(11)


 藍次の唐突な問いかけに、当麻はわずかに目を眇めた。こちらの真意を計るような視線を受けながら、藍次は口を開く。


「幽霊だとか、交霊会だとか、千里眼だとか。本物かどうか暴いたところで、あんたに何の得があるって言うんです?」


 藍次の脳裏に、先ほど年配の夫人に頬を叩かれた当麻の姿が蘇る。


『あんたのせいで!』


 霊媒師達に騙されていた彼女はおそらく、当麻に依頼をしてきた人の奥方だろう。当麻は霊媒詐欺から救ってくれた恩人のはずだ。なのに、彼女は騙した連中ではなく、その正体を暴いた当麻を責め立てた。

 傍から見ていた藍次は理不尽だと思ったし、同時に、仕方のないことだと理解もできた。


「騙されていた方がいいってやつもいるでしょう。騙されるのを分かっていて、参加するやつだっている」


 心霊ショーは奇術のショーに似ていると藍次は思う。

 もっとも、藍次達が行う奇術のショーは、仕掛けがあること、騙されることが前提だ。客も分かった上で金を払い、ショーを楽しんでいるのだ。

 心霊ショーの場合は、奇術のトリックを利用して参加者を騙し、お金を巻き上げるから詐欺と呼ばれるだけだ。

 だが――。

 たとえ偽物でも、本人の慰めになるのなら。

 嘘の伝言でも、心の拠り所になるのなら。

 事実も真偽も、彼らにとって重要ではない。


「そういうやつは、別に騙されていても構わないんですよ。そいつにとっては、自分の信じたいことが真実であってほしいんですから」


 死んだ息子の霊が帰ってきたと喜んでいた彼女にとって、当麻が行ったことはとんだ横やり、余計なおせっかいに過ぎなかった。目を背けてきた耐え難い現実を突きつけられたことで彼女は悲しみ、怒った。知りたくもない事実をわざわざ暴きたてた当麻を責めた。

 叩かれて詰られても、当麻は平然としていた。慣れているとも言った。

 依頼を受けて騙されていた者達を救ったのに、感謝どころか否定される。今夜のように霊媒詐欺を暴く度に、きっと当麻は責められたことだろう。盲目的に霊を信じる者達によって――。


「……」

「……」


 二人の間に沈黙が落ちる。藍次が答えを待っていると、当麻が長く息を吐いて目を伏せた。


「たしかに君の言う通りだよ。心霊主義……幽霊を信じている人達にとって、僕は悪者だ。彼らにとっては、逆に詐欺師なのかもしれないね」


 ふふっと当麻は苦笑する。


「……交霊会が流行するのは、人間の好奇心のせいだけじゃない。本来の交霊会は、極めて真面目で真剣なものだ。最愛の妻や夫、大切な子供を失くした人々が、死者と交信したいと本気で思っているからだよ。イギリスでも、交霊会が増えて盛んになったのは戦争の後だ」


 一九一四年、ドイツ・オーストリア・イタリアの『三国同盟』とイギリス・フランス・ロシアの『三国協商』との間で戦争が勃発し、やがて世界を巻き込む大戦に発展した。後世で第一次世界大戦と呼ばれるものだ。世界初の大戦となった戦争では多くの命が失われた。遠く離れた日本も大戦に関わり、シベリア出兵では三千人以上の死者を出している。また、戦争ではないものの、二年前の大震災では十万を超える死者と行方不明者が出ていた。

 大切な家族や恋人との唐突で残酷な別れが、どれだけあっただろうか。辛い思いをした人が、どれだけいただろうか。


「別れの挨拶もできぬまま死者の国へ旅立った者に、一目会いたい、声を聞きたいと思うのは当然のことだ。交霊会には、遺された者の悲痛な願いがある。……あのご夫人のようにね」

「……」


 藍次も事情は異なるが、同じ思いをした一人だった。

 殺された双子の兄の清一。会えるものなら会いたいと、化けて出てきてはくれないかと思った時もあった。

 冷たい夜気に身を竦めつつ、当麻は話を続ける。


「さっき話したフーディーニだけどね。彼は、死んだ母親の霊と交信をしたいがため、たくさんの霊媒師に会いに行き、交霊会に足を運んだそうだよ。けれど、彼が見たのは奇術のトリックを悪用して、遺族から金を騙し取ろうとする交霊会の実態だった」


 奇術師であるフーディーニは、駆け出しの頃に霊媒師のトリックを披露して、糊口ここうをしのいでいたこともあったそうだ。だからこそ、皮肉にもすぐに偽物だと見抜くことができ、唖然とした。


「彼は霊媒詐欺の深刻さを痛感した。以前に霊媒として観客を騙すことを楽しんでいた自分を恥じた。その後、フーディーニはインチキ霊媒との戦いに乗り出したのさ。もっとも、心霊主義者からは目の敵にされたそうだけどね」

「じゃあ、あんたもそういう理由で?」

「……僕はフーディーニほど正義感があるわけじゃない。彼のように、亡くなった大切な人の霊に会いたいわけでもない。まあ、遺族の悲痛な願いを利用する詐欺師は許せないと思うけどね」


 当麻の目は、藍次を通り越した闇夜を見つめる。彼の眉間はわずかに苦しそうに顰められていた。


「ただ、証明したいだけなんだ。幽霊も、千里眼も、人の力を越える不思議なことが本当に存在するのだと。僕の目的は偽物を暴くことじゃない。本物の心霊現象の証明だ」


 飄々とした彼が見せた素顔に、藍次は少なからず驚いていた。

 心霊研究なんて馬鹿げたことをする男だ、金持ち坊ちゃんの道楽かと、漠然と思っていたのだ。

 だが、交霊会を偽物だと暴いても自慢げにすることもない。むしろ救ったはずの被害者から非難される損な役回りだ。大学でも変わり者だと遠巻きにされている。

 それでも彼は心霊研究を止めない。人よりも恵まれた境遇に生まれた男が、なぜそこまで『心霊研究』に没頭するのか。


 ――なぜ、証明したいのか。


 藍次は少しだけ、当麻という男に興味が湧いた。


 当麻はそれを知ってか知らずか、「おや、何だか語ってしまったね」と冗談めいた笑みを見せ、再びステッキを回しながら歩き出す。


「さて、市電は終わってしまっただろうか……タクシーの方が早いかな。浅草まで送ろうか?」

「当然ですね」


 藍次も何事も無かったように、当麻の横に並び歩く。


「こんな夜道を女性一人で帰そうなんて、紳士のやることじゃない」


 片頬を上げる藍次に、当麻は呆れた目線を送ってくる。


「君は男だろう」

「今は女ですよ。こんな格好で、帰りに面倒な連中に絡まれるのは御免ですからね」

「君なら大抵の男は一捻りじゃないか。逃げ足も速いし」

「無駄な労力を使いたくないんですよ。……ああ、そうだ。浅草まで送ってくれるついでに、神谷バーに寄りませんか? カニコロッケと煮込みを奢ってくれたら、助手の件、考えてやってもいいですよ」

「え!? 本当かい?」


 当麻はぱっと顔を輝かせ、走っているタクシーを呼び止めながら念を押す。


「二言はなしだよ、藍次君!」

「もちろん」


 ――考えると言っただけだ。助手になるとは言っていない。

 内心で舌を出しつつも、藍次はきっと次に、当麻と共に出くわすであろう奇妙な事件を、少しだけ待ち遠しく思えた。


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