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  ***



「サアサァ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

「入場料はなんとたったの十銭だぁ! 新作だよ、見てってくんなぁ!」


 浅草公園の四区。水族館と木馬館を横目にしながら、藍次は出店の前をぶらぶらと歩いていた。

 長い髪は鳥打帽に入れて隠し、白い顔には茶色の顔料を薄く塗って日に焼けたように見せる。擦り切れた着物に股引というありふれた格好に、よれよれの毛糸の襟巻を巻き、下駄を鳴らしながら、冷やかしに出店を覗く。

 このくたびれた風貌の男が、新楽曲芸団の妖艶な奇術師・青藍だとは誰も分かるまい。

 誰にも注目されることなく、藍次はのんびりと四区の出店を散策する。

 二区にある、震災後に造られた木造の仮建築の仲見世と同様、人の出は回復してきているように思えた。


 ――二年前の大震災では、新楽曲芸団は巡業中で幸いにも被害は免れた。しかし、その年の晩秋に東京を訪れた際、惨状を目の当たりにした皆は、ただただ唖然とした。

 あれほど賑わっていた東京の街が瓦礫の山となり、焼け野原が広がる。火災を免れた上野公園には被災者のためのバラック小屋が建てられていた。浅草の煉瓦造りの仲見世は倒壊・消失し、天を貫く浅草十二階の荘厳な姿は無かった。

 しかしながら、人々は逞しいものだ。震災後の四か月後には早くも興行が再開され、一年後には浅草六区に活動小屋の町並みが復活し、幟がはためいていた。

 娯楽は生きる糧だ。藍次達のように興行を生業とする者には文字通りのことだが、それを見に来る人達にも娯楽は必要だ。だからこそ、浅草は早くに復興して、人が集まって来たのだ。


 普段、曲芸団の『青藍』として娯楽を提供する立場である藍次は、こうして逆の、客としての立場で浅草を回ることが新鮮で、楽しくて仕方がない。

 水族館の前でしりとりをしながら待つ親子連れ、飴細工師の前に集って目を輝かせる子供達、的当てに年甲斐も無く熱中する大人達……。皆がいきいきと、楽しそうな顔をしている。

 街中にいるより、浅草にいる方が生きているような気分になるのは、藍次が根っからの芸人だからだろうか。賑やかな非日常、少しうるさいくらいの喧騒の方が不思議と落ち着くのだ。

 藍次は出店で焼いていた醤油団子を一本買い、齧りながら目的の場所に向かう。香ばしい醤油の焦げと、ほんのりと甘い生地の組み合わせは、いつも通りの味でほっとする。

 最後の一個を食べ終えた藍次は、頭上ではためく幟を見上げた。


『神秘! 千里眼少女』

『これが透視だ! すべてを見通す天眼!』


 仰々しい煽り文句だ。


「すべてを見通すねぇ……」


 ならば、変装した藍次を、新楽曲芸団の青藍だと見抜くのも簡単だろうか。

 そんなことを考えながら、藍次が入場口の列に最後尾に並び、懐から財布を取り出そうとした時だった。


「藍次君?」


 急に声を掛けられ、藍次は驚きながらも動揺を隠して振り返る。

 声の主は、予想通りの人物であった。


「……当麻先生ですか」


 上品なフロックコートを着た背の高い男――当麻榮介が、藍次を見下ろしていた。山高帽にステッキを携え、相変わらずのモダンボーイぶりだ。

 当麻は帽子の鍔を軽く上げて「やあ、奇遇だね」と気障に挨拶する。

 あまり再会が嬉しくないのは、自分が『佐野藍次』であることにあっさり気づかれたからだ。

 先日、当麻の家を訪れた際の変装に比べれば今日は手抜きではあるものの、それでも歩き方や姿勢を変えている。大勢の人の中に紛れる藍次をすぐに見抜いた当麻に、少し腹立たしさも感じた。まるでこいつの方が『千里眼』みたいじゃないか。


「どうも」


 素っ気なく返す藍次にお構いなく、当麻は後ろに並んで話しかけてくる。


「ふふ、藍次君も『千里眼少女』を見に来たんだね」

「そういうあんたこそ。こういう出し物も研究対象だったんですか?」


 大学で心理学の講師をしながら私的に心霊研究を行う当麻は、心霊現象に関する相談や依頼をよく受けている。しかしまさか、こんな演芸場の出し物まで対象なのかと思いきや、当麻は首を横に振った。


「いやあ、単なる物見遊山だよ。『千里眼』とあったから、どんなものかと思って。藍次君と会えてちょうどよかったよ。君なら、すぐに奇術かどうか見抜けるだろう?」


 掘り出し物を見つけたようにほくほくとした顔の当麻に、藍次は呆れた視線を送る。


「ただ働きはごめんです」

「じゃあ入場料を払おう」


 入場料は大人十五銭。活動写真の入場料と同じくらいの値段だ。

 ここで断ったところで、当麻に付き合う羽目になるのは目に見えている。下手にかわすより素直に奢られた方が楽だ。どのみち洋子からの頼みもあるしと、藍次は当麻の申し出を受けた。

 入場口で二人分の料金を払った当麻が、「はい」と小さな木の札を差し出してくる。数字が書かれた番号札で、それぞれ『七十九』『八十』と書かれていた。


「何ですか、これ」

「出し物に使うそうだよ」


 番号を呼ばれた人は舞台上に上がって、『千里眼少女』の演目に参加できるらしい。ふぅん、と気のない返事をして、藍次は『八十』の札を受け取った。


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