(8)


「……」


 余裕だった竹崎の顔色がわずかに変わった。当麻は席を立ち、円座になった一同を見回す。


「さて、今行われた石盤書記は、交霊会でよく行われているものです。霊的な存在からメッセージを受け取る方法として、とても分かりやすい。それゆえ、様々な仕掛けが考案されています」


 仕掛け、とはっきり口にした当麻に、竹崎が眉を顰める。


「何を……」

「例えば、そう……そのチョークの中に鉄が仕込んであり、テーブルの下に磁石を当てて動かすことでチョークを動かし、文字を書くことが可能です。石盤の間に細い竹串を差し込み、チョークを動かすという方法もあります。あるいは、石盤ごとすり替えてしまう方法も。石盤に文字を書く物音は、靴の踵の一部を金属などの固い物にして、両踵を合わせて打ち鳴らせば、簡単にカツ、カツという音が出せる」


 当麻の説明に、皆は呆気にとられた。やがて、若い女性の一人が躊躇いつつも問いかける。


「あの、ですが、神納様は弥江子姉様の名前を知っておりました。私、姉様が亡くなったことは話しておりません」

「あなたはあの文字を『ヤ』『エ』と読みましたが、この『ヤ』は、『カ』とも『セ』ともとも読むことができる。『エ』は上下の線の長さによって『ユ』とも『コ』とも読めます。『シ』と『ツ』、『ソ』と『ン』はそっくりだし、『キ』の向きが変われば『サ』と読む人もいるでしょう。

 この石盤に書かれているように、走り書きの掠れた文字は、見た人によって読み方が変わる。現に僕は、『カ』と『ユ』と最初は読みました。別の文字に読んだ人もいるのではありませんか? 『ヤエ』とお嬢さんが口に出したから、皆も同じように読んだだけです。弥江子という名前を口にしたのも、あなたであって、神納さんではない」

「……で、でも、姉様の特徴を言い当てたわ! 若くて、小柄で痩せてたって……」

「あなたのお姉様であったら、まず若い女性でしょう。それに、あなた自身が小柄で痩せていられる。血の近しい親族は、大抵似たような体格になる傾向だ。推測するのは難しいことではありません。相手の反応を窺いながら少しずつ言葉に出せば、間違えることも少ない。第一、死者からの伝言が書かれるはずが、名前の一部だけしか書かれないことも不自然です」

「……」


 女性はついに黙り込む。

 その傍らで竹崎は苦笑を零し、大げさに拍手してみせた。


「なるほど、さすが心理学の先生ですな。ですが、それはただの推測でしょう。詐欺師達の方法を述べただけだ。美彌子様は違います。彼女は両手をしっかりと握られていたのですよ。チョークの細工も石盤のすり替えもできるはずがない! 高野様と、あなたのお連れのお嬢さんが証明してくれるのではありませんか?」

「そちらの高野さんがあなた方の協力者、という場合は?」

「はぁ!? おい、ふざけるな!」


 急に名前を出された高野が声を上げる。


「俺がこいつらの仲間なわけないだろう!?」

「それを証明できるものはありますか?」

「そっ、そいつを言うなら、あんたらだって――」

「まあ、高野さんが協力者であるかどうかはさておき、両手を握られていようと霊媒師は片手を自由にすることができる。その方法は単純です」


 当麻の目が、藍次に向けられた。

 ついに出番か、と藍次は唇の端を上げて答える。


「ええ、おじ様。実際にしてみせましょうか?」


 可憐でどこか怯えた雰囲気の少女がさらりとそんなことを言うものだから、皆は呆気に取られてそちらを見やる。

 藍次は皆の視線が集まったところで、両手を伏せるようにテーブルの上に置いた。


「手の繋ぎ方、皆さん覚えていますか? 右手で、右隣の人の左手を握る。……すみませんが、手をお借りしても?」

「あ、ああ……」


 藍次は右隣りの年配の男性に断りを入れて、彼の左手首を右手で握った。


「では、高野さん。私の左手を握ってもらえますか」

「……お、おう。わかった」


 高野は戸惑いを見せながらも、藍次の左手を掴んだ。

 そして、テーブルの上の両手を少しずつ近づけていき、左手を右手の上に持っていく。重なったところで、右手を一瞬離して俊敏に引き抜き、すぐに左手で年配の男性の手を掴んだ。


「あっ!」


 藍次の早業に、高野も年配の男性も思わず声を上げる。

 高野が握る藍次の左手が、年配の男性の左手を握っていた。上から高野、藍次、年配の男性の順に手が重なった状態だ。

 自由になった右手を、藍次はひらひらと振ってみせる。


「こうすれば、左手一つで二人の人間と手が繋ぐことができます」

「……」

「いや、だが……さすがに分かるんじゃないか?」


 目の前で手のすり替えを見た高野が、訝しがる。


「今のは目で見ていたから分かりますが、暗闇で何も見えない状態だったら? 一瞬離れただけだったら、少し力を抜いて握り直したくらいにしか思えないでしょう。特に、霊媒師は交霊会の最中、身体を前後に動かしていました。その揺れで、私もあなたも手を少し引っ張られた状態だったのでは?」


 藍次に言われて思い出したようで、高野ははっと目を瞠った。


「ああ、確かにずっと揺れていた。だから外れないようにとしっかり握っていたが……」

「揺らした状態だったら、両手を今のように近づけることも、すり替えることも気づかれにくい。そもそも高野さんは握る側でしたから、手は一度も離れない分、余計に気づかないでしょうね。さらに、霊媒師はレースの手袋を付けている。レースの感触が邪魔をして、右手か左手かの判別も付きづらくなるでしょう」


 藍次の説明に、高野は「なるほど」と感心した息を零した。皆が聞き入る中、顔を強張らせた竹崎が声を荒げる。


「そっ……そんなのは詭弁だ! 美彌子様がそんな真似をした証拠など……」

「ありますよ」

「なっ……」


 藍次は目を細めて、左手を掲げて見せた。

 左手の甲の手首に近い位置が、少し赤くなっている。インクか何かが付いて擦れたような跡だ。


「実は私、皆で手を握る直前に、手の甲に赤いインクを付けておいたのです。霊媒師が私の左手を、右手でずっと握っていたのなら、右手にしか赤いインクは付きません。ですが、もし先ほどのように手の入れ替えをしたならば、左手にも――」


 藍次の言葉の途中で、神納が勢いよく席を立った。がたんっ、と椅子が倒れる。早足で部屋を出て行こうとした神納の腕を、すかさず藍次が掴んだ。

 神納が振り払おうとするが、藍次の手はびくともしない。一見華奢で非力そうな女性が、がっちりと神納の手首を握り、ぎりぎりと締め上げていた。それどころか、神納に素早く足払いを掛けて倒し、床に押さえ込んだ。


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