第4話 事故物件

「203号室で、二つの事件が起きました。五年前と一年前です。最初の事件では男女の遺体が、次の事件では男性の遺体が、それぞれ発見されました」

「遺体? まさかそんな」

「世にいう事故物件というやつなんです。ですから現在は誰にも貸しておりません。女子大生? ええ、おりませんとも」


 誰にも貸していないのだと? ではあの女は一体何者なんだ?

 ――不法占拠。

 そんな単語が頭に浮かんできた。

 するとあの女はあそこで勝手に売春でもしているのか?


 女の話をしようと思ったが俺はぐっと飲み込む。となりにはT彦が行ってるはずだ。もし警察を呼ばれでもしたら、あいつも罪に問われかねない。


「どういった事件なのですか?」

「それは……」Y村は言いよどんだが、話を続けた。「最初の事件は、恋人同士の無理心中と見られています。第二の事件は、警察の話によりますとということでした」


「犯罪死体の発見? それってどういうことですか?」

「要するに殺人事件です。遺体はかなり損傷していたという話です。犯人はまだ捕まっておりません」

 苦渋の表情でY村は言った。


「えっ! 殺人者はまだその辺をうろうろしているってことですか⁉︎」

 俺の問いかけにY村はうなずいた。

「そういう物件なら、すみません、ちょっと借りるの躊躇ちゅうちょしますよ」


 嫌なイメージが頭をよぎった。全身黒づくめの犯罪者が犯行現場に戻ってくる。のぞき穴からやつはこちらをうかがう。そして機が熟したと見るや、となりの部屋に侵入してくる。鋭いナイフをたずさえて――。

 ただの空想に過ぎないが、このような話を聞いた後では穏やかな気持ちではいられなかった。


「当然ですよね」とY村。「となりが事故物件ともなれば、そうお考えになる気持ちもわかります」

「とにかく話していただいてありがとうございます」俺はY村に頭を下げた。「私の見学希望した場所そのものが事故物件というわけではない以上、話す義務もなかったのに」

「いえいえ。『大島てる』のようなサイトで検索すればすぐに分かることですから」


 ――返答は後日連絡する。

 そうは言ったが俺の心は借りないことで決着がついていたし、Y村もそれを見透かしているような気がした。

 俺たちはこの場から引き上げることにした。その前に連絡を取るべき相手がひとりいる。


「もしもし、お前、今どこにいる?」

 俺は携帯の通話口に向かって言った。相手はもちろんT彦だ。無言に続き、T彦の声がした。

「家に帰ったよ」

 ひどくノイズが混じっていた。声の輪郭が不明瞭になるくらいひどかった。


「家に帰った? まあ、それならいいんだけどさ。――つうか音ひどすぎるよ。マジで家なのか? なあ、あの女のところには行ってないんだよな?」

 ブツリ。電話が途切れた。ツーツーツー。

 勝手についてきて勝手に帰るなんて、相変わらずわがままな野郎だ。こっちが心配しているのも知らないで。


 とにかく、T彦がとなりの部屋にいないこと、なにか厄介なことになっていないことが分かって安心した。


 それにしても――俺は携帯の画面を見つめた。画面は十秒にも満たない通話時間を表示している。

 T彦のやつなんだか変な感じだったな。さっきまであんなに興奮していたのに、いまとなっては不気味なくらい落ち着いていた。挙動不審にも程がある。

 まあいい、もともと変なやつだからな。俺はそう思うことにして携帯をジーンズのポケットに押し込んだ。


 帰る直前にあののぞき穴を一度見てみたい衝動に駆られたが、やめておくことにした。好奇心猫を殺す、だ。

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