(9)



「おい、貴様! 美彌子様に何ということを!!」


 怒りの形相の竹崎が向かってこようとするが、高野に阻まれる。


「おいおい、逃げる方がおかしいだろ。やましいところがあるって言ってるようなもんじゃねぇか」

「このっ……卑怯だぞ! 騙し討ちのような真似をして!」

「そちらが騙していなければ、これは騙し討ちにはなりません。むしろ、あなた方の能力が本当だという証明になるのではありませんか?」


 藍次が神納を易々と押さえ込んだまま冷静に返すと、竹崎は言葉を詰まらせた。


「くそ! てめぇ、離せよ!!」


 床に押さえつけられた神納の口から粗暴な言葉が飛び出す。

 それは低く太くて、女性とは思えない……否、男の声だ。

 皆が驚く中、藍次は平然としたまま、神納の左手を皆に見えるように掲げてみせた。


「っ……!」


 はたして左の掌を覆う白いレースの手袋には、赤い小さな染みがあった。


「まあ!」

「そんな……」


 ざわりと一同がどよめく。さらに、藍次は膝で神納の背を押さえ、空いた手でゆったりとした服を探り、何かを取り出した。

 二枚重ねられ、麻紐で縛られた石盤だ。その石盤を、高野へ向かって投げる。


「中を確認して下さい」


 高野は急いで紐を解き、二枚の石盤を開いた。そこには何も書かれておらず、隙間にあったチョークが落ちて、床にカツンと跳ねる。


「これは……」

「あなたが付けた煙草の跡があれば、それが最初に私達が見た石盤です」

「あっ!」


 そうだった、と高野がまじまじと石盤の表面を見つめる。案の定、小さな焦げ跡が見つかった。

 手の入れ替えと石盤のすり替え。動かぬ二つの証拠を突きつけられれば、竹崎もこれ以上は反論しようがない。

 交霊会も霊媒師も、真っ赤な偽物。

 皆の視線が、霊媒師を騙った神納に向けられる。

 藍次が白いヴェールをはぎ取ると、綺麗に化粧をした顔が出てきた。しかし、その襟から覗く喉元は太ましく、喉仏もくっきりと浮かんでいる。ゆったりとした服は身体の線を隠すためであり、同時に仕掛けを仕込むための物だ。


「交霊会の最中に聞こえる男の声の正体も分かりましたね。それにしても、これでは陰陽説も成り立ちませんよ、竹崎さん。男性の数、陽の気が多すぎて霊が近づいてこない」


 霊媒師の正体は女装した男であるうえ、皆は知る由もないが、その霊媒師を取り押さえている乙女もまた女装した男なのだ。明らかに男性の数が多すぎる。

 当麻の皮肉を最後に、偽の交霊会は幕を閉じたのだった。




 サロンの部屋から、女性二人組と年配の夫婦が連れ立って出ていく。

 若い女性達は軽蔑の視線を竹崎や神納に向けながら、ひそひそと会話を交わしていた。きっとすぐに、交霊会が偽物で詐欺であったことが知れ渡るだろう。高額の入会金や参加料を払った者達によって、彼らが訴えられるのも時間の問題だ。

 残っていた参加者の高野が眼鏡を外し、がしがしと頭を掻きながら当麻の方へと近寄った。眼鏡を外した方が似合っていると思うのは、スーツの上からでもわかるがっちりと鍛え上げられた体格のせいかもしれない。

