(3)


「お前は昔から怖いもの知らずだからな。最初に舞台に立った時からそうだ」


 母が亡くなって藍次が七歳で曲芸団に入った頃から、巌と潮とは付き合いがある。十歳年上の彼らは、幼い藍次を弟のように可愛がって守ってくれた。

 見目の良い藍次によからぬ欲を抱く者も少なからずいたが、巌と潮、洋子や善良な団員達が側にいてくれたおかげで、悲惨な目に遭わずに済んだ。そして、藍次が自分で身を護れるようにと武術や軽業、様々な話術や厄介事の回避の仕方など、いろいろなことを教えてくれた。

 そうやって育ってきた藍次の考えや嗜好は、彼らにはお見通しだった。そして、それを指摘されても、素直に受け入れる性格でないことも。

 言い当てられた気まずさを誤魔化すように、藍次が空いた脚で巌の足を蹴りつけようとすれば、巌はさっと避けてしまった。


「おい、避けんな!」

「お前が俺の足を蹴ったら折れちまうだろうが。お前の足の方がな」

「あぁ? 何だと、この筋肉だるま……」


 二人で騒いでいると、舞台袖から男装姿の女性が現れた。カツカツと小気味よい足音を立てて近づいてくるのは洋子だ。


「あんた達、何遊んでるのさ。明日が休みだからってさぼってんじゃないよ」


 咎める口調だが、本気で怒っているわけでないのは長年の付き合いで分かる。藍次と巌はじゃれるのを止めて立ち上がった。


「お疲れ様です、団長」

「こっちに来るの珍しいな」


 砕けた口調の藍次の額を、洋子はばちんと強めに叩く。


「敬語使いな。子供らがあんたの悪いとこばかり真似するんだから」

「あー、もうしわけありません」


 棒読みで謝る藍次に洋子は呆れ顔を見せつつも、それ以上の注意は無駄と思ったのか話を変える。


「そうそう。藍次、あんた『千里眼少女』って知っているかい?」

「は?」

「四区の方に出店が出てるだろ。そこで小さな出し物やってる小屋があってね、近頃人気が出ているらしいんだよ。ということで藍次、明日ちょっくら偵察に行っておくれ」


 洋子のこのたぐいの頼みはよくあることだ。

 同業者の敵情視察、人気の芸の傾向などの情報収集は欠かせない。その際、体格に特徴のある巌などではなく、変装の得意な藍次を行かせることが多かった。

 せっかくの休みが洋子の頼みで潰れることに、いつもの藍次なら文句を垂れたことだろう。だが――。


「千里眼……」


 ふと思い出したのは、あの学者先生の言葉だ。


『君が千里眼的能力を有しているかだ』


 千里眼に関しては、藍次もよくは知らない。昔、新聞に書かれていた千里眼の記事を読んだくらいで、千里眼=詐欺だという認識くらいしかない。そう言えば、藍次がそう口にした時に、その先生の雰囲気が変わったような気がする。


「……ああ、わかった」


 藍次が素直に了承したことが意外だったのか、洋子は目を瞬かせ「ちょいと強く叩きすぎたかい?」と心配そうに眉根を寄せた。


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