第3話 ドスケベ女

 穴の向こうの光景に俺はゴクリとつばを飲み込んだ。


 女がいた。水着の女だった。身につけているのは布地の小さいマイクロビキニと呼ばれるタイプの水着だ。

 水を張ったビニールプールが空っぽの部屋のど真ん中に置かれていて、女はそこに浸かっているのだ。

 水面にはホイップクリーム状の泡が浮かんでいた。当然女の体も泡まみれだ。


 ホイップのかたまりを手に取ると、女はその豊満な胸へとこすりつけ、泡立てた。紺色の水着はまたたく間に牛乳色の泡に飲み込まれた。女の、眉根を寄せ、口をしどけなく開けた、なやましげな表情――たまらなく色っぽい。


「すげえだろ」

 耳元でT彦がささやいた。

「すげえ」

 俺は答えた。

「何が起きてんだコレ」


 次に、女は片足を持ち上げた。せっけん水に浸かってつやつやになった太ももがあらわになった。洗体ブラシの毛が女のツヤめいたを、を、を優しくなでさすった。


 俺の心臓は高鳴り、呼吸は荒くなっていった。こんなの絶対によくない。良心がのぞき穴から我が身を離そうとした。だが裏腹に、視線は穴の向こうへと強く吸い寄せられていった。欲望は強くなる、否定されるほどに。


 かわいい女だった。ロリ系ってやつで、丸顔に大きな瞳、やわらかそうな厚い唇。黒のボブヘアーに白い肌のギャップが清楚感を演出していた。

 それにしても、この女はこんなところでなにをやっているのだろう? わざわざ居室にビニールプールを持ち出して、水着を着て……。


「おい、そろそろ替われよ。十分見ただろ?」

「待て、少しだけ待て」

「いつも真面目ぶっておいて、先生センセイも好きだよなあ」

 すぐに離れられない理由があった。なにせ、女は両手を背中に回し、ブラジャーの紐を外そうとしていたのだから。


 布地の圧迫から開放されて、女の乳房があらわになった。青りんごみたいに硬そうでありながら、部屋の柔らかな光を反射してつやつやしていた。先端の突起はバラ色で、主張は小さく、控え目なところがかわいらしかった。


「やば……」

 それから間もなく俺は穴から離れることになった。

 泡まみれの女の手が、ボール状に丸めたブラジャーをこっちに向けて投げつけてきた。視線は完全に俺を向いている。のぞいているのがバレていたのだ。


 ――にこり。

 女は相好を崩した。女の人差し指がくいと内側に曲げられる。。女の指がそう物語っていた。


「こっち見られた」

 俺がそう言うと、入れ替わりT彦が穴をのぞいた。

「あの水着の女、俺たちに来いっていってんのか? エロ過ぎんだろッ!」

 T彦の声は恍惚としていた。先ほどと変わらず、女は俺たちに向かって秋波を送るしぐさをしているみたいだった。


「やべえって……その女通報する気だろうよ」

「そんなことはねえ」T彦は穴を凝視し続けながら言った。「あいつは絶対ドスケベ女だよ。俺たちをセックスに誘ってるんだ」

 T彦は息を切らし、両目を輝かせると、俺の肩に触れた。


「行こうぜU村。あのドスケベ女に会いに。これってチャンスだぜ。お前のセカンド童貞もこれでおさらばだ」

「いや」と俺。「絶対やばいって。のぞいてきたやつを誘おうなんて都合のいい女、この世にいるか?」

「臆病風に吹かれるなよ。お前がそういうならいいよ、行かなくて。でも俺は行くぜ。止めるなよ」


 言うが早いか、T彦は全力疾走の勢いでクローゼットを飛び出していった。

「おい、T彦! 待てよ!」

 追いかけようとしたその時、Y村と鉢合わせした。おどろいたY村は危うく手に抱えた資料を取り落とすところだった。


「そちらにいらっしゃったのですね。T彦さんは、どちらに? 大変慌てた様子で出ていかれたようですけども」

「ああ、いや。なんでもありません。すみませんね、心配をおかけして。あいつは家に帰るみたいです。退屈したんでしょう」

「そうですか」

 そう言って、Y村は襟元を正した。


「ところで、U村さん。本日は内見をいただいたわけですが、いかがでしょうか。このお部屋は。お気に召しましたか」

 この部屋は気に入った。だが、賃貸契約を申し込む前に、となりの得体のしれない女を知っておく必要がある。


「そうですね……。隣のお部屋がちょっとにぎやかかなと。お隣は女子大生の子とかですかね?」

「はあ?」

 Y村はぽかんと口を開けた。

「201号室のことでしたら違います。高齢の男性で、非常にいい方です。いままで騒音問題など起こしたことはありません」


「そっちじゃない」と俺は言った。「反対側の部屋です203号室」

 俺の言葉に、Y村の血相が変わった。白かった肌に赤みが差し、厚いまぶたが上下に押しひろげられ、シワのよった口元は全開になった。

「ありえません、断じてそのようなことは!」


 Y村の声は絶叫に近かった。俺は両耳をおさえ、身を守る仕草をしていたと思う。

 部屋に沈黙が舞い降りた。

 我に返ったY村は、色をなしたことにきまり悪そうな顔をし、次に正面から俺を見据えた。


「失礼いたしました。お客様の前でこのような態度を取るなど失態でございます。ただ、それ相応の理由があるのです」Y村はため息混じりにいった。「お話しましょう、203号室について」

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