(5)
小屋は盛況だった。百人を超える観客が
すでに前方の席は埋まっていたため、藍次達は中ほどの隅に座った。
人の熱気で外よりもずいぶんと暖かい。フロックコートを脱いだ当麻が、藍次の隣に座る。体格のしっかりした当麻には窮屈そうだが、意に介した様子は無い。むしろわくわくとした顔で話しかけてくる。
「藍次君、『千里眼』の意味を知っているかい?」
「千里を見通す眼、でしょ」
「ああ。千里、つまり遠い場所の出来事を感知する能力のことをいう。仏教における
千里眼は媽祖の進む先を見通し、あらゆる災害から媽祖を守り、順風耳はあらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせる役目を持つ。伝説では、この二人の鬼神、昔悪さばかりして人々を困らせていたところを媽祖によって改心させられて……」
当麻の言葉の途中で、ふっと室内の明かりが消えた。舞台の上だけが明るく照らされる。それまでお喋りに興じていた客達は、自然とそちらに目をやった。
床から一段高い舞台の中央には小さな机と丸椅子があり、机の上には金属製の箱が置かれていた。舞台袖から洋装姿の男が現れ、一同を見回す。
「ようこそおいで下さいました!」
一礼して朗々と口上を述べる男が、この出し物を取り仕切っている座長だろう。小噺を入れつつ観客を盛り上げていた座長の男だったが、「さて」と話を切り上げた。
「皆様、今か今かと気もそぞろでしょう。お待たせしました、それでは千里眼少女、
座長の紹介の後、若い女性が舞台に現れた。大きくつぶらな目に白い細面の可愛らしい女性だ。髪形は流行の耳隠し。流水柄の
千里眼少女こと天元は、小さく会釈してから椅子に腰掛ける。
「さあ、百聞は一見に
座長は机の上の箱を持ち上げる。大きさは二十センチ四方くらいで、金属の鈍い光沢があった。箱の全部の面、さらに蓋を開けて空の中身を見せ、何の仕掛けも無いことを観客に知らしめる。
「今からこの箱に、お客様の持ち物を入れてもらい、その中身を天元様に当ててもらいます。皆様、入場時に番号札をもらいましたね? その番号の書かれた紙がこの箱の中に入っております。番号を呼ばれた方はどうぞ前に出てきて下さい。それでは…………二十六番! 二十六番の方!」
小屋の中に響く声に手を挙げたのは中年の男性だった。周囲の視線を浴びた彼は、密集する人の間を縫って、ぺこぺこと頭を下げつつ舞台に上がる。
「それでは、あなたの持ち物で、この箱に入る大きさのものを……ええ、こっそりと入れて下さい。おっと、その前に……」
座長は天元の後ろに回り、黒く細長い布で目隠しをする。
「入れる際に物が見えないよう、念には念を押しまして、天元様には目隠しをして頂きます! お疑いの方もいるでしょうからな」
黒い布で目を覆われた天元は、さらに箱に背を向ける。完全に見えない状態であることを確認し、座長が金属製の箱のふたを開けた。
「ええと……」
中年の男は懐を探り、小さな箱を取り出す。桃色の格子模様と桜の描かれた小さな箱は、両切り煙草の銘柄の一つ、『チェリー』のものだ。
男が『チェリー』を金属製の箱に入れると、座長は蓋をきっちりと閉めて机に置く。
「天元様、よろしくお願いします」
天元は目隠しを外し、箱に向き合った。
「皆様、どうか静粛に願います。千里眼には強い集中が必要なのです」
座長の言葉に、ざわめいていた小屋の中はしんと静まり返った。静かになった舞台で、天元は箱をおもむろに持ち上げて、己の額に当てる。観客達は天元の集中を妨げないよう、また、その千里眼の力を見ようと固唾を飲んだ。
やがて、天元がぽつぽつと言葉を零した。
「……小さな箱が視えます。掌に、収まるくらいの……これは……桜の絵? それに……格子の模様……」
おお、と観客の間でどよめきの声が上がった。
「皆様、どうかお静かに」
「……C、H……E、R……チェリーという、文字が……」
天元はそこで言葉を切り、箱を額から離した。
「箱の中身は、煙草の箱です」
断言した天元から、座長が箱を受け取る。
「さて、皆様はもう正解をご存じでしょう。……中身は御覧の通り、煙草『チェリー』です!!」
座長は蓋を開き、中に入っていた桃色の小さな煙草の箱を皆の前に掲げた。わあっと驚きの声と拍手が起こる。もっとも、小屋内にいる半数以上の者は「嘘だろ、当たったよ」「いったいどうやって」「どうせインチキだろ」と訝し気だ。
そんな空気を散らすように、座長は声を張り上げる。
「さあさあ、こんなのは序の口です。皆様も千里眼の力を直接体験して頂きましょう! 番号を呼ばれた方はどうぞ前へ!」
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