 後ろに撫でつけられていた短髪はぼさぼさと乱れ、精悍さに気怠さが混じった雰囲気になった高野が、当麻に話しかける。


「見事だったな、当麻先生」

「まあ、今回使われていた仕掛けは以前にも見たものでしたから」

「さすが心霊先生ってか。……そっちの嬢ちゃんも何者なにもんだ? さっきの手を入れ替えるのも、神納を押さえるのも、随分と手慣れていたが……」

「あら、臨時の手伝いのようなものですわ。京橋署の高宮さん」

「なっ……」


 藍次がにこりと言うと、高野、もとい高宮は大きく目を瞠った。


「おいお前、なんで知って……!」

「床に落ちておりました」


 藍次が掲げた手帳――警察手帳を、慌てた高宮が引ったくるように取る。当麻は「ほお」と感心したように高宮を見た。


「なるほど、警察の方でしたか」

「……情報が寄せられたんだよ。竹崎が運営する財団に大金を寄付するよう霊のお告げがあって、金を騙し取られたってのが何人もな」


 とはいえ、交霊会を警察が正面切って調べるわけにもいかない。そこで、ひとまず様子を見るために高宮が偽名を使って参加することになったそうだ。


「僕のことを知っていたのは、その関係ですか?」

「半年くらい前に、あんた神田署の事件ヤマに協力しただろ。妙な宗教のやつ。あの事件、俺も少し駆り出されていてな。……心霊研究家ってのは胡散臭いだけかと思ったが、まさかこんな簡単に見破ってくれるとはな」

「いえいえ。あなたが偶然にも、石盤に煙草の跡を付けてくれたおかげですよ。彼らも言い逃れできませんでした」

「あー……」


 別に高宮は意図したわけでは無いだろう。すり替えなど予測もしていなかったに違いない。高宮は居心地悪げに再び短い髪を掻く。


「まあ、今後証人としてあんたを呼ぶ時もあるかもしれん。その時はよろしく頼む」

「ええ、わかりました」


 それじゃあな、と高宮が部屋を出ようとした時、にわかに廊下の方が騒がしくなった。

 つい先ほど、部屋を出たはずの年配の夫人だ。交霊会の最中は大人し気な雰囲気だった彼女は、今や眉を吊り上げて目を血走らせ、鬼のような形相をしていた。夫人は当麻へと勢いよく詰め寄ったかと思うと、手を振りかぶる。


「っ!」


 パンッ、と乾いた音が響いた。

 夫人がいきなり当麻の横っ面を叩いたのだ。藍次も高宮も咄嗟には動けず、夫人のまさかの行動をただ呆然と見ることしかできなかった。

 夫人は顔を真っ赤にして歪めながら、当麻を睨み上げた。


「あんたの……あんたのせいで……!!」

「よさないか!」


 さらに当麻に向かって手を上げようとした夫人だが、それを急いで夫が押さえた。夫人は夫の腕の中で暴れ、烈火の如き勢いで当麻を詰る。


「泰彦はちゃんと私のところに帰ってきてくれたわ! 霊になって、会いに来てくれた! あんたのせいで、泰彦に会えなくなったじゃないの! どうしてくれるの! 泰彦に会わせなさいよ! 泰彦に会わせて!」

「やめなさい、良枝! 当麻先生、申し訳ない、家内は興奮して正気では――」

「返しなさいよ!! 私の泰彦を返してぇ!!」

「……」


 頬を叩かれた当麻はただ無言で、夫人を見下ろしただけだった。いつも笑みを浮かべている顔に表情は無く、その眼差しは暗く冷たい。

 一瞬怯んだ夫人に対し、当麻は静かに答える。


「申し訳ありませんが、泰彦さんを返すことは僕にはできません」

「っ……」

「僕にできるのは、心霊現象が本物かどうか、真偽を調査することだけです。そして、この交霊会も霊媒師も偽物だった。あなたが大事にしている石盤の伝言は偽物で、あなたが交信した泰彦さんの霊は泰彦さんではなかった。それは紛れもない事実です」


 淡々とした当麻の言葉に、夫人の喉がひくりと震えた。


「その事実を受け入れるかどうかは、あなたが決めて下さい」

「あ……」


 夫人の顔から、憑き物が落ちたように激しい怒りが消えた。代わりに浮かび上がるのは悲痛な色で、膝から崩れ落ちる。


「う……あ、ああ……あああっ……!!」


 床に蹲って嗚咽を零し始める夫人の肩を、夫が抱きとめて支える。付き人と共に部屋を去る際、夫は当麻の方を見て小さく頭を下げた。

 嵐が去った後のような静けさが室内に落ちる。気まずげに頭を掻いた高宮が、当麻の様子を窺う。


「……おい、先生よ。その……大丈夫か?」

「ええ。慣れていますから」


 当麻はあっさりと言って微笑んだ。


「さて、仕事は終わりだ。帰ろうか、藍次君」



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