前のことを思い出しちゃうから。

 ひとりで震えてた、あの時のことを思い出しちゃうから。

 寂しくて悲しくて。どうしていいかわからなくなるから。

 

「……じゃあ、次は絶対お水浴びてくれるなら、今日はあたしが拭いてあげる」


 ノエルを見ずに黙り込んでると、優しい声でノエルがそう言ってくれた。


「……うん」


 ちょっと自分が情けなくなったけど、ノエルの優しさに甘えることにする。


「お湯沸かすよ」

「いいよ。水で」


 火をおこすの、怖いくせに。


「……ありがと」


 水を取りに行ったノエルの背中にお礼を言うけど、小さすぎて届かなかった。

 猫に戻ったぼくを、ノエルが膝に乗せて拭いてくれる。

 濡れた布はやっぱり冷たいけど、その分ノエルの手が温かくて。

 どうしてもあの人の手の温もりを思い出してしまう。

 懐かしくて嬉しい気持ちと。情けなくて悲しい気持ち。

 小さくて、弱いぼく。

 ちゃんとノエルのお兄ちゃんでいられてるのかな。

 見上げるノエルの青い目も、大きな温かな手も、ぼくよりしっかりしてるのに。

 ぼくはノエルを助けられているのかな。

 落ち込んだら身体の中から冷たくなってくるみたいに感じて。

 乾いた布で拭いてもらったのに、どうしても寒くて。


「やっぱり冷たかった?」

「……ノエル」


 ぎゅっとノエルに身を寄せる。

 ごめんね、ノエル。

 ぼくがもっと強くて大きかったら、あの人みたいにノエルを守ってあげられるのに。

 ぼくの背中を撫でてるノエルの手はやっぱり大きくて温かい。

 弱くて、小さくて、こんなに冷たいぼくだけど。

 それでも。ぼくはノエルのお兄ちゃんでいたいんだ。


「これ片付けたらもう寝よう。くっついてたらあったかいもんね」

「うん……」


 そう思ってるけど、今だけは。

 冷たい身体が温まるまでは。

 ちょっとだけぼくも、甘えてもいいかな……。

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