白い花の咲く季節(ノエル)
外から聞こえる鳥の声に目が覚めて、あたしはゆっくり起き上がった。窓の向こうはもう明るくなってる。
隣で丸まって寝てるフランはいつも通り真っ黒のまん丸。触りたくてウズウズするけど、よく眠ってるのを邪魔しちゃだめだよね。我慢しなきゃ。
そっとベッドから降りて、大きく伸びをして。あまりうるさくしないように気をつけながら、隣の部屋に行く。
家の中に扉はないけど、家から出るには扉を開けないと。元の犬の姿から人の姿になって、あたしは外に出た。
朝の空気はまだ少し冷たいけど、今までに比べたらずいぶん暖かくなったよね。
「おはよう。行ってくるね」
左側、白い花に埋もれるお墓に挨拶する。
あの人は、今日も見守ってくれてるのかな。
森の中を駆けるのは犬の姿の方が楽だし気持ちいい。狩りもこの姿じゃないと無理だしね。
お魚を捕まえに入った川はまだちょっと冷たかったけど、もう入れないほどじゃない。
あたしが咥えても頭と尻尾が出るような、大きなお魚を捕まえられたから。今朝はこれで帰ろう。
帰り道、草の陰に赤い実を見つけた。赤くて甘い実、フランが好きなんだよね。
この姿じゃ採れないから、人の姿になって、潰さないように気をつけて。
「おかえり、ノエル」
帰ってきたらもうフランが起きてた。人の姿のフランに赤い実を見せたら、もうこんな季節なんだねって嬉しそうに笑ってる。
朝はふたりでその実を食べた。
「じゃあぼくお水汲んでくるよ」
「待ってフラン、あたしも行く」
お水は森の中の湧き水を汲んできてるんだけど、フランひとりじゃ大変だし、あたしの方が力も強いしね。
「ひとりで行けるんだけど……」
フラン、いっつもふくれてそう言うけど。ふたりで行った方が早いもん。
桶は三つ。
ひとつは水瓶に。ひとつは畑に。ひとつはお花に。
暖かくなってきたらあの人のお墓の周りに小さな芽が出てきて、今は白いお花がたくさん咲いてる。
「今年もいっぱい咲いたよね」
小さな花びらがいっぱいの丸いお花を嬉しそうに見ながらフランが笑う。
「うん、また増えたね」
お花はどんどん広がって、一昨年よりも、去年よりも、もっとたくさんになった。
あの人が最期にあたしたちに頼んだことのひとつ。森の実りの季節になったらお墓の前に蒔いてほしいって、たくさん種をくれた。
暖かくなったら芽が出てきて。初めて白い花が咲いた時は、フランとふたりですっごく喜んだ。
あの人が遺してくれたもの。あたしたちへの贈り物だねって。
そんな風に思ってたから、寒くなって全部枯れちゃった時は悲しくて仕方なかった。
あたしはここを見る度に泣いて。フランは自分も泣きながら、それでもあたしを慰めてくれた。
でも暖かくなったらまた芽が出て。びっくりしたけど嬉しかった。
今年もまた、あの人からの贈り物。
もう驚かないけど、とっても嬉しい。
お昼には捕ってきたお魚を焼いた。
そのまま食べても平気だけど、人の姿になれるのなら人が怖いと思う姿を見せちゃだめだって、あの人が教えてくれた。
人は生のお肉やお魚を、そのままかじったりしないからって。
見せたら仲良くしてくれないって言われたから、あたしはもうやらない。
あの人だって人族。嫌われたくないもん。
だからあたしたちは人と同じように調理をするし、そうしたら美味しいってことも知ってる。
でも、ナイフを使うのも火をつけるのも、本当はまだ怖い。
あの人は、どっちも怖いものだけど、どっちも便利で大事なものだって教えてくれた。
だから頑張ろうって思うんだけど。
「いいよ。ぼくやるから」
「フラン……」
たいていフランがやってくれて。
あたしは少し離れて見てるだけ。
「だってノエルは大雑把だし。身がぐちゃぐちゃになっちゃうよ」
「そんなことないもん!」
本気で言ってるんじゃないって。わかってるよ。
ありがとね、フラン。
やらなきゃいけないってわかってても、まだひとりじゃ怖いから。
慣れるまで、一緒にやってくれたらいいのにな。
「でもやっと狩りもできるね」
「干し肉、塩辛いもんね」
寒い間もちゃんと食べられるようにって、あの人が作り方を教えてくれたけど。
フランもあたしも塩辛いのが好きじゃなくて、そんなに食べない。
街で買った干し肉は塩辛いし香辛料もきついから、もっと苦手。
みんな本当に美味しいって思って食べてるのかな?
夕方になってから、フランが今日水浴びをしてないことに気付いて。お水浴びてきたらって言ったら、フランは見る間に嫌そうな顔になった。
「やだ」
ぷいっとそっぽを向くフラン。
もう! こんなとこ、昔から全然変わらないんだから。
「あたしは川に入ったけど、フランは入ってないでしょ。毎日じゃなくてもちゃんときれいにしないと病気になるって、あの人が言ってたもん」
「ならないよ」
「フラン!」
「やなものはやなの。まだ水冷たいし」
フランが濡れるのも冷たいのも嫌いだって知ってるけど、あたしはフランに病気になんてなってほしくないんだよ。
「……じゃあ、次は絶対お水浴びてくれるなら、今日はあたしが拭いてあげる」
あの人もこう言って、いつもフランを宥めてたよね。
もちろんあたしも何度もそう言ってきたから。
多分、フランもわかってくれてる。
「……うん」
「お湯沸かすよ」
「いいよ。水で」
猫の姿のフランを膝に抱いて、固く絞った布で丁寧に拭いてあげる。人の姿の時も、猫の姿の時も、フランの毛は柔らかくて気持ちいい。あたしの硬い毛とは大違いだよね。
フランは嫌そうな顔で避けようとしたり、時々くすぐったそうに金色の目を細めたりしてた。
最後は乾いた布で拭いたけど、フランはすっかり寒そうに丸まってる。
「やっぱり冷たかった?」
「……ノエル」
ぎゅうっとフランがくっついてくる。
きっと、あの人のこと思い出して寂しくなっちゃったんだろうな。
「これ片付けたらもう寝よう。くっついてたらあったかいもんね」
フランの背中を撫でながらそう言うと、小さな声で、うんって返ってきた。
犬の姿のあたしなら、フランを温めてあげられるから。
ふたりで一緒に温まって、ふたりで一緒にあの人の夢を見れたらいいな。
